著者
小野 米一 原 卓志 菅 泰雄 仙波 光明 平井 松午
出版者
鳴門教育大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

北海道には、室町期ごろから和人が定住し始め、江戸期を通して松前藩が置かれた。しかし、本格的な北海道開拓が進められるのは、明治以後である。北海道への移住者は東北地方出身者が多かったが、四国地方からの移住者も意外に多く、移住者全体の約8%を占める。本研究の研究者5名のうち4名(小野・仙波・平井・原)が徳島県に住んでおり、本研究では徳島県から北海道への移住者に限定して研究を進めた。対象地域が北海道であるため、北海道在住の研究者1名(菅)に参加してもらった。北海道内各地に徳島県出身関係者が住んでいるが、本研究では、北海道余市郡仁木町、旭川市永山、静内郡静内町、中川郡本別町、などで言語調査を行った。いずれも、徳島県からまとまった数の移住者が入植し、定着した地域である。とは言え、移住後100年以上(静内では130年ほど)経て、今は年輩の人でも2世はまれで、ほとんどが3世・4世である。1世によって持ち込まれたはずの徳島方言は相当に影を薄くし、いわば北海道方言が成立してきている。それでも"徳島方言"はそれなりに尾を引いている面もある。北海道に渡った徳島方言と対比するために、主として吉野川沿いの地域を中心に、地元の徳島方言を調査した。また、やや古い徳島方言の姿を知るために、文献による調査を試みた。その結果、たとえば、北海道仁木町には120年余を経過した今日でも3世には明らかに徳島方言の名残が認められ、4世になるとそれが希薄になる。旭川市永山では屯田入植者の3割近くを徳島県出身者が占めたものの3世への名残は仁木町より薄く、4世はいわゆる北海道方言と見なされることばになっている。徳島県から北海道への移住者とその後の動きについては、かなり具体的に把握することができた。
著者
小野 米一
出版者
鳴門教育大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1993

アイヌ語話者の日本語北海道方言の特徴として、次のような知見が得られた。(1)母語アイヌ語の干渉と思われる特徴が、主に音声面に観察される。例えば、(1)主に1拍目の音を引き伸ばしがちなこと、(2)母音オとウが近似していること、(3)連母音同化を起こしにくいこと、(4)サ・シャ行音及びザ・ジャ行音の区別がないこと、(5)いわゆる清音と濁音との区別がないか混同が著しいこと、(6)拗音を直音ふうに発音する傾向があること、(7)イントネーションが平板な調子になりがちなこと、などである。しかし、文法面においても、(8)助詞「に」「しか」などの用法、(9)自動詞・他動詞の混用、(10)文末の表現、などにアイヌ語の干渉が認められる。語彙面には、借用語がいくつかあるものの、アイヌ語の干渉はほとんどない。(2)アイヌ語話者たちが身に付けた日本語は、主に明治期・大正期、さらには昭和戦前期のものであり、昭和30年代以降の共通語化が急速に進む以前のやや古い北海道方言である。東北方言的な特徴が基盤となって、全国各地からの移住者たちが持ち込んだ全国諸方言が混交しあった、独特の「北海道方言」である。その日本語には、織田氏のそれに淡路島方言から取り入れたと思われる特徴がいくつか観察されることに象徴されるように、近隣在住移住者の日本語方言が反映している点で注目される。(3)アイヌ語話者の日本語北海道方言には、以上のような共通した特徴も観察されるが、生育環境や日本語を身に付けた時期、アイヌ語・アイヌ文化に対する態度などが、アイヌ語話者一人ひとりの日本語の個人差となってさまざまでに観察される。
著者
小野 米一
出版者
北海道教育大学語学文学会
雑誌
語学文学 (ISSN:02868962)
巻号頁・発行日
no.7, pp.42-50, 1969-03