著者
山田 耕生
出版者
共栄大学
雑誌
共栄大学研究論集 (ISSN:13480596)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.107-121, 2009-03-31

本稿では、浦和レッズとその本拠地であるさいたま市浦和地域(旧浦和市)を事例に、プロサッカークラブの発足に伴う「サッカーのまち」の変遷を明らかにした。浦和地域では1960年代から70年代にかけての約20年間の地元高校サッカー部による数々の全国優勝によって「サッカーのまち」としての認識が形成された。1993年に開幕したJリーグ以降は、行政、商店街などにより、サッカーのまちづくりが進められた。2000年代に入ると、浦和レッズも本格的に地域貢献活動に取り組むようになった。このように、Jリーグ開幕時からサッカーのまちづくりが着々と進展した要因は、地域住民の「サッカーのまち」としての認識やアイデンティティがあるためである。さらに、浦和レッズの地域貢献活動は本業のサッカーの強化には繋がらないが、結果として浦和レッズがさらに地域へ受け入れられるものになり、さらには浦和地域の「サッカーのまち」づくりが一層進んでいくものと考えられる。
著者
山田 耕生 Kosei Yamada
出版者
共栄大学国際経営学部
雑誌
共栄大学研究論集 (ISSN:1880859X)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.107-121, 2009-03-31

本稿では、浦和レッズとその本拠地であるさいたま市浦和地域(旧浦和市)を事例に、プロサッカークラブの発足に伴う「サッカーのまち」の変遷を明らかにした。浦和地域では1960年代から70年代にかけての約20年間の地元高校サッカー部による数々の全国優勝によって「サッカーのまち」としての認識が形成された。1993年に開幕したJリーグ以降は、行政、商店街などにより、サッカーのまちづくりが進められた。2000年代に入ると、浦和レッズも本格的に地域貢献活動に取り組むようになった。このように、Jリーグ開幕時からサッカーのまちづくりが着々と進展した要因は、地域住民の「サッカーのまち」としての認識やアイデンティティがあるためである。さらに、浦和レッズの地域貢献活動は本業のサッカーの強化には繋がらないが、結果として浦和レッズがさらに地域へ受け入れられるものになり、さらには浦和地域の「サッカーのまち」づくりが一層進んでいくものと考えられる。This paper deals with the case of Urawa district in Saitama City which successfully created the "Soccer Town" by establishing its local professional soccer team "Urawa Reds." Historically, winning several national championships of soccer tournaments by local high school teams formed recognition of Urawa district as the "Soccer town" in its 1960s and 1979s. Since the establishment of the national professional soccer league, "J-league" in 1993, both Urawa shopping districts and the local government have enthusiastically promoted the creation of "Soccer town" in Urawa. Urawa Reds itself has also positively participated in local activities since the 2000s. Thus, significant success of the creation of "Soccer town" in Urawa is mainly due to strong recognition and identity by local people as the "Soccer town" in Urawa district. Although such regionally contributing activities is not directly connected with the performance of soccer players in Urawa Reds, the team has received enthusiastic support, contributing to the further success of Urawa district as the "Soccer Town" as a result.
著者
山田 耕生 藤井 大介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2019年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.305, 2019 (Released:2019-03-30)

1.研究の背景と目的 現在、イタリアでは集落内に点在する空き家等を宿泊施設に活用し、ホテルの客室に改修し、集落全体をホテルに見立てた、アルベルゴ・ディフーゾ(Albergo Diffuso、以下ADと表記)が大きな注目を集めている。ADは直訳すると「分散型ホテル」の意味で、現在のAD協会会長ジャンカルロ・ダッラーラ氏が1980年代に提唱した概念である。 イタリアでは日本と同様に少子高齢化が進んでおり、地方の小都市、集落では人口減少や地域経済の衰退が問題となっている。そんな中で、集落内の空き家、空き部屋を宿泊施設として活用し、地域を運営するADは地域活性化に向けた打開策として期待されている。 本研究では、2018年9月にイタリア国内9地域において実施した現地調査をもとに、ADの施設と経営、宿泊者の動向や特徴を明らかにする。さらにその結果を踏まえて、日本における空き家、古民家の宿泊施設への活用の今後の方向性を考察する。2.アルベルゴ・ディフーゾの現状(1)アルベルゴ・ディフーゾの条件 AD協会では加入の条件として「ADが統一組織にマネジメントされていること」「一定以上の水準のホテルサービスが提供されていること」「ADの各建物が適度に離れていること」「ホテルまたは地域内にて飲食、生活サービスが提供されていること」「地域コミュニティに開かれ、宿泊客と融合できること」などが挙げられている。(2)アルベルゴ・ディフーゾの分布 2018年4月時点、AD協会に登録されているADは102地域である。2011年に35地域、2015年に86地域であったことから、毎年10地域のペースで増加している。 ADはイタリア北西部のヴァッレ・ダオスタ州を除くイタリア全州に分布しており、なかでも中部のトスカーナ州、ウンブリア州、マルケ州、ラツィオ州に全体の約1/3のADが分布している。(3)アルベルゴ・ディフーゾ経営の特徴 ADの立地は丘や山麓に位置する町や村、山間部の街道沿いなどに位置するケースが多い。主要都市(空港)からのアクセスは車で1~2時間がほとんどである。 ADの施設については、宿泊室はキッチン付きのアパートメントタイプと、ベッドルームにトイレ、シャワー室がついたB&Bタイプの両タイプが混在している。 ADの経営は家族経営がほとんどである。建築家や飲食店経営などの個人事業主がホテルのオーナーになっている。 宿泊客の傾向をみると、おおむね4月~9月がシーズンで、特に7月、8月はヨーロッパ各地でバカンス期になることから、稼働率が高い状態である。しかし、11月~3月までは宿泊客数がピーク時の1、2割程度に落ち込む。3.まとめ~日本の空き家、古民家の宿泊施設への活用に向けて~ イタリアのADは空き家の再生という観点で、歴史的文化財をしっかり改修した分散型ホテルは観光として有効である。日本で展開するためには宿泊施設してしっかりと費用をかける必要がある。またイタリアの場合はADが機能分散型になっていないケースが多いが、日本では地域をコーディネートする組織(協議会、DMO、DMC)を作りながらADを運営すれば、街づくりと観光を作り出し、大きく発展する可能性がある。