著者
岡内 三真 長澤 和俊 菊地 徹夫 大橋 一章 吉村 作治 谷川 章雄
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

平成12年度〜平成14年度にかけて、西域都護府を軸としてシルクロード史の再検討を行った。西域都護府は前漢王朝の西域経営の拠点であり、文献史料によっておよその位置が比定されているが、正確な位置が確認されていない。漢王朝の西域進出はシルクロード形成の重要な要因であり、西域都護府を設置した烏壘城を比定できれば、漢王朝の西域経営の実態を明らかにできる。そこで、西域都護府の位置を確認するため、新疆文物考古研究所との共同による現地調査を実施した。平成12年8〜9月、平成13年5月、平成14年5月に中国新疆ウイグル自治区を訪問し、現地での調査を行った。調査地は西域都護府の所在地と推定される新疆ウイグル自治区輪台県・策大爾郷を中心とした地域であり、烏壘城の可能性が高いと推定される遺跡を踏査し、立地や構造、遺物などを確認した。本格的な発掘調査を行えなかったため、西域都護府の位置を断定するには到らなかったが、遺跡の現状を確認することができ、西域都護府の構造等に関してある程度の予測を立てられた。また比較のためにシルクロードの天山北路、天山南路のルートに沿って遺跡の調査、博物館での遺物の調査を行った。時期は漢代に限定されないが、新疆の都城址に関しての現状確認と資料の収集を実施することができた。2001年には早稲田大学で国際シンポジウム「甦るシルクロード」を開催し、2002年には日本中国考古学会第8回大会において西域都護府の調査概要を報告し、研究者との意見交換を行った。現在3年間で得られた成果の整理・分析を行い、調査報告およびデータベースの作成作業を進めており、今後の研究の基礎となるデータを提供する予定である。
著者
長沢 和俊 趙 靜 張 樹春 劉 文鎖 王 宗磊 李 肖 王 炳華 杉本 良 昆 彭生 荒川 正晴 櫻井 清彦 大橋 一章 岡内 三真 WAN Zong Lei WAN Bin Hoa ZHANG Shu Chun ZHAO Jung 劉 文すお 趙 静 昆 彭夫 劉 玉生 柳 洪亮 小澤 正人 于 志勇 李 宵 夏 訓誠 昆 彰生
出版者
早稲田大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1994

われわれは平成6年から同8年にかけて、トルファン地区の総合調査を実施した。調査はそれぞれ分担研究者の専門により、美術史学の大橋教授はベゼクリス、トスクチ仏洞を、故書学の荒川助教授はトルファン文書の研究を行なったが、とくに共通のフィールドとしては、交河故城西方の溝西墓の発掘調査に全力を傾注してきた。周知の通り交河故城は今から2200年前から広くこの地方を支配してきた車師前国の都城で、溝西墓にはその車師前国時代の墓と、5世紀の高昌国から唐代にかけて、この地方に進出した漢民族の古墓群があり、その総数は2000基以上もある。以下、溝西墓の発掘調査を中心に、3年間の研究実績を総括してみると、次の通りである。(1)平成6年度:初年度はまず全隊員により、トルファン地区のGeneral Surveyが行われた。即ち高昌故城、アスターナ、ベゼクリクチ仏洞、蘇交塔など、トルファンの主要史跡を踏査し、各遺跡の史的意義、トルファン文書との関連などを調べた。さらに共通のフィールドとしての交河故城西方の溝西墓については、頼るべき地図がないので、新疆測量部の協力により、溝西墓(東西約3km、南北約1km)全域の測量を開始した。この測量により平成6年度末までに全域の1/500地図が出来上った。また王炳華氏の選定により、溝西墓のほぼ中心部で4か所の高昌国時代の墓を試掘した。その際、田中地質コンサルタントKKの協力を得て、遺跡の電磁波探査、気球による航空測量などを行なった。こうした物理探査は中国とくに新疆では最初の試みで、多くの考古学関係者の関心を集めた。この年に発掘した第2号墓からは墓碑が出土し、この墓は某氏の妻氾氏の墓で、589年に没したことが確認された。これによって溝西墓は、交河城にいた高昌貴族(6〜8世紀)と唐人の墓であることが分り、今後発掘地域を拡大することにより、アスターナと同じようなミイラ、古文書、絹織物等、副葬品の出土が期待された。(2)平成7年度:2年目には西北部の高昌国の豪族、麹氏と張氏の螢城から2か所、中央部のマウンドのない墓(三年物理探査で発見)2か所、南部の唐代の墓と思われるもの5墓計9基の墓を発掘、2個の墓誌、未盗掘の墓1基を発掘した。発掘後、墓の中央にトレンチを入れ、墓の構造も検討した。また田中地質の気球により前年度失敗した溝西墓、交河故城の空中撮影に成功した。今年度は9基の墓を発掘したが、ここは盗墓が盛んでほとんど盗掘されており、かつ墓室内の湿度・気温が意外に高く、有機物やめぼしい遺物は、ほとんど出土しないことが明らかになった。(3)平成8年度:そこで今年度はまず次の基礎調査の達成をめざした。(1)遺跡全域の1/500地形図の作成。…これは平成6-7年度に完成した。(2)250m四方の遺跡地図の完成…本年度の夏、不足分を補って完成。(3)全古墓の実測(Numbering)とデータベース化…実測は今夏終り、現在早稲田大学電算室でデータベース化しつつある。ついで本年度の発掘調査は、遺物の出そうな高い地域の墓4か所で8基の墓を発掘した。しかしこれらの高い地区の墓はいずれもすっかり盗掘されていて、遺骨のほか何も残っていなかった。そこで発掘主任の岡内教授は発想の転換をはかり、車師前国期の墓を発見し、ここを発掘した。その結果、そこから黄金の王冠、黄金の指輪、ブロ-チ、南海産の貝符、星雲文鏡が出土し、近くの17号墓からは黄金の髪飾り、トルコ石の首飾り、黄金製のバックルや脚飾りなどが出土し、車師人の王侯・貴族の黄金装飾品がワンセットで出土し、併出した星雲文鏡や五銖銭から、時代も前一世紀と特定でき、王炳華所長も「これだけ金製品がまとまって出土したことは新疆はもとより全中国でも珍しく、おそらく今年度の中国考古学で最も重要な発掘の1つ」と評価された。これらの出土品のうち王冠は明らかにスキタイ・サウロマタイ風で、ブロ-チや指輪は、西アジア工芸品の影響をましており、バックルや足飾りはモンゴル高原から青銅の類似品が出ており、貝符は南海産、漢鏡と五銖銭は中国の影響をまし、当時のトルファンが東西文明の十字路にあったことを示している。又殉葬馬や鉄鏃、轡の出土は車師が騎馬民族であることを示している。