著者
岸上 伸啓
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.4, pp.505-527, 2006-03-31

本稿では、カナダ国モントリオールの都市イヌイットをめぐる私自身の人類学的な調査を検討することによって、人類学的実践の限界と可能性を論じる。本稿で概略したように、私は1996年からモントリオールの都市イヌイットの中で人類学的な調査を実施してきた。そして1997年調査の結果は、モントリオール在住の何人かのイヌイットがモントリオール・イヌイット協会や月例夕食会を開始する契機となった。人類学者として私は都市イヌイットの民族誌を作成しようとした。また、同時にモントリオール・イヌイット協会のボランティアの協力者として協会に関係する問題に関して都市イヌイットの間や、彼らとカナダ政府の役人との間で仲介者の役割を果たしてきた。さらに、協会の代表者たちやカナダ政府の役人たちは、彼ら自身の目的のために私のデータや調査結果を利用している。前者の人たちは、カナダ政府からよりよい経済的な援助を受けようとして私の調査データを利用している。後者の人たちはオタワで政策を立案するために都市イヌイットの現状をよりよく理解するためにデータを利用している。このような状況の中で、私は人類学的実践や人類学者の役割を再考せざるを得なかった。とくに私は私自身の調査が多くの人々の生活に影響を及ぼすことを知ったので、人類学的な調査を行なう時には、倫理的な問題とかかわらざるを得ない。私は、文化人類学の目的とは現地調査において当事者と外部の両方の視点から、ほかの諸民族や諸社会とのかかわりの中で所与の人々が産み出す実践や言説、社会・文化現象を理解し、記述することであると考えている。この論文で示したように、人類学者は、主流社会に属する人々が無視する傾向があった人々の生活や文化を描き出すことができる。これは人類学の学術的な意義のひとつである。さらに、そのような調査の結果は、不遇な境遇にある人々の生活を改善させるための社会運動や政策形成に応用することができるので、人類学者は実践的なやり方で人類の諸問題の解決に大いに貢献することができる。概して現代の人類学は、目的に応じて民族誌の作成と応用人類学に大きく分けられる傾向にあるが、実際には両者の実践は相互に関係している。すなわち、長期の現地調査に基づいた研究は、現代の世界における数多くの多様な問題の解決に応用することができる。近年、「行動人類学」や「公共人類学」が人類学者の間で注目されてきた。本論文で私自身のモントリオール調査の事例で紹介したように、人々の生活に影響を及ぼす人類学的な実践の正当性の問題や集団内に派閥を作り出したような多くの倫理的な問題が付きまとう。これらの問題を避けることは不可能であるが、すべての人類学的実践を人類学者自身が自省しつつ行なうこと、そしてその人類学者以外の人がその実践を評価・批判し、常に相対化することによって、状況は改善されるであろうと私は主張する。最後に、民族誌的な表象における「文化を書く」ショックの問題を取り上げたい。ほかの諸民族や諸文化を研究し、記述する時に、新しい民族誌の描き方を開発するだけでは文化を記述する諸問題を解決することはできない。なぜならば、その間題は部分的には調査者とかれらのインフォーマントとの間にある世界システムが生み出す政治経済的な権力関係の不平等性に基づいているからである。しかしながらこの間題を部分的にせよ解決するもしくは改善させるためには、私は、個々の書き手(人類学者)、共著者(人類学者とインフォーマント)、インフォーマントおよび彼らと同じ集団のほかの成員、そのほかの読者(民族誌の消費者)が参加し、表象を検討しあうフォーラムの場をつくり、評価・批判しあう方が、新たな人類学的な知識、さらには新たな民族誌表象を生み出す可能性があるという点ではるかに実り多いと主張したい。民族誌に関するこの種のフォーラムでは、個々の民族誌の文化表象や集団表象の諸問題を完全には解決することはできないが、新しい人類学的な知識を生み出す刺激を提供することができる。
著者
岡田 宏明 池田 透 岸上 伸啓 宮岡 伯人 小谷 凱宣 岡田 淳子 黒田 信一郎
出版者
北海道大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1991

平成3年度から継続して、平成4年度にも2回の研究集会を札幌と網走で開催し、研究会は計4回を数えた。その間に、代表者をふくめて、研究分担者全員が、順次研究発表を行ったが、研究集会以外にも、北海道立北方民族博物館で毎年秋に開かれるシンポジウムにも、半数以上の研究分担者が参加し、研究発表や討論を通じて、情報や意見を交換する機会をもった。平素は、別々の研究機関に促し、それぞれ独立に調査研究に従事している代表者および分担者は、2年間に、かなりな程度までお互いの研究成果を知ることができ、このようにして得た広い視野に立って、最終的な研究報告をまとめる段階に到達した。研究報告書は10篇の論文から構成され、アイヌ文化に関するもの2篇、北西海岸インディアン2篇、イヌイト(エスキモー)1篇、サミ(ラップ)1篇、計7篇は文化人類学に視点をおくものである。その他に、東南アラスカの現地の人類学者による寄稿1篇が加えられている。その他の2篇は、言語学関係のもので、北欧のサミと、北東アジアのヘジェン語を主題としている。研究報告書には、シベリア関係の論文がほとんど掲載されていないが、平成4年5月に刊行された「北の人類学一環極北地域の文化と生態」(岡田、岡田編、アカデミア出版会」に代表者および分担者による8論文のうち、3篇はシベリア原住民に関するものである。平成4年度未に刊行される研究報告書は、上記の「北の人類学」と一対をなすものであり、両者を総合することによって、わが国の環極北文化の研究は確実に一歩前進したと見ることが可能であろう。論文に掲載されなかった資料やコピー等は、北海道大学と北海道立北方民族博物館に収集、保管し、今後の研究に役立てたいと考えている。