著者
平出 昌嗣 ヒラデ ショウジ Hirade Shoji
出版者
千葉大学教育学部
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要 (ISSN:13482084)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.359-364, 2013-03

イギリスは旧世界として階級意識が根強くあり,下層から上層階級へ出世する物語,あるいは階級の束縛から脱出する物語など,小説も階級意識を多少なりとも反映する。一方,新世界アメリカは自由の国であり,旧世界のような階級意識はないが,代わりに,南部では黒人差別,北部では貧富の差が社会問題としてよく描かれる。また人間の成長を描く際に,イギリスは経験に価値を置き,アメリカは無垢に価値を見る傾向がある。前者では,主人公はつらい経験を通して真の自己に目覚め,人間的に成長するが,後者では,どんな経験によっても失われることのない生まれつきの心が重視される。また各文学を特徴づけるイメージを一つ挙げれば,アメリカ小説は道,イギリス小説は家になる。道は自由,あるいは未来志向の,家は安定,あるいは伝統志向の象徴になる。
著者
平出 昌嗣
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要 (ISSN:13482084)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.203-208, 2006-02-28

日本は湿気の多い国であり,その文化も,まるで霞に包まれたかのように,曖昧で,流動的で,しっとりした情緒を重んじる。一方,湿気が少なく,空気が澄んでいる西洋では,明るい光を当てるかのように,鮮やかなもの,明確なもの,ドライで理性的なものを好む。それは人の話し方や生き方,あるいは絵画や音楽や文芸にも見て取ることができる。例えば西洋の油絵は事物を立体感や重量感を持ってリアルに描き,日本の水墨画は,まるで霧がかったように,平面的であっさりしていて,何も描かない空白部分を多く持つ。言い換えれば,日本は包む文化であり,むき出しのもの,裸のものを隠そうとするが,西洋は広げる文化であり,覆いを取り払ってすべてを光の下に明らかにしようとする。文芸に描かれる理想の空間も,日本では人をやさしく包んでくれる子宮のような閉じられた空間であり,西洋は天から光が降り注ぐ明るく開かれた空間になる。
著者
平出 昌嗣 ヒラデ ショウジ Hirade Shoji
出版者
千葉大学教育学部
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要 (ISSN:13482084)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.249-253, 2014-03

この18世紀の小説は,小説が本来持つべき主題と秩序と統一という概念を故意に壊そうとした作品であり,遊びと笑いの精神に満ちている。主人公の人生はほとんど描かれず,描かれるものは主人公の周囲にいる父親や叔父ばかりである。またプロットも,時間を追い,因果律に従って展開するのではなく,語り手の気分によって自由かつ奔放に展開していく。連想法というのがその方法であり,主人公の物語を進めるふりをして,脱線につぐ脱線で,その脱線ぶりを楽しみ,本筋はほとんど進まないというのが,基本的なパターンになる。さらに語り手は聞き手を人格化し,紳士淑女にひんぱんに話し掛けては,おしゃべりを楽しむ。また白紙や黒塗りのページなどの視覚効果も繰り返し現れる。このように,この小説のおもしろさは小説の概念を大胆に破壊し,読者を翻弄するところにある。This eighteenth-century novel aims to destroy the idea of theme, order and unity which any novel should have as a work of art, and has the lively spirit of play and laughter. What is drawn is not the life of the protagonist, but those of his father and uncle. The plot is made, not on the basis of time and causality, but according to the mood of the narrator, so it goes along free and extravagant. The method is that of association of ideas, by which the story makes digression after digression under the pretense of progression. Furthermore, the narrator enjoys the casual conversation with ladies and gentlemen, the personified listeners of his story. He also makes an appeal to the eyes, providing a blank or a black page, or line drawings. In this way, this novel enjoys throwing readers into confusion caused by the destruction of the idea of a novel.
著者
平出 昌嗣
出版者
千葉大学教育学部
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要 (ISSN:13482084)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.243-251, 2008-03

この小説のテーマは,主人公の心における愛の誕生である。物語の根本にあるものは時間と愛の対立であり,時間とは,ロンドンに響き渡るビッグ・ベンに象徴されるように,人と社会を支配する現実の絶対的な力になる。クラリッサはその時間の世界で,国会議員の妻として華やかに生きてきたが,老いと死の不安に脅かされたとき,深い孤独と虚無に直面する。それは時間の世界に生きる者の宿命である。しかし三十年ぶりにピーターと再会したとき,心の底から蘇ってきた愛の喜びを知る。物語のプロットとは,時間の世界を抜け出て愛に目覚めるその心の動きになる。それは,心の自由を得るため,窓を開けて投身自殺をするセプティマスの異常な行為と重なる。時間の窓を開けて永遠の愛の世界に飛び込むクラリッサの心も一種の狂気になるが,それによって彼女は時間と死の力に打ち勝ち,魂の再生と歓喜を得ることができる。
著者
平出 昌嗣
出版者
千葉大学教育学部
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要 (ISSN:13482084)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.345-350, 2017-12

[要約] 日本語は母音優位の言語で,ほとんどすべての語が母音で終わる。発音は胸式呼吸で,語感は穏やかで柔らかなものになる。英語は子音優位の言語で,基礎的な語の8割は子音で終わる。発音は腹式呼吸で,破裂音や摩擦音があるため,語感は強く鋭いものになる。リズムは,日本語は一語一語を同じ強さ,同じ長さで発音し,高低アクセントがある。英語は強・弱アクセントの組み合わせで成り立ち,強アクセントが一定の間隔で繰り返されるため,そのリズムに合わせて音が引き伸ばされたり短縮されたりする。この音とリズムは文芸に反映し,日本語は和歌・俳句や歌舞伎のセリフなど,七五調や四拍子に合わせて文が作られる。英語は詩やシェイクスピアのセリフなど,強弱のアクセントの組み合わせでリズムが作られ,そこに言葉が当てはめられる。背後には稲作文化の安定志向,牧畜文化の前進志向がある。
著者
平出 昌嗣
出版者
千葉大学教育学部
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要 (ISSN:13482084)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.359-364, 2013-03

イギリスは旧世界として階級意識が根強くあり,下層から上層階級へ出世する物語,あるいは階級の束縛から脱出する物語など,小説も階級意識を多少なりとも反映する。一方,新世界アメリカは自由の国であり,旧世界のような階級意識はないが,代わりに,南部では黒人差別,北部では貧富の差が社会問題としてよく描かれる。また人間の成長を描く際に,イギリスは経験に価値を置き,アメリカは無垢に価値を見る傾向がある。前者では,主人公はつらい経験を通して真の自己に目覚め,人間的に成長するが,後者では,どんな経験によっても失われることのない生まれつきの心が重視される。また各文学を特徴づけるイメージを一つ挙げれば,アメリカ小説は道,イギリス小説は家になる。道は自由,あるいは未来志向の,家は安定,あるいは伝統志向の象徴になる。
著者
平出 昌嗣
出版者
千葉大学教育学部
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要 (ISSN:13482084)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.249-253, 2014-03

この18世紀の小説は,小説が本来持つべき主題と秩序と統一という概念を故意に壊そうとした作品であり,遊びと笑いの精神に満ちている。主人公の人生はほとんど描かれず,描かれるものは主人公の周囲にいる父親や叔父ばかりである。またプロットも,時間を追い,因果律に従って展開するのではなく,語り手の気分によって自由かつ奔放に展開していく。連想法というのがその方法であり,主人公の物語を進めるふりをして,脱線につぐ脱線で,その脱線ぶりを楽しみ,本筋はほとんど進まないというのが,基本的なパターンになる。さらに語り手は聞き手を人格化し,紳士淑女にひんぱんに話し掛けては,おしゃべりを楽しむ。また白紙や黒塗りのページなどの視覚効果も繰り返し現れる。このように,この小説のおもしろさは小説の概念を大胆に破壊し,読者を翻弄するところにある。This eighteenth-century novel aims to destroy the idea of theme, order and unity which any novel should have as a work of art, and has the lively spirit of play and laughter. What is drawn is not the life of the protagonist, but those of his father and uncle. The plot is made, not on the basis of time and causality, but according to the mood of the narrator, so it goes along free and extravagant. The method is that of association of ideas, by which the story makes digression after digression under the pretense of progression. Furthermore, the narrator enjoys the casual conversation with ladies and gentlemen, the personified listeners of his story. He also makes an appeal to the eyes, providing a blank or a black page, or line drawings. In this way, this novel enjoys throwing readers into confusion caused by the destruction of the idea of a novel.
著者
平出 昌嗣
出版者
千葉大学教育学部
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要 (ISSN:13482084)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.207-212, 2011-03

小説の理想として,リドゲイトとドロシアの結婚がある。なるほど,二人は別々の人生を生き,その結婚が描かれているわけではない。しかし,ドロシアにとってリドゲイトは,医療改革をしようとする理想への献身において彼女の理想の男性像であるし,またリドゲイトにとってもドロシアは,身を捨てて夫を助けようとする献身的な態度において理想の女性像である。実際二人は,最も苦しいときに相手の魂に触れ,深い心の交流を体験しており,精神的,象徴的な意味での夫婦となっている。しかし実際の物語では,どちらもその理想を体現しない利己的な相手と結婚することで挫折する。それは作者が,理想を受け入れない社会の現実を描きたかったからに他ならない。しかしながら,その理想の夫婦像は,労働者階級のガース夫妻に描かれている。そこには,人々のために働こうとする労働者の価値観こそが社会を支えるものとする作者の信念がある。The ideal in the novel is the marriage between Lydgate and Dorothea. It is not realized, to be sure, and they live their separate lives. But Lydgate is an ideal figure for Dorothea in his dedication to the medical innovation, while Dorothea is an ideal woman for Lydgate in her self-sacrificing devotion to her husband. They have communion at the nadir of their lives, which suggests that the two are man and wife in a spiritual or symbolic sense. Each of them, in reality, is frustrated in the novel, married to an egocentric partner who does not have an altruistic ideal. The author, depicting failures of marriages instead of the ideal marriage, intends to represent the reality of society that will not accept the ideal. The ideal marriage, however, is depicted in the Garths. In it is shown the author's belief that a worker's eager and sincere intention to work for people's happiness supports the society.
著者
平出 昌嗣 ヒラデ ショウジ Hirade Shoji
出版者
千葉大学教育学部
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要 (ISSN:13482084)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.187-194, 2009-03

家父長制あるいは男性原理の強い現代社会は,母不在の精神風土を持つ。父の元で育ち,父を失って孤児となったジュードは,深い孤独の中で,「光の都」で学者になるという夢を追う。それは心理的には,もう一度父に属したいという願望を反映する。しかしスーと出会ったとき,彼はその社会的夢を捨て,スーとの愛に生きる決心をする。それは,ジュードの中に欠如していた母を求める願望と言っていい。一方,スーも父の元で育った女性であり,愛に生きようとする女性原理が強く抑圧されている。だからジュードに愛を感じても,同時に彼を退けようともする。それでも,二人一緒に暮らし,愛を育もうとするが,内にある父の支配力は強く,最終的に,それぞれが父の元へ戻ろうとする。即ち,ジュードは「光の都」に戻り,スーは父親像を体現する最初の夫フィロットソンの元へ戻って,愛は崩壊する。このように,ジュードもスーも,母不在の社会の犠牲者になっている。The modern society governed by patriarchy or the male principle is characterized by the absence of mother. Jude was brought up by his father, but when he lost him and became an orphan, he pursued the dream of becoming a scholar in "the city of light" in his loneliness. Psychologically the dream reflects his wish to belong to the father again. But when he sees Sue, he decides to live for love with her, abandoning his dream. The decision reflects his unconscious wish to see his unseen mother. Sue, however, was also brought up by her father and her female principle is strongly suppressed. She loves Jude, but refuses him at the same time. It is true that they live in love with each other, but the father's rule within is so strong that they return to their fathers: Jude goes back to "the city of light," while Sue returns to her father-like first husband. In this way, they become the victims of the modern mother-lacking society.