著者
手嶋 英貴
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 = Journal of humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.115, pp.27-49, 2020

インドの大叙事詩『マハーバーラタ』第14巻「アシュヴァメーダの巻」は, 同族戦争の後に行われる主人公ユディシュティラ王のアシュヴァメーダ祭を主題としている。この祭では, 供犠にする馬を事前に一年間放浪させ, それを軍勢が追跡・守護することになっている。叙事詩では, その儀礼を題材とする挿話「祭馬追跡譚」が織り込まれ, この巻のハイライトとなっている。注目すべきは, この挿話の内容が, 仏典に現れる転輪王の代表的説話「輪宝追跡譚」に類似することである。「輪宝追跡譚」は, 仏教の理想的君主である転輪王が, 天の輪宝を軍勢とともに追跡し, かつ同時に, 武力を用いることなくただ威徳によって四方を平定する説話である。叙事詩と仏典, 双方の物語には主に次の共通点が見られる。(1)「追跡される対象(祭馬/輪宝)が東・南・西・北の順に大地を巡回する」, (2)「追跡者が行く先々で他国の王たちを帰服させる」, そして(3)「諸王に対し『殺されるべきではない』(パーリ語 na hantabbo/サンスクリット語 nahantavyās)という王の言葉が繰り返し語られる」という三つである。これらの共通点を手掛かりに, 本稿では諸文献の比較を通じて, 仏典の「輪宝追跡譚」が叙事詩の「祭馬追跡譚」に影響を及ぼしていたことを明らかにする。さらに, 叙事詩作者が仏教説話の要素を取り入れた背景を探るため, 『マハーバーラタ』第14巻の主題, つまり「戦争の生き残りたちが抱える怨嗟と悔恨を鎮める」というテーマに目を向ける。結論として, 叙事詩作者が, 「武力を用いず徳力によって人々を帰順させる」という仏教的「転輪王」の観念を反映させることで, ユディシュティラの人物像を物語のテーマに即したものへと発展させたことを推論する。Yudhisthira's Aśvamedha depicted in the Āśvamedhika-Parvan (ĀśvP) of the Mahābhārata (MBh) is characterised by the long episode of chasing the sacrificial horse, in which Arjuna as the chief of horse guards often fights against the bereaved kin of Kauravas, and finally subjugates them by expressing a merciful message from King Yudhisthira. The most remarkable thing in our discussion is that the horsechasing episode in the ĀśvP shows some similarities to an episode of Cakravartin found in some early Buddhist texts: (1) the monarch tours in all directions while chasing the royal symbol (horse or cakra 'wheel'); (2) the monarch subjugates the kings in all directions; (3) the monarch repeatedly expresses his merciful message with the same word "not to be killed" (Pa. na hantabbo/Skt. na hantavyās). Based upon some examinations, including the comparison with the above-mentioned Buddhist texts, we may suppose that the horse-chasing episode in the ĀśvP borrowed its outer frame from some sort of the cakra-chasing episode in the Buddhist tradition, which was circulated at the time of compiling the ĀśvP. On the other hand, the story of ĀśvP focuses on the "peace of survivors' minds". Yudhisthira's Aśvamedha itself has the function of purifying his all sins. The remaining issue is "appeasing the grudge of bereaved opponents after war", and the horse-chasing episode depicts on how Yudhisthira accomplishes this difficult task. The cakrachasing episode in the Buddhist tradition was probably an important source of the entire plot of the horsechasing episode in the ĀśvP, and it provided also the conceptual basis of Yudhisthira's figure in the ĀśvP, viz. the "merciful ruler" who appeases the grudge of opponents with his own virtue.
著者
手嶋 英貴
出版者
京都文教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011-04-28

強力な王のみが挙行を許されたアシュヴァメーダ(馬犠牲祭)は、インド史上最も大規模かつ壮麗な祭として知られる。その記述は紀元前以来、ヴェーダやウパニシャッド、叙事詩を始め多くの古典文献に残されており、儀礼のみならず、思想、文学の諸領域にわたる広範な文化的影響が見られる。しかしその重要性に反して、アシュヴァメーダに関する領域横断的な学術研究はほとんど未着手のままであった。本研究では、上述の三領域を横断する形で緻密な文献調査を推し進め、総合的な視野におけるアシュヴァメーダ研究を行ってきた。これにより、インドの社会・文化への理解を促進する新たな知見を確立することが出来た。
著者
手嶋 英貴
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.1072-1080, 2014-03-25

『マハーバーラタ』(Mahabharata)第14巻(MBh14巻)は「アシュヴァメーダの巻」(Asvamedhika-Parvan)と名付けられており,ユディシュティラ王による大掛かりなアシュヴァメーダ挙行の経緯を描いている.そこでは,大戦争を通じて多くの同族を殺した王が,その罪からの解放を願い,効験あらたかな滅罪儀礼であるアシュヴァメーダを行う.その上で,本祭に先だち十ヶ月間放浪する馬をアルジュナが守護し,各地で戦争の残敵を撃破する英雄譚が展開される.他方,MBh 14巻には,断片的ではあるが,アシュヴァメーダの祭式描写が数多く含まれており,そこからこの巻の編纂者がどのような祭式学的知見を有していたかを推知しうる.そのうち特に注目されるのは,MBh 14.91.7-19で描かれているダクシナー(祭官への報酬)の描写である.そこには,Satapatha-Brahmana=(SB)など,一部のヴェーダ祭式文献が示す規定と共通する要素が認められるからである.本稿では,これら祭式文献のにおけるダクシナー規定と,MBh 14巻におけるダクシナー描写とを比較し,同巻編纂者がどのような祭式学的知識をもち,またそれを物語の劇的展開にどう活用したかを考察した.その主な検討結果は以下のとおりである.(1)MBh 14巻におけるダクシナー描写には,祭式学の視点から次の三つの特徴が指摘できる:[A]アシュヴァメーダのダクシナーを「大地」とする(MBh 14.91.11a-b);[B]祭式終了後,祭主は森林生活に入る(MBh 14.91.12a);[C]大地(国土)は四等分されて四大祭官に分与される(MBh 14.91.12b-d).(2)祭式文献の規定を照合すると,上記[A]〜[C]の三特徴は,アシュヴァメーダのほかプルシャメーダ,サルヴァメーダを含む都合三祭式のダクシナー規定に散在している.つまり,MBh 14巻のダクシナー描写は,三つの異なった祭式規定の複合からなる.(3)祭式文献のうち,上記の三特徴を全て示すのはSBのほか,Sankhayana-およびApastamba-Srauta-Sutraだけである.このことから,MBh 14のダクシナー描写は,これら三文献に共通して伝えられている伝承に起源を持っていたと推測される.
著者
手嶋 英貴
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.1143-1150, 2009-03-25

古代インドにおいて行われたヴェーダ祭式のうち,王権に関わりをもつものとして,ヴァージャペーヤ(Vajapeya),ラージャスーヤ(Rajasuya),およびアシュヴァメーダ(Asvamedha,馬犠牲祭)が挙げられる.「戦車走行」は,この三祭式すべてが共有する祭事要素であるが,従来は専ら前二者の間でのみ比較研究がおこなわれ,残るアシュヴァメーダについては詳しい検討がなされていない.そこで本稿は,アシュヴァメーダの戦車走行に的をしぼり,主に『バウダーヤナ・シュラウタ・スートラ』からその記述部分を紹介する.あわせて,同文献のヴァージャペーヤ章とラージャスーヤ章にある戦車走行部分を参照し,それとの比較を通して,三祭式の間にある連続と不連続の両面を確認する.その結果,アシュヴァメーダにおける戦車走行の特徴は,概ね次のように説明されうる:ヴァージャペーヤやラージャスーヤの戦車走行が「祭主の対抗者に勝つこと」や,それを通じた「戦利品(食物,家畜など)の獲得」を表象するのに対し,アシュヴァメーダの戦車走行では,そうした意図がほとんど前面に現れない.しかし一方で,その祭事形式および使用される祭詞が,一年前の「馬放ち」の日に行われた「馬の池入り」祭事とほぼ同じである.このことから,アシュヴァメーダの戦車走行が「馬の池入り」の再現という一面をもち,また「池入り」と同様に馬(祭主の代理)の象徴的再生を意図していることが窺われる.ただし,「池入り」では馬が戦車に繋がれることはなく,戦車走行は,祭馬を他の二頭の馬とともに戦車につなぐ点で固有性を示す.したがって,アシュヴァメーダの戦車走行は全体として,ヴァージャペーヤやラージャスーヤと共通する戦車使用の要素と,アシュヴァメーダ内での先行祭事である「馬の池入り」を再現する要素とが結合したものと推測される.