- 著者
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新田 智通
- 出版者
- 日本印度学仏教学会
- 雑誌
- 印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
- 巻号頁・発行日
- vol.56, no.3, pp.1095-1101, 2008-03-25
ブッダの三十二相に代表されるような大人相は,しばしばブッダ超人化の所産とされてきたが,その一方で,大乗仏教や後代の部派仏教においては,それは観相の対象とされていたという見解も示されている.もしそうであるならば,相好はブッダを超人として飾り立てるだけのものではなく,むしろ何らかの象徴的な意味を有しているはずである.したがって本稿は,三十二相についての伝承を含んでいる「大譬喩経」(Mahapadanasuttanta,Dighanikaya所収)の注釈書を中心としつつ,他の初期・部派仏教文献にもよりながら,相好を観察することの意味について考察することを目的とする.一連の考察の結果,まず初期・部派仏教文献において,ブッダの相好は,彼の過去世における善業を表すと同時に,見る者の疑念を取りのぞき,さらにブッダに対する信を起こさせるものとして説かれていることが明らかとなった.加えて三十二相をそなえたブッダの身体は,『大毘婆沙論』においては「最上の正しいさとりにふさわしい器」と理解されていたが,それと近似的なことに,「大譬喩経注」(Mahapadanasuttatthakatha)においては,一般の人間の身体とは異なりまったく欠点のない完全体として説かれていた.したがって,ブッダの相好は,単に超人として彼を飾り立てるものであったというよりも,むしろ仏教においてそうした相好観が説かれるようになった当初から,以上のような象徴的意味を有していたと考えられる.