著者
新矢 昌昭
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.143-159, 2007-03-01

近年、世界的にみて宗教は社会的な場での影響力を高めている。社会的な場での影響を持つ宗教の考え方として市民宗教論や公共宗教論などがあるが、ここでは市民宗教論を考察する。何故なら、一部でわが国での神道や神社は「公共性」をもつ市民宗教として主張されているからである。だがそもそも近代日本では市民宗教として国家神道が存在していたと考えられる。そこで市民宗教としての国家神道がどのような位置づけであったのかを考える必要がある。本稿では、近代日本の市民宗教を「上から」の市民宗教と考え、更に国家神道を狭義と広義の視点から近代日本の市民宗教を検討し、現在における市民宗教としての神道のあり方を考察したものである。市民宗教国家神道
著者
新矢 昌昭
出版者
佛教大学社会学研究会
雑誌
仏大社会学 (ISSN:03859592)
巻号頁・発行日
no.27, pp.35-45, 2002

ウェーバーの支配理論において論じられている「カリスマ的支配」から「伝統的支配」への変化は,徳川政権の誕生から安定化を考察する有効な一っの方法であると思われる。カリスマにとってはその「使命」が重要である。日本においてこの使命は,鎌倉期以降,武家政権の正統的根拠である天道思想であった。しかしこの天道思想は,政権の交代も正当化するので,不安定であった。従って,徳川政権の安定化のためにはこの天道思想を変容し伝統化しなければならなかったのである。では,この天道思想が徳川政権誕生にどのように関わり政権g安定化の中でどのようにして変容していったのだろうか。更には,天道思想を正統的根拠とする将軍と,神孫為君を正統的根拠とする天皇がどのようにして正当性のバランスをとっていたのだろうか。本稿の目的は,天道思想を中心にこれらの点を明らかにする試みにある。天道思想力リスマ的支配正統的根拠
著者
新矢 昌昭
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.28, pp.165-180, 2000-03

「経済的個人主義」「宗教的個人主義」を二つの柱とする近代個人主義は,近代化によって非西洋の社会にもたらされることになった。しかし,その場合の多くは,経済的個人主義という自己充足的な個人であり,宗教的個人主義の非西洋社会での確立は非常に困難をともなうものであった。その困難を体言している人物の一人として夏目漱石を取り上げてみる。彼は,自己の「個人主義」を「淋しい」ものとして位置付けている。この「淋しさ」を論及することによって,非西洋社会における個人主義の確立の困難さを示せると思われる。夏目漱石個人主義「淋しさ」「自然」