著者
新谷 尚紀
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.2, pp.343-368, 2014-09-30 (Released:2017-07-14)

折口信夫によれば和語の幸(さち)とは獲物を獲る威力でありそれを体内化する霊力であった。和語のしあわせは仕合せでありよいめぐり合わせの意味である。幸福(こうふく)はhappy, happinessの翻訳語である。和洋混淆語としての幸福(しあわせ)とは何か、それは人それぞれの感覚であり常在する実体ではなく、はかない夢まぼろしのごときものである。であればこそ、人びとはその再生への繰り返しとその持続と継続とを渇望したのであった。民俗学が昭和初年に実施した「山村生活調査」で語られていた仕合せとは、「財産・勤勉・長命・円満」のことであり、それを世代をつないで維持し継承することであった。食欲、性欲、名誉欲など瞬時で消える幸福(しあわせ)と再生される幸福(しあわせ)との関係、それは充電と放電の繰り返しにたとえることができる。充電という労働がなければ放電という享楽はない。伝承分析学としての日本民俗学の視点からいえば、ハレとケの循環の中に幸福(しあわせ)が再生産されている構造、それこそが幸福(しあわせ)の実在である、と読み取ることができる。
著者
関沢 まゆみ 新谷 尚紀 関沢 まゆみ 新谷 尚紀 トーマス Pギル
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

フランスではA. V.ジェネップの『フランス民俗学』(1949)に記述のある「五月の木」や「五月の女王」等の伝統行事の現在の伝承実態を追跡する調査を継続し、伝承が途絶えた例と維持されている例とが確認された。伝承維持の事例がプロヴァンス地方をはじめ計4カ所で確認され、その存否の背景に一定のリーダー的人物の関与が考察された。また伝承維持の力学の中に民俗信仰と聖人信仰との習合が認められた。一方、イギリス南西部においては現在も盛んに五月の木馬祭が行われており、観光化の促進という聖俗混淆の動態が英仏間で対比的にとらえられた。
著者
新谷 尚紀 関沢 まゆみ 三橋 健 比嘉 政夫
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2003

本研究では、ブルターニュとプロヴァンスという遠く離れた二つの地方の、聖人信仰と民俗行事の伝承、とくに復活祭前の二月に行われるカニヴァルと五月の春迎えを示す「五月の木」と呼ばれる祭礼行事、また夏の祭りとしてのサンテロワの馬祭りに注目した。かつて、A.V.ジェネップが調査した19世紀末から20世紀初頭のころには、「五月の木」はフランス各地にその伝承がみられたが、現在ではわずかにブルターニュのロクロナンとプロヴァンスのキュキュロンという二つの町のみに伝承されていることが判明した。そのキュキュロンの伝承で注目されたのは、まず「五月の木」という民間習俗が存在していたところに、後に聖人信仰が付着したという歴史であった。一方、カニヴァルについては、ニースの都市祭礼が有名だが、キュキュロンの2月の灰の水曜日に行われるサバやショバル・プランという村の2月の灰の水曜日に行われるベルとエルミットの祭りなどでは、より素朴な形態のカニヴァルの伝承の存在が明らかになった。そして、前回の科研調査で判明している敬虔な聖人信仰のブルターニュと比較して、プロヴァンスのカニヴァルにおいては聖人への信仰的要素が希薄で、娯楽的要素が強いという点が特徴的であった。また、夏の祭りとしての、サンテロワの馬祭りについて、ブルターニュのパルドン祭りと、プロヴァンスの馬祭りのパルドンなど聖人に因む民俗行事が一定地域ごとに特徴的な分布を見せている現状が明らかとなった。また、ブルターニュで最も主要な聖女とされているサンターヌへの信仰も、その本拠地であるサンターヌ・ドレーにおける熱心な信仰行事に対して、プロヴァンスの本拠地アプトという町のそれはやや世俗化の中にある。たがいに古い民俗行事を残し伝えているブルターニュとプロヴァンスの両者の関係について、さらに追跡すべき研究視点をえることができた。
著者
新谷 尚紀
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1997

本研究は、高齢化社会における老人と社会の問題に対して、近畿地方の伝統的な農村社会の典型例として奈良市大柳生、伝統的な都市社会の典型例として京都市東山区祇園弥栄地区をそれぞれフィールドとして民俗誌的研究を実施したものである。奈良市大柳生は宮座と両墓制のみられる村落で、その民俗調査研究の結果、以下の諸点が明らかになった。宮座の頂点に立つ長老衆に対しては特別な権威と敬意が村人たちから寄せられている。それは神社祭祀という特別な時間と場所に集中しているが、長老の存在はその妻や子供、孫までも含めて村落生活の様々な場で、その長寿の価値が村落内で暗黙の内に認められている。また、氏神の祭祀を重視する村落生活が背景となって、日常においても死の穢れを極端に忌避する生活が維持され、死体を埋葬する墓地を集落から遠く離れた山中に設営し、一方、石塔を建てる墓地は集落に比較的近い場所に設ける両墓制の形式が採用されており、死穢忌避の観念を背景とする宮座祭祀と両墓制との相関関係が推定された。京都市東山区祇園弥栄地区は、祇園八坂神社の門前におよそ正徳年間(1711-16)以降に開発されてきた繁華街の典型例であるが、この調査により以下の諸点が明らかになった。このような商業地域の場合、商家の定着率が低く人物の交流も家を単位とするよりも職業上の関係による部分が大きい。したがって、地元の祇園八坂神社の祭礼においても老舗としての商家の自覚と才覚とで一定の役割を担う老人がある一方では、他出したり移入したりした老人たちが多く、地域のすべての老人が活躍できるわけではない。むしろ、行政関与の老人福祉施策に対応した老人会の活動を通してその生きがいの確保をめざす老後の生活、自分の職業歴において獲得した人間関係を基本とした個人的な価値観に基づく生きがいの追及を試みる老後の生活など、多様な老後生活の充実への工夫がみられた。
著者
新谷 尚紀
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.2, pp.343-368, 2014-09-30

折口信夫によれば和語の幸(さち)とは獲物を獲る威力でありそれを体内化する霊力であった。和語のしあわせは仕合せでありよいめぐり合わせの意味である。幸福(こうふく)はhappy, happinessの翻訳語である。和洋混淆語としての幸福(しあわせ)とは何か、それは人それぞれの感覚であり常在する実体ではなく、はかない夢まぼろしのごときものである。であればこそ、人びとはその再生への繰り返しとその持続と継続とを渇望したのであった。民俗学が昭和初年に実施した「山村生活調査」で語られていた仕合せとは、「財産・勤勉・長命・円満」のことであり、それを世代をつないで維持し継承することであった。食欲、性欲、名誉欲など瞬時で消える幸福(しあわせ)と再生される幸福(しあわせ)との関係、それは充電と放電の繰り返しにたとえることができる。充電という労働がなければ放電という享楽はない。伝承分析学としての日本民俗学の視点からいえば、ハレとケの循環の中に幸福(しあわせ)が再生産されている構造、それこそが幸福(しあわせ)の実在である、と読み取ることができる。
著者
新谷尚紀著
出版者
岩田書院
巻号頁・発行日
1997