著者
村越 行雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.A7-A35, 1992-03-20

"Reference and Definite Descriptions" (1966) の中でドネランによって主張された確定記述における指示的使用と属性的使用の区別という考えは, それ以前のストローソンの "On Referring" (1950) の批判を通して, リンスキーの "Reference and Referents" (1963) を手掛かりとしながら浮かび上がったものであるが, またそれはそれ以後のクリプキの "Speaker's Reference and Semantic Reference" (1977) とサールの "Referential and Attributive" (1979) において批判対象となったものでもある。その意味から言うと, ドネランの主張を中心に, 彼が批判対象としたストローソン, リンスキーの両主張そして彼を批判対象としたクリプキ, サールの両主張との比較検討を行なうことは, 単にドネランの主張のみならず, ストローソン, リンスキー, クリプキ, サールのそれぞれの主張をも明確にさせる結果となり, また各主張の比較を言語行為論的・語用論的視点から検討することにより, それぞれの主張における確定記述と話し手の指示の関係をより一層明確にさせ, 最終的にストローソン-リンスキー-ドネラン-クリプキ-サールの過程が話し手の指示に関する一つの歴史であることを浮き彫りにさせることにもつながるのである。
著者
村越 行雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.27-68, 1998-03-15

様々な種類の発話の中には, 発話される文の字義どおりの意味によって理解されるものもあれば, その文の字義どおりの意味によっては理解できないものもある。後者には, 幾つもの種類の発話が含まれるが, その中の一つとして, いわゆる間接的言語行為と呼ばれる発話がある。今回検討するのは, その「間接的言語行為」(indirect speech acts) と呼ばれる発話で, 特に間接的依頼を直接の対象にする。具体的な例としては, 間接的依頼として使用される "Can you pass the salt?" (「あなたは, 塩を手渡すことができますか。」) などがある。そのような間接的言語行為の存在そのものを疑い, その存在を否定する意見が出されてきているが, 果たして間接的言語行為は存在しうるのか, その存在の可能性をどこまで主張できるのかという問題に取り組むのが今回の目的であるが, その取り組み方には複数の方法・方向があり, それら全てを扱うことは今回はできないので, 間接的言語行為の代表的な理論の一つである Searle の間接的言語行為理論を中心にして検討を加えていくことにする。Searle の理論を選ぶのは, その基を成す Austin とSearle の言語行為理論自体の可能性を探る上でも, 極めて重要だからである。そして, Searle 自身の間接的言語行為理論のみならず, あくまでも言語行為理論の枠内での間接的言語行為の可能性を探る意味で, その他の間接的言語行為の理論 (説, 主張など) も対象にするが, Searle→Morgan→Bach and Hamish (+Clark)という具合に, Searle の理論を修正・補強・発展させる方向を中心に検討する。そのような意味で, 残念ながら, 言語行為理論の枠外での間接的言語行為の理論 (説, 主張など) は, 必要な限り取り上げ, 必要な限り検討する程度で, 深く入ることはできない。なお, 検討の順序は, 「はじめに」, 「間接的言語行為の問題点」, 「Searle による間接的言語行為の定義」, 「Searle による慣習的に使用される文の例と推論過程」, 「間接的言語行為の分類に関する Searle の問題点」, 「慣習の捉え方」, 「二行為の遂行の可能性」, 「間接的言語行為における文の形態と発語内的力の関係」, 「最後に」となる。
著者
村越 行雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.A57-A74, 2010-09-15

「嘘」という言葉の日常的使用における曖昧性を解明する意味で、最初に話し手側の立場に限定し、その上で11の基準に基づいて分析を実施した。具体的には、非事実性(反事実性)、自己認識性、意図性、欺瞞性、隠蔽性、目的性、悪意性、不利益性、自己保護性、拡張性(連鎖性)キャンセル性(修正・訂正、取り消し・撤回)の11基準である。以上の分析によって、全てが解明されるというわけではない。更なる基準の追加、聞き手側からの視点、1対1の関係以外の1対複数、複数対複数などの分析が必要になってくると言えるからである。ただ、嘘の解明を厳密にすることが果たして必要なのか、むしろ曖昧さにこそその本来の意義があると言えないのか、その他の疑問が当然生じてくるのであり、従って今回の分析は、それ以降に続く分析の第1歩としてではなく、あくまでもこれ自体で完結する分析として位置づけられるものである。更なる展開は、全体的な方向性を見た上でのことになろう。
著者
村越 行雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.45, pp.A57-A74, 2010-09

「嘘」という言葉の日常的使用における曖昧性を解明する意味で、最初に話し手側の立場に限定し、その上で11の基準に基づいて分析を実施した。具体的には、非事実性(反事実性)、自己認識性、意図性、欺瞞性、隠蔽性、目的性、悪意性、不利益性、自己保護性、拡張性(連鎖性)キャンセル性(修正・訂正、取り消し・撤回)の11基準である。以上の分析によって、全てが解明されるというわけではない。更なる基準の追加、聞き手側からの視点、1対1の関係以外の1対複数、複数対複数などの分析が必要になってくると言えるからである。ただ、嘘の解明を厳密にすることが果たして必要なのか、むしろ曖昧さにこそその本来の意義があると言えないのか、その他の疑問が当然生じてくるのであり、従って今回の分析は、それ以降に続く分析の第1歩としてではなく、あくまでもこれ自体で完結する分析として位置づけられるものである。更なる展開は、全体的な方向性を見た上でのことになろう。
著者
村越 行雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.A37-A83, 1995-03-15

言語哲学において重要な研究領域として位置付けられている指示研究には, フレーゲ的研究方法と反フレーゲ的研究方法 (いわゆる指示の新理論家の研究方法) の対立が全般にわたって見られる。本稿では, 特に指標詞と指示詞を取り上げて, その対立点を検討するのが目的であり, 具体的には指標詞と指示詞に対するフレーゲ本人の説明, そしてそれに対立するペリーとウェットスタインの説明を比較・検討することになる。なお, 一般的に解釈されているフレーゲ像が, 必ずしもフレーゲの真意を反映しているものとは言いがたく, 従って擁護するにしても, また批判するにしても, フレーゲの主張をより正確に解釈する必要があり, その意味で指標詞と指示詞に対するフレーゲの説明を多少詳細に検討し, それに続いてフレーゲの主張を批判するペリーとウェットスタインの主張を明確にする為に, 指標詞と指示詞に対するペリーとウェットスタインの説明を比較・検討することにする。指標詞と指示詞に対する説明の相違は, 単純な言い方をすれば, 指標詞と指示詞の指示 (指示物) が意味によって決定されるとするのか, それとも言語的意味と文脈的要素によって決定されるとするのかの対立によるもので, その点を具体的に検討していくことになる。
著者
村越 行雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.A1-A41, 1999-03-15

日常的な言語コミュニケーションに広く, しかも深く浸透している比喩的表現は, 言語表現の可能性を考える上で, なくてはならない重要な要素として存在している。その重要性を明らかにする意味で, 本稿では, 比喩の内, とくに隠喩, 換喩, 提喩の三つに焦点を合わせて検討することにする。具体的には, 「1. はじめに」のあとの「2. 言語表現全般の中での隠喩・換喩・提喩の位置付け」では, 「2-1. 字義性と比喩性」として, 転義説, 逸脱説などを調べ, 「2-2. 言われることと含意されること」として, 実際に口に出して言われる部分, それに実際には言葉によって表面に出ない部分に区別した場合, 隠喩, 換喩, 提喩のそれぞれがどちらに属するのかを調べ, 「3. 隠喩・換喩・提喩の存在意義」では, 「3-1. 隠喩の存在意義」と「3-2. 換喩と提喩の存在意義」として, 具体例を挙げながら, 隠喩, 換喩, 提喩のそれぞれの特徴を調べ, 言語表現全般に共通して言える的確さと効率性に基づく表現の経済性が, 比喩にも当てはまることをごく簡単に示し, 「4. 最後に」で終えるという検討順序である。なお, 本稿における狙いは, 説得性, 美的装飾性などの問題としてではなく, 比喩を表現の経済性の問題として捉えていくことである。ただし, 表現の経済性の問題をそれ自体として本格的に検討するのではなく, それへの橋渡し的な検討を行なうことで終えることにする。