- 著者
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木村 美幸
- 出版者
- 公益財団法人 史学会
- 雑誌
- 史学雑誌 (ISSN:00182478)
- 巻号頁・発行日
- vol.128, no.11, pp.1-26, 2019 (Released:2021-09-02)
本稿では、海軍志願兵募集や「海軍と地域」研究の課題に大きくかかわる海軍と在郷軍人の問題について、海軍の在郷軍人会に対する姿勢に注目して検討した。
海軍は、一九一〇年に在郷軍人会ができると、財源の問題と在郷軍人統制に対する立場の違いから不参加となった。不参加としたものの在郷軍人会に加入する海軍軍人もおり、制度上陸軍のみの団体である不都合を改善するため、一九一四年に在郷軍人会へ正式加入した。加入後に出された勅語には田中義一の影響などがあり、海軍の反対にもかかわらず「陸海一致」の文言が盛り込まれ、これ以降在郷軍人の「陸海一致」の根拠として使用された。
在郷軍人会に加入したものの、陸軍中心の状況は変わらなかった。一九一九年頃には第一次世界大戦の影響によって海軍も在郷軍人統制に力を入れることになり、在郷軍人会からの分離を含めて海軍在郷軍人の立場向上が模索された。一九二一年になると、各地に海軍在郷人の私的団体が結成されていく。これに対し海軍省人事局は、海軍在郷軍人が少数であり在郷軍人会に加入しなければならない地域を考慮して否定的な態度をとるが、志願兵募集状況を勘案した結果、在郷軍人会から分離しない形で事業を行う海軍班を、一九二五年に設置した。
海軍班は各地に設置され、海軍志願兵募集活動や宣伝活動などを地域で担った。しかし、海軍軍人は陸軍軍人と合同の分会の事業も行う必要があり、海軍軍人の不満が高まった。このため、海軍軍人のみで事業の出来る海軍分会を一九三六年に設置した。しかし、陸軍中心の状況は変わらず、海軍関係の事業のみでなく通常の分会としての活動も求められたため、海軍在郷軍人の不満が解消されることはなかった。
以上のように、海軍は独自の在郷軍人統制組織を持たず在郷軍人会に加入し続けた。ただし、これは決して在郷軍人のことを軽視していたからではなく、地域における在郷軍人の立場に配慮した結果であった。