著者
福田 博同
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.53, pp.A49-A75, 2018-03

建武頃(1334-35)山城で活躍した〔初代信国〕から応永頃活躍した三代信国までの刀匠〔山城信国〕については、『跡見学園女子大学文学部紀要』No.52,2017,p.79-107 1)(以下、「前号」という)で推敲した。本稿では、永享十二年(1440)豊前宇佐へ移住した四代信国からハ代信国までの〔宇佐信国〕や、慶長七年(1602)筑前へ移住した九代信国から明治までの〔筑前信国〕(総称し〔筑紫信国〕という)を中心に、より史実に近い系譜を推敲する。
著者
要 真理子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.58, pp.A139-A152, 2023-03

This article focuses on Vorticism --the only avant-garde art movement in Britain in the first half of the twentieth century-- and, more specifically on its central figure, Wyndham Lewis, dealing with the ideology found in texts and activities of Vorticists. The fact that the latter-mentioned group, which started in 1914 and ended the following year, envisaged an ideal urban plan based on a philosophy of vortex (the origin of this group’s name) is made clear in the avant-garde magazine Blast (1914, 1915), as well as and in the book the Caliph’s Design(1919), written by Lewis after the demise of the group’s activities. Unlike the avant-garde art movements of the 1920s in other Western European countries, there was no expansion from contemporary art to extensive urban planning in Britain. It is therefore worth noting the ambitious, if abortive, attempts at urban renewal that Vorticism left behind in its writings. In those writings, we can see that, for Vorticists, the city is always shaped by some force indicated by “vortex”. This vortical force is typically found in the designs in drawings and magazines created by the hands of Vorticists, but it was also a model for this urban restructuring. In the current article, we do not read these designs visually, but reconsider their design ideology - -which is common across genres such as painting, literature and architecture-- from the perspective of urban planning, specifically from Lewis’s texts.
著者
森 まり子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.58, pp.71-105, 2023-03

本稿はウッドロウ・ウィルソンと18~19世紀英米の政治思想との関連を考察するものである。以下要約に代えて目次を掲げる。はじめに一 本稿の問題意識とウィルソンの青年期の思考の概観(一)ウィルソンの知的経歴 ―概略(二)ダヴィドソン・カレッジとプリンストン・カレッジ時代に吸収した思想(三) ギリシア古典に影響されたウィルソンの「民主主義」像とオスマン帝国観 ―概略二 民主主義と専制に対するウィルソンの考え方 ―フランス革命観三 古代ギリシアの勉強がウィルソンに与えた影響 ―民主主義と専制への考え方(一)ヘロドトスの『歴史』 ①民主制の特色 ②自由・平等・民主制の価値と自由を守る戦い ③ヨーロッパとアジアの二分法(二)ウィリアム・スミスの『ギリシア史』 ①古代ギリシアの民主主義と愛国主義(スミス執筆部分) ② コンスタンティノープル陥落、オスマン帝国治下のギリシア、ギリシア独立戦争(フェルトン執筆部分) (ⅰ)コンスタンティノープルの陥落 (ⅱ)オスマン帝国治下のギリシア (ⅲ)ギリシア独立戦争四 ウィルソンとオスマン帝国 ―東方問題とグラッドストンの人権外交をめぐって(一)ウィルソンのグラッドストンへの傾倒(二)グラッドストン「ブルガリアの恐怖と東方問題」の概要終わりに
著者
神山 伸弘
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.45, pp.A11-A42, 2010-09

ヘーゲルは、1822/23年冬学期の「世界史哲学」講義において〈インドの天文学〉に関して詳細な言及をしている。しかしながら、ガンス版ないしカール・ヘーゲル版の『歴史哲学』では、それが明確に跡づけられず、かえって〈インドの天文学〉のいかがわしさのみが伝わる格好になっている。しかし、〈インドの天文学〉を詳細に伝える「世界史の哲学」講義のイルティング版にしても、集積テキストの編纂という方法論が禍して、ヘーゲルが〈インドの天文学〉をそれなりに評価していた文脈を読み取ることが難しいものとなっている。 本稿では、イルティング版とグリースハイム・ノートとを対比するなかでイルティング版の問題点を指摘しながら、さらに〈インドの天文学〉を理解するために必要な知見を確認する。そして、そのことを通じて、ヘーゲルが「世界史哲学」を講義するさい、経験的知識を〈情報知〉として可能なかぎり収集している姿を浮き彫りにしていく。
著者
中野 敬子 臼田 倫美 中村 有里
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.45, pp.A75-A90, 2010-09

The Dyadic Almost Perfect Scale-Revised(Dyadic APS-R)is a self-report measure of perfectionism. The present study was intended to examine the psychometric properties of the Japanese version of the Dyadic APS-R. Japanese university students (213) completed the Japanese version of the Dyadic APS-R along with measures of mental health outcomes (self-efficacy and depression). Exploratory factor analysis revealed two factors: High Standards and Order, and Discrepancy. A reliability estimate of internal consistency of High Standards and Order, and Discrepancy was high. Confirmatory factor analysis of the Dyadic APS-R in another group of Japanese university students (108) supported the existence of 2 perfectionism factors. Cluster analysis using the two subscales of the Dyadic APS-R yielded 3 clusters: Adaptive perfectionists, maladaptive perfectionists, non-perfectionists.Adaptive perfectionists characterized by high Standards and Order scores, and low Discrepancy scores had higher scores on self-efficacy and lower scores on depression than those of maladaptive perfectionists and even of non-perfectionists.Distinguishing adaptive perfectionists from maladaptive perfectionists is discussed in the context of psychological functioning and further research.
著者
鈴木 隆芳
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.44, pp.9-28, 2010-03

「言葉とは何か」と問われて、返答に窮して黙りこくってしまう人はそういない。この種の問題については、だれもが自分流の切り口を持っているものだ。だがそんな時、突然、「あなたが今話しているのは、それは言葉そのもののことではありませんね。」と言われたらどうだろう。はっとして振り返ると、自分の言っていたことがなにも言葉に限った話しではないことに気づく。言葉と同じ用途、性質、役割をもったものなど他にいくらでもあるものだと思い至る。\n 言語学が得意としてきたのは実はこうした譬え話である。「言葉のように見えて、ほんとうは言葉でないもの」は「言葉そのもの」よりもよっぽど扱うに易しいからである。\n ここでは、こうした「言葉のように見えるもの」が、言語学にもたらした功罪を考える。なぜなら、それは言語学にとって毒にも薬にもなってきたからである。
著者
中野 敬子 臼田 倫美 中村 有里
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.45, pp.A75-A90, 2010-09

The Dyadic Almost Perfect Scale-Revised(Dyadic APS-R)is a self-report measure of perfectionism. The present study was intended to examine the psychometric properties of the Japanese version of the Dyadic APS-R. Japanese university students (213) completed the Japanese version of the Dyadic APS-R along with measures of mental health outcomes (self-efficacy and depression). Exploratory factor analysis revealed two factors: High Standards and Order, and Discrepancy. A reliability estimate of internal consistency of High Standards and Order, and Discrepancy was high. Confirmatory factor analysis of the Dyadic APS-R in another group of Japanese university students (108) supported the existence of 2 perfectionism factors. Cluster analysis using the two subscales of the Dyadic APS-R yielded 3 clusters: Adaptive perfectionists, maladaptive perfectionists, non-perfectionists.Adaptive perfectionists characterized by high Standards and Order scores, and low Discrepancy scores had higher scores on self-efficacy and lower scores on depression than those of maladaptive perfectionists and even of non-perfectionists.Distinguishing adaptive perfectionists from maladaptive perfectionists is discussed in the context of psychological functioning and further research.
著者
石田 信一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.58, pp.1-22, 2023-03

クロアチアの事例を中心に、旧ユーゴスラヴィア諸国の社会主義期の教科書・教材と現在の教科書・教材において「人民解放闘争」と呼ばれた第二次世界大戦に関連する記念碑や関連施設がどのように取り上げられているのかを比較・分析し、学校教育における戦争記念碑の位置づけの変化とその意義について考察した。社会主義期の教科書・教材では共産党政権の成り立ちと直結する「人民解放闘争」に関連する記念碑や関連施設が数多く取り上げられていたのに対して、現在の教科書・教材ではヤセノヴァツ強制収容所跡に建てられた慰霊碑「石の花」を除けばほとんど取り上げられず,とくにクロアチアでは1990年代の独立戦争、いわゆる「祖国戦争」に関連する記念碑や関連施設が重視されていることが明らかになった。また、2019年に導入されたクロアチアの新たなカリキュラムでは、歴史教科書に「記憶の文化」に関する解説が盛り込まれ、戦争記念碑についても、単なる図版として提示されるだけでなく、より体系的にその来歴や意義を学ぶことが試みられていることを指摘した。
著者
阿部 洋子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.42(2), pp.A73-A86, 2009-03

子どもたちの道徳心は、誰がどのように育成していけばよいのだろうか。家庭での躾、学校での道徳の授業、地域社会での関係性のあり方などが重要であろう。しかし、現代の日本の青少年を取り巻く環境は、道徳心を育成するための場としての機能をどの程度、果たしているだろうか。また具体的にどのような機能が失われてしまったのだろうか。\n Smetana 等(1983)は、道徳・社会的慣習・個人のそれぞれの領域に属すると判断された行為を列挙して貰い、続いてそれらの行為は、規則の有無に関わらず、即ち法律による罰則規定の有無に関わらず、「善い/悪い」と思うかの判断を求めた。その結果、19-20 歳以上になれば、道徳領域に属する行為は、75-100%の範囲で、規則や期待の有無に関わらず(「規則随伴性」と称する)、「善い/悪い」と判断することができるようになる。一方、個人領域に属する行為は、88-100%の範囲で、個人の自由に任せる方がよい(「個人決定権」と称する)と判断されると報告している。また、道徳と類似する概念として、社会的慣習があるが、それらの行為は、道徳領域に属する行為における、規則随伴性と善悪の判断の間に見られる強い関係性は見出せなかった。つまり、Turiel(1983)が述べるように、道徳領域と社会的慣習領域は、異なる行為として認識されていると結論づけている。これまでも予備的調査を実施(阿部;1996、1998、2005)し、現代の日本における道徳構造の特徴を、領域判断、悪さの程度、社会的文脈などから検討してきた。前回の報告(阿部;2007)では、青年期女子を対象としたが、今回は、青年期男女を対象とし、善悪両方の行為について調査を実施し、性差について比較検討を試みた。なお紙数の関係で、今回の結果報告は「悪さ」についてのみを行う。次回は「善さ」についての報告を行う予定である。
著者
阿部 洋子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.44, pp.A111-A128, 2010-03

子どもたちの道徳心は、誰がどのように育成しなければよいのだろうか。家庭での躾、学校での道徳の授業、地域社会での関係性のあり方などが重要であろう。しかし、現代の日本の青少年を取り巻く環境は、道徳心を育成するための場としての機能をどの程度、果たすことができているのだろうか。また具体的にどのような機能が失われていまったのだろうか。\n Smetana 等(1983)は、道徳・社会的慣習・個人のそれぞれの領域に属すると判断された行為を列挙して貰い、続いてそれらの行為は、規則の有無に関わらず、即ち法律による罰則規定の有無に関わらず、「善い/悪い」と思うかの判断を求めた。その結果、19-20 歳以上になれば、道徳領域に属する行為は、75-100% の範囲で、規則や期待の有無に関わらず(「規則随伴性」と称する)、「善い/悪い」と判断することができるようになる。一方、個人領域に属する行為は、88-100% の範囲で、個人の自由に任せる方がよい(「個人決定権」と称する)と判断されると報告している。ところで、道徳と類似する概念として、社会的慣習があるが、それらの行為は、道徳領域に属する行為における、規則随伴性と善悪の判断の間に見られる強い関係性は見出せなかった。つまり、Turiel(1983)が述べるように、道徳領域と社会的慣習領域は、異なる行為として認識されていると結論づけている。\n これまでも予備的調査を実施(阿部;1996, 1998, 2005)し、現代の日本における道徳構造の特徴を、領域判断、悪さの程度、社会的文脈などから検討してきた。2007 年の報告では、青年期女子を対象としたが、今回は、青年期男女を対象とし、善悪両方の行為について調査を実施した。なお紙数の関係で、前回の結果報告(阿部;2009)は「悪さ」についてのみを行った。今回は「善さ」についての報告を行う。
著者
池上 貞子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.36, pp.A1-A12, 2003-03

本論は,2001年度および2002年度跡見学園女子大学特別研究助成金を受けて,倉石あつ子助教授との共同研究「『女性とモノ』についての考察1,2」を行った成果のひとつである。われわれは上海をはじめとする華南地方の都市での資料収集と,そこでの絹に関連した文化施設の見学,および浙江省の農村での養蚕の現況についての調査などを行なった。養蚕に関する研究と農村の現況報告については倉石論文で扱い,本論では主として製品としての絹と中国近現代文学との関連に視点をあてて論じた。絹はその主な製品が衣類であることから,中国の多くの文学作品でも言及されるところであるが,とくに張愛玲(1920-95)の作品のなかでは,それらが技法上の効果を高めるものとして,多用されている。本論ではまず,彼女の代表作である「金鎖記」1944のなかの,絹の諸様相を描写している箇所を拾い上げ,その意味するところを分析する。また張愛玲は衣服にこだわったことでも知られ,小説での言及はもとより,エッセイでも正面から論じている。とりわけ初期の英文エッセイChinese Life and Fashionsと,大枠はそれに取りながら中国語で論じた「更衣記」は,みごとな中国文化史論になっていて,単なる"恋衣"(Clothes fetishism)を超えている。本論では,その背景にある,張愛玲が香港大学時代に影響を受けた可能性のある許地山(1893-1941)の著述や活動についても考察し,この影響関係から開けてくる張愛玲の中国近現代文学史への位置づけの展望についても論じる。
著者
嶋田 英誠
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.36, pp.17-38, 2003-03

日本における女性教育家の草分けであり,今日の跡見学園の学祖となった跡見花蹊(一八四〇-一九二六)は,その本名を瀧野というが,従来もっぱらその花蹊の号によって知られている。跡見瀧野が花蹊と号したのは,「桃李言わざれども,下自ずから蹊を成す」という中国の古いことわざに基づく。しかし,中国における先秦時代から唐宋に至る間の桃李の語の持つ象徴機能をつぶさに検討すると,教育者としての跡見瀧野が花蹊と号するに当っては,もうひとつ狄仁傑(六三〇-七〇〇)にかかわる故事を見逃し得ない。すなわち狄仁傑が国家に有用の士を推薦した故事から始まって,唐代以降には桃李の語は門人の中から国家に推薦した有為の人材を意味するからである。ここから考えれば,幕末明治の混乱期にあって,跡見花蹊は国家に有用な女性の人材の育成を志したものと推測されるが,この推測が正しければ,当時にあっては真に画期的な女子教育の目標を掲げたものである。