著者
谷口 勝紀
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.33, pp.33-48, 2005-03

『簠簋内伝』は「宣明暦」の注釈書として編纂され、中世における陰陽道の重要なテキストとされてきた。しかし、これまでその内容について深く論じられることはなく、巻一に牛頭天王縁起が収録されていることから、祗園社を中心とした牛頭天王信仰の側からの論考が主であった。そこで、本書が暦注の書であることからも、その暦注の部分に改めて注目し、『簠簋内伝』の牛頭天王縁起を祗園社の由来譚としてではなく、暦注の典拠として読み解いていき、そこからこれまで触れられる事のなかった『簠簋内伝』の宗教世界に迫っていきたい。陰陽道『簠簋内伝』牛頭天王暦注祗園社
著者
室田 辰雄
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.35, pp.61-74, 2007-03

今回主題とする「文肝抄」は鎌倉後期に官人陰陽師の賀茂在材が編纂したとされる賀茂家陰陽道祭祀の次第書である。陰陽道祭祀に関しての研究は、従来、古記録や史書、道教経典、密教の儀軌書からの分析が大半であり、今まで明らかでなかった陰陽道側の言説を確認できる貴重な資料である。「文肝抄」の次第において特徴として挙げられるのは、院政期から鎌倉期の祭祀が見られる点と、地域社会との交渉であると思われる。その中でも、民俗社会における関連が見える「荒神祓」に関する分析を進める。結果、密教から荒神祓を取り込み、鎌倉中期の官人陰陽師賀茂在清が陰陽道儀礼に改編した。また、「文肝抄」における荒神は祓い清める対象であり、呪歌を詠むなど民俗社会への影響がみえる点もあった。また「文肝抄」?荒神祓?の影響を考察するために、中世末期成立安倍泰嗣編の「祭文部類」「荒神之祭文」を分析し、比較対象とした。結果、祓儀礼であった荒神祓は、荒神祭として祭られる対象となった。ただし、祭文の内容は祓の影響を受けている箇所もあり、祓から祭祀への移行した形跡を残している内容であった。「文肝抄」荒神祓賀茂家
著者
渡邊 浩史
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.31, pp.103-111, 2003-03

現在までこの「道化の華」の冒頭に用いられた「ここを過ぎて悲しみの市。」という一節は、ダンテの『神曲』からの引用であり、その翻訳としては、笠原伸生氏によっ提言された森鷗外訳『即興詩人』「神曲、吾友なる貴公子」の一節、「こゝすぎてうれへの市に」であると言われてきた。しかし、検討の結果、実はその翻訳は別にあるのではないか、という可能性が出てきた。小稿はその翻訳として、上田敏訳のテクストにあるものを一番大きな可能性とし、そこに書かれた「こゝすぎてかなしみの都へ」と「われすぎて愁の市へ」という訳稿を太宰が「道化の華」の冒頭に用いる際、一部改変し使用していたのだ、ということを提唱するものである。翻訳森鷗外上田敏ダンテ『神曲』
著者
青木 京子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.29, pp.41-51, 2001-03

「魚服記」の素材は、伝説「甲賀三郎」も重要な役割を果たしている。まず、「魚服記」には〈蛇〉の表記が四回も認められ、滝や渕の主とされる〈水神〉との関わりは深い。この〈水神〉を辿っていくと、大森郁之助氏の指摘による「八郎大明神」が想起され、そこから「甲賀三郎」があぶり出される。この題名から、「三郎と八郎のきこりの兄弟」の〈三郎〉が踏襲されているように思われる。「甲賀三郎窟物語」には、〈諏訪〉という表記が見え、母と夫の伯父の〈不義密通〉が描出される。〈諏訪〉は主人公の呼称〈スワ〉に、〈不義密通〉は、〈スワ〉と父との〈近親相姦〉に踏襲されている可能性は強い。〈スワ〉が滝に飛び込むシーン等は、伝説「龍になった甲賀三郎」に借材しているように思われる。大蛇甲賀三郎諏訪甲賀三郎窟物語龍になった甲賀三郎(伝説)
著者
田中 勝裕
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.33, pp.17-32, 2005-03

陰陽道で行われた反閇という作法の実態を知るための史料として、『小反閇并護身法』というものがある。この文献が発見されてから、小坂眞二氏をはじめ、陰陽道の反閇に関しての研究は進んだが、未だ不明な点はいくつか残されている。本稿ではそれらのうち、特に「天鼓」と「玉女」について考察したものである。反閇とは中国の「玉女反閉局法」を典拠にしたとされる陰陽道の作法であり、「天鼓」とはその中で行なわれるものであり、「玉女」とは作法中に現われる神格のことである。「天鼓」は今までその実態が言及されていない作法であり、また「玉女」については諸説あるものの、実態のはっきりとしない神格である。本稿はそれらについて分析したものである。反閉局法反閇天鼓玉女
著者
田中 勝裕
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.35, pp.29-43, 2007-03

陰陽道で行われた反閇に関する史料として『小反閇并護身法』という史料がある。そのうちの次第の一つである地戸呪の項には、用途によって呪の内容を変更するという記述がある。本稿ではそれらの用途に反閇が用いられる時、そこにどのような機能が期待されたのかを探る。具体的には典拠である反閉局法と小反閇作法の次第の比較や呪の解読(特に地戸呪に関する箇所)を行い、それらが何を目的にしているのかを明らかにすることで、反閇という作法の性格を探る。その上で、反閇の性格と、それが用いられた状況にどのような関係があるかについて考察する。なお、反閇に関してはいくつか表記があるが、論題など特別な場合を除いて、典拠とされる中国のものは「反閉局法」、陰陽道で用いられた場合は「反閇」に統一した。反閉局法反閇天門呪地戸呪
著者
山中 清次
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.36, pp.83-98, 2008-03

近世期の町場(都市) に依拠した修験者の研究は、修験道の全体像を捉える上で不可欠である。本稿では、町場の修験を「町修験」と規定して、彼らの姿を再構成しようとするものである。政治・法制史や宗教史学等の成果を取り入れつつも歴史民俗学的な立場に立ち、修験の置かれた社会状況を考慮に入れて、町修験の生活実態や宗教活動からその特性や背景を追及した。都市に生きる民間宗教者の一類としての修験は、地方の百姓から転身したものが多く、弟子入りして修験の職分を身につけ渡世した。その住居生活から見ると「地借」「店借」の修験が圧倒的多数を占める。彼らは市中に雑居し妻帯の家族を持ち、祈祷やト占の活動の僅かな収入で、下層民と同様のその日暮らしていた。そうした生活を支えたのは祈祷師的渡世である。また、町方の信仰全般に関わり、町民の信仰的な要求に応えられる職分と験力を持っていたことによる。修験が町廻りをして祈願祈祷ができたのは、依頼者による選択自由という「帰依次第」の慣行が認知されていたからである。町修験店借修験帰依次第市中雑居
著者
平田 毅
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.28, pp.191-204, 2000-03

この小論は,カルチュラル・スタディーズにおける文化概念について概観し,その可能性および問題点を批判的に検討しようとするものである。カルチュラル・スタディーズの潮流は,既存の学問(ディシプリン)の伝統的なあり方に対して異議申し立てをしているともいえる。これは,カルチュラル・スタディーズの〈文化〉の捉え方自体が,サブカルチャーや対抗文化へのコミットメントを通じて形成されてきたことに起因するといえる。このカルチュラル・スタディーズの文化概念をS.ホールの主張から「大文字の文化と小文字の文化」のせめぎ合う場としてとらえ,従来の社会学における文化理論の中にも位置付けて,その有効性を論じてみた。反ディシプリン文化の政治学「折衝」コード大文字の文化と小文字の文化
著者
呉 世榮
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.33, pp.223-236, 2005-03

本稿では、1973年「福祉元年」体制のもとでの老人医療無料化制度の形成過程と、制度の実施が国民医療費に与えた影響を考察した。その結果、老人医療無料化制度の実施は、経済・社会的要因というよりは政治的要因によって強いられたものであったことが明らかになった。また、老人医療無料化制度は、国民医療費増加の根本的及び構造的原因を提供し、1980年代入ってから始まった強力な医療費抑制政策の契機となった。福祉元年老人医療無料化国民医療費福祉元年
著者
新矢 昌昭
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.28, pp.165-180, 2000-03

「経済的個人主義」「宗教的個人主義」を二つの柱とする近代個人主義は,近代化によって非西洋の社会にもたらされることになった。しかし,その場合の多くは,経済的個人主義という自己充足的な個人であり,宗教的個人主義の非西洋社会での確立は非常に困難をともなうものであった。その困難を体言している人物の一人として夏目漱石を取り上げてみる。彼は,自己の「個人主義」を「淋しい」ものとして位置付けている。この「淋しさ」を論及することによって,非西洋社会における個人主義の確立の困難さを示せると思われる。夏目漱石個人主義「淋しさ」「自然」