著者
杉本 良男
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.242-261, 2003-09-30

人類学において「比較」の方法は時代おくれのものとみなされ、また現地調査そのものも批判の対象になっている。そのような批判に過剰反応して、人類学の一部は、調査、民族誌記述比較など、従来の学問の中心的な営みとされてきた部分をそぎおとし、自己・主体に閉塞する私小説的な相貌を帯びてきている。ラドクリフ=ブラウンやマードックらによる科学主義的な比較研究は、みずからか神の視点に立つ普遍主義的前提にもとづいていたが、レヴィ=ストロース、デュモンらによる遠隔の比較には、西欧中心主義を相対化する視点が含まれていた。デュモンのいう宿命としての比較に対して、非西欧世界の人類学者にはさらに、比較の前提となる単一性、普遍性が外から与えられてきたという点で、大きく異なっている。人類の普遍性、人間の単一性とはキリスト教世界が浸透させてきた神話の意味があるが、このような普遍神話、単一神話は、非西欧世界のエリートによって受容され、定着させられてきた歴史もある。このような限界を意識した、いわば物象化された普遍性を前提とした比較の試みは、西欧中心主義を批判するとともに、人類学のあたらしい可能性をも示唆している。
著者
平野 修 河西 学 平川 南 大隅 清陽 武廣 亮平 原 正人 柴田 博子 高橋 千晶 杉本 良 君島 武史 田尾 誠敏 田中 広明 渡邊 理伊知 郷堀 英司 栗田 則久 佐々木 義則 早川 麗司 津野 仁 菅原 祥夫 保坂 康夫 原 明芳
出版者
帝京大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-10-21

奈良・平安時代において律令国家から、俘囚・夷俘と呼ばれたエミシたちの移配(強制移住)の研究は、これまで文献史学からのみ行われてきた。しかし近年の発掘調査成果により考古学から彼らの足跡をたどることが可能となり、本研究は考古学から古代の移配政策の実態を探るものである。今回検討を行った関東諸国では、馬匹生産や窯業生産などといった各国の手工業生産を担うエリアに強くその痕跡が認められたり、また国分僧尼寺などの官寺や官社の周辺といったある特定のエリアに送り込まれている状況が確認でき、エミシとの戦争により疲弊した各国の地域経済の建て直しや、地域開発の新たな労働力を確保するといった側面が強いことが判明した。
著者
杉本 良男 Yoshio Sugimoto
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.267-309, 2015-11-27

小稿は,神智協会の創設者にして,のちの隠秘主義(オカルティズム)や西欧世界における仏教なかんずくチベット仏教の受容,普及に決定的な役割を果たしたマダム・ブラヴァツキーが,具体的にどのようにチベット(仏教)に関わり,どのような成果を収め,さらにその結果後世にどのような影響を及ぼしたのかについて,とくに南アジア・ナショナリズムとの関連に議論を収斂させながら,神話論的,系譜学的な観点から人類学的に考察しようとするものである。ここでは,マダム・ブラヴァツキー自身のアストラハン地方における幼児体験をもとに,当時未踏の地,不可視の秘境などととらえられていたオリエンタリスト的チベット表象を触媒にして,チベット・イデオロギーへと転換していったのかが跡づけられる。その際,マダム・ブラヴァツキーのみならず,隠秘主義そのものが,概念の境界を明確化する西欧近代主義イデオロギーを無効化するとともに,むしろそれを逆手にとった植民地主義批判であったことの意義を明らかにする。
著者
柳澤 悠 井上 貴子 杉本 良男 杉本 星子 粟屋 利江 井上 貴子 杉本 良男 杉本 星子 粟屋 利江
出版者
千葉大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

本研究は、耐久消費財の浸透など消費パターンの変化が、インド農村の下層階層においても生じていること、変化は単なる物的な消費財の面に限らず、教育、宗教活動などに広がっていること、消費の変化は階層関係など社会関係の変容や下層階層の自立化によって促進されていること、またその変動は1950-60年代から徐々に生じていると推定されること、農村消費の変化が産業へ影響を及ぼしていることなどを、明らかにした。
著者
林 勲男 杉本 良男 高桑 史子 田中 聡 牧 紀男 柄谷 友香 山本 直彦 金谷 美和 齋藤 千恵 鈴木 佑記
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2008-04-08

大規模災害被災地への人道支援や復興支援は、災害規模が大きくなるほど、地域を越え、国を越えたものとなる。そうした支援が被災地の従来の社会関係資本を正しく評価し、それを復旧・復興に活用し、さらにはその機能と価値を高めることによって、将来の更なる災害に対する脆弱性を克服することに繋がる。しかし、地域や国を越えての異なる文化や社会構造の理解は容易ではなく、多分野の専門家や住民との協働が求められる。それは、開発途上国の被災地への支援だけでなく、先進国で発生した災害の被災地支援についても同様であることが、2011年3月発生の東日本大震災で示された。平穏時から、対話と協働に基づく活動と研究が重要である。
著者
三尾 稔 杉本 良男 高田 峰夫 八木 祐子 外川 昌彦 森本 泉 小牧 幸代 押川 文子 高田 峰夫 八木 祐子 井坂 理穂 太田 信宏 外川 昌彦 森本 泉 小牧 幸代 中島 岳志 中谷 哲弥 池亀 彩 小磯 千尋 金谷 美和 中谷 純江 松尾 瑞穂
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

文化人類学とその関連分野の研究者が、南アジアのさまざまな規模の20都市でのべ50回以上のフィールド調査を実施し、91本の論文や27回の学会発表などでその結果を発表した。これまで不足していた南アジアの都市の民族誌の積み重ねは、将来の研究の推進の基礎となる。また、(1)南アジアの伝統的都市の形成には聖性やそれと密接に関係する王権が非常に重要な機能を果たしてきたこと、(2)伝統的な都市の性格が消費社会化のなかで消滅し、都市社会の伝統的な社会関係が変質していること、(3)これに対処するネイバーフッドの再構築のなかで再び宗教が大きな役割を果たしていること、などが明らかとなった。
著者
安藤 礼二 杉本 良男 吉永 進一 赤井 敏夫 稲賀 繁美 橋本 順光 岡本 佳子 Capkova Helena 荘 千慧 堀 まどか
出版者
多摩美術大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

これまで学術的な研究の対象とは見なされてこなかったが、神智学が宗教、政治、芸術などの近代化で重要な役割を果たしたことは近年認められている。本研究では、それらをグローバルな視点から再検討し、新たな研究の可能性を探ることに成功した。プロジェクトメンバーたちによる国内外の調査によって貴重な一次資料を収集しただけでなく、海外の研究者たちとの連携を深めた。日本ではじめて神智学を主題として開催された国際研究集会など、いくつかの研究会を開催し、神智学研究を代表する世界の研究者たち、日本の研究者たちが一堂に会した。これらによって、さまざまな分野の研究者のネットワークを構築し、今後の研究の礎を築くことができた。
著者
Yoshio Sugimoto 杉本 良男
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.445-534, 2020-01-06

小論は,スリランカ(セイロン)の仏教改革者アナガーリカ・ダルマパーラにおける神智主義の影響に関する人類学的系譜学的研究である。ダルマパーラは4 度日本を訪れ,仏教界の統合を訴えるとともに,明治維新以降の目覚ましい経済・技術発展にとりわけ大きな関心を抱き,その成果をセイロンに持ち帰ろうとした。実際,帰国後セイロンで職業学校などを創設して,母国の経済・技術発展に貢献しようとした。そこには,同じく伝統主義者としてふるまったマハートマ・ガンディーと同様に,根本的に近代主義者としての性格が見えている。ところで,一連のダルマパーラの活動の手助けをしたのは,神智協会のメンバーであったこと,さらには生涯を通じて神智主義,神智協会の影響が決定的に重要であったことは,これまでそれほど深くは論じられてこなかった。しかし,ケンパーが言うようにダルマパーラにおける神智主義が世上考えられているよりはるかにその影響が決定的であったことは否定すべくもない。さらに,神智協会が母体となってセイロンに創設された仏教神智協会は,ダルマパーラの大菩提会とは仇敵のような立場ではあったが,ともに仏教ナショナリズムを強硬に主張した点では共通していた。仏教神智協会には,S.W.R.D. バンダーラナーヤカ,ダッドリー・セーナーナーヤカ,J.R. ジャヤワルダナなど,長く独立セイロン,スリランカを支えた指導者が集まっていた。その後の過激派集団JVP への影響も含めて,神智主義の普遍宗教理念が,逆に生み出したさまざまな分断線は,現在まで混乱を招いている。同じように,インド・パキスタン分離を避けられなかったマハートマ・ガンディーとともに,神智主義,秘教思想を媒介にしたその「普遍主義」の功罪について,その責めを問うというよりは,たとえそれが意図せざる帰結ではあっても,その背景,関係性,経緯などを解きほぐす系譜学的研究に委ねて,問い直されるべき立場にある。
著者
萩本安昭木下勝博萩原隆一 三橋 信男 椎木 淳一 杉本 良一
出版者
安全工学会
雑誌
安全工学 (ISSN:05704480)
巻号頁・発行日
vol.20, no.3, pp.127-132, 1981-06-15 (Released:2018-02-28)

一般家庭用電気器具の電源スィッチを用いて,これをON,OFFする際に接点間で発生する需気火花による可燃性混合気への着火実験を行なった.実験用スイッチとしてはキーソケットスイッチ,中間スイッチおよび埋込スィッチを使用し,負荷用の電気器具としては白熱電球,換気扇,螢光灯および抵抗器を使用した.また可燃性ガスとしてはメタンおよびプロパンを使用した.その結果,1)キーソケットスイッチのOFF時が最も着火しやすい,2)スイッチON時よりもOFF時の方が着火しやすい 3)誘導性負荷である電気器具のスイッチをOFFした場合の方が,抵抗負荷の場合よりも小さなエネルギーで着火する 4)着火に必要なエネルギーはスイッチの種類や回路条件などによって左右され,数mJで着火する場合もあれば,数Jでも着火しない場合もあることなどがわかった.
著者
杉本 良子
出版者
日本科学史学会
雑誌
科学史研究 (ISSN:21887535)
巻号頁・発行日
vol.40, no.219, pp.140-150, 2001 (Released:2021-08-16)

The problem of the units of X-ray exposure originated from the fact that therapists wished to grasp the relationship between the quantity of irradiated X-ray and its effect on medical treatment, and to make a comparative study of each therapeutic result by the same measure. This problem was an interdisciplinary one between physics and radiotherapeutics. In 1925, the Radiological Society of North America settled the Committee on Standardization of X-ray Measurements to study the problem of measuring X-rays, and to guide the members of the Society. The committee was composed of physicists and radiologists in equal number. They developed a large-sized standard chamber and a portable one. L. S. Tayler transported the portable chamber to Europe and by using it he compared and exmined British, German and French standard chambers, confirming that each of them could be used as a common standard chamber. Based on these facts the ICRU presented the Annex to the recommendations of 1934 on the standard measuring apparatus. It was shown by physicists that the effect on the human body was not represented only by the quantity of irradiated X-rays and that a description of the quality of X-rays was indispensable. As radiologists' understanding deepend, they came to actively submit proposals to radiological societies in the 1930's. Taking their opinions into consideration, the ICRU recommendations which were practicable for medical purposes were issued in 1937. The effort of American and British radiological societies for a better solution beyond disciplines is suggestive in dealing with interdisciplinary issues.
著者
杉本 良男
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.27, no.4, pp.615-681, 2003

「儀礼」の概念は,ヨーロッパ・キリスト教世界とくにプロテスタントからは否定的なイメージをもたれている。そこには,カトリックとプロテスタントとの対立関係が潜在しているが,とくに19世紀イギリスにおける「儀礼主義」は,福音主義者からのはげしい非難にさらされた。1830年代をさかいにイギリス植民地政策そして宗教政策は,現地主義から文明化路線へと大きく転換をとげた。それは,福音主義的なイデオロギーに基づく変革であり,そのことが,当然ながら植民地スリランカにおける宗教儀礼のあり方にも大きな変化を与えた。小稿では,ポルトガルに始まり,オランダを経てイギリスの植民地支配を経験したスリランカにおいて,「儀礼」がどのような視線にさらされ,またその視線をどのように受け止め,さらにその結果,現在どのような存在形態を示しているのかについて,系譜学的に跡づけたものである。
著者
杉本 良男 Yoshio Sugimoto
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.285-351, 2012-02-27

小論は,スリランカの仏教改革者でかつ闘う民族主義者としてのアナガーリカ・ダルマパーラの流転の生涯,およびそれ以後のシンハラ仏教ナショナリズムの展開に関する人類学的系譜学的研究である。小論ではダルマパーラの改革理念のもつ曖昧性や不協和にこだわり,あらたに再編されたシンハラ仏教を,近代西欧的,キリスト教的モデルを否定しながらその影響を強くうけたものとして,その理想と現実との食い違いを明らかにする。こうした改革仏教はオベーセーカラによって2 つの意味を持つ「プロテスタント仏教」と名づけられた。ひとつには英国植民地支配に「プロテスト」するためのシンハラ仏教ナショナリズムと深く関わっている。ふたつには,マックス・ウェーバーのいう在家信者を主体とするプロテスタント的な現世内禁欲主義を仏教に応用しようとしたものである。しかしながら,ダルマパーラの急進的なナショナリスト的改革はいったん頓挫し,1950 年代半ばのバーダーラナーヤカ政権の「シンハラ唯一」政策などによって実質化されることになった。そのさい仏陀一仏信仰を旨とするプロテスタント的仏教は,宗教的に儀礼主義と偶像崇拝を排除し,また政治的にはタミル・ヒンドゥー教徒などの少数派を排除する論理を提供した。もともとナショナリズムと親和的なプロテスタンティズムの論理が貫徹したシンハラ仏教ナショナリズムはそれまであいまいであった民族間,宗教間の対立を実体化し深刻化する結果を招いた。ダルマパーラの改革仏教はそうした紛争の一因を提供した意味においても評価されなければならない。