著者
村松 浩幸 砂岡 憲史 川瀬 忠 桜井 正広 坂口 謙一 平舘 善明 木下 龍 Muramatsu Hiroyuki Sunaoka Norifumi Kawase Tadashi Sakurai Masahiro Sakaguchi Kenichi Hiradate Yoshiaki Kinoshita Ryu
出版者
三重大学教育学部
雑誌
三重大学教育学部研究紀要 (ISSN:18802419)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.31-36, 2005

中学校技術科「情報とコンピュータ」において自動化学習用に開発した自動化簡易言語「オートマ君」の制御用DLLおよびUSBインターフェイスを、USB制御とパラレル制御の両方に対応できるように改良した結果、次の成果が得られた。(1)USB制御に対応させることで、OSおよびハードウェアの制約を少なくし、より多くの環境で自動化学習が可能になった。(2)USB制御とパラレル制御の両方に対応させることで、今までのハードウェア資産を生かしつつ、新しい環境での自動化学習に移行できるようになった。(3)改良した制御用DLLは使用法を公開し、他プログラム言語でも利用可能になった。
著者
木下 龍馬
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.128, no.1, pp.1-35, 2019

鎌倉幕府裁判研究では、訴状を取り次ぐ挙状と、有利な判決を求める口入はまったく別物として扱われてきた。しかし、近年の院政期裁判研究において、裁判像そのものの見直しが進み、挙状や口入などが同じく働きかけ(権限に基づく命令とは異なる要請)として捉えられるようになった。本稿はこの動向を踏まえ、口入的要素(挙状、口入、申入など)から幕府裁判を再考する。<br>第1章の主要な検討対象である本所挙状は、本所被管の訴を幕府に取り次ぐ文書である。初期の鎌倉幕府は、これらの訴に応じ、さしたる審理をせず武家被管を処分していた。つまり、本所挙状の要請の程度は強く、命令に近いものだった。しかし、承久の乱や御成敗式目制定を経た中期になると、本所側と武家被管側を問答対決させ、理非を判断するようになり、武家被管が勝訴する確率は上がった。本所挙状の効力は低下し、訴を幕府に伝達する役割に近くなっていく。<br>第2章の主要な検討対象である関東御口入は、鎌倉幕府が管轄していない事項(本所進止領や西国堺相論)について本所の審理・裁許を要請する行為である。関東御口入を行う文書は、関東挙状と呼ばれた。鎌倉中期までは、武家被管の訴状を幕府が本所に挙達し、本所が審理を行って裁許を下していた。関東挙状と本所挙状は鏡写しの関係にあった。しかし鎌倉後期になり、鎌倉幕府の実態的勢力が増大するにつれ、幕府からの要請の程度が強まり、本所の審理・裁許の自律性は失われた。すると幕府は、本所被管側と武家被管側を召出して、口入を行うべきかどうかの事前審理を行うようになった。<br>かくして、"武家への挙状"と"武家の挙状"は対照的な軌跡を描いたことを明らかにした。そして、直接命令せず口入を行う固有の領域を幕府が持ったことの意義を論じた。
著者
木下 龍馬
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.128, no.1, pp.1-35, 2019 (Released:2020-01-20)

鎌倉幕府裁判研究では、訴状を取り次ぐ挙状と、有利な判決を求める口入はまったく別物として扱われてきた。しかし、近年の院政期裁判研究において、裁判像そのものの見直しが進み、挙状や口入などが同じく働きかけ(権限に基づく命令とは異なる要請)として捉えられるようになった。本稿はこの動向を踏まえ、口入的要素(挙状、口入、申入など)から幕府裁判を再考する。 第1章の主要な検討対象である本所挙状は、本所被管の訴を幕府に取り次ぐ文書である。初期の鎌倉幕府は、これらの訴に応じ、さしたる審理をせず武家被管を処分していた。つまり、本所挙状の要請の程度は強く、命令に近いものだった。しかし、承久の乱や御成敗式目制定を経た中期になると、本所側と武家被管側を問答対決させ、理非を判断するようになり、武家被管が勝訴する確率は上がった。本所挙状の効力は低下し、訴を幕府に伝達する役割に近くなっていく。 第2章の主要な検討対象である関東御口入は、鎌倉幕府が管轄していない事項(本所進止領や西国堺相論)について本所の審理・裁許を要請する行為である。関東御口入を行う文書は、関東挙状と呼ばれた。鎌倉中期までは、武家被管の訴状を幕府が本所に挙達し、本所が審理を行って裁許を下していた。関東挙状と本所挙状は鏡写しの関係にあった。しかし鎌倉後期になり、鎌倉幕府の実態的勢力が増大するにつれ、幕府からの要請の程度が強まり、本所の審理・裁許の自律性は失われた。すると幕府は、本所被管側と武家被管側を召出して、口入を行うべきかどうかの事前審理を行うようになった。 かくして、“武家への挙状”と“武家の挙状”は対照的な軌跡を描いたことを明らかにした。そして、直接命令せず口入を行う固有の領域を幕府が持ったことの意義を論じた。

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著者
木下龍也
出版者
駒澤大学文学部文化学教室
雑誌
駒沢大学文化 (ISSN:02896613)
巻号頁・発行日
vol.3, 1977-03