著者
門司 和彦 星 友矩 源 利文 東城 文柄
出版者
長崎大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2021-04-01

ラオスとカンボジアのメコン川流域で約20万人が感染しているメコン住血吸虫対策においては、集団投薬を補完する具体的な方法論が求められている。本研究計画では「メコン住血吸虫対策を事例とした地理学的なエコヘルスアプローチの方法論研究」と題して、「感染症の効果的な制御には感染リスクの高い人口集団と地理環境の両方の理解が重要」である医学地理学的な概念を、環境DNA測定・電子質問票・統計モデリング等の最新技術を駆使した「メコン住血吸虫リスク地図」の作成によって達成する。また、「地域住民の生活・文化への最小限の介入(危険水域の河川を利用しない)で持続的な感染制御への道筋をつける」ことが本研究のゴールとなる。
著者
東城 文柄 市川 智生
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.63, 2013 (Released:2013-09-04)

本報告では、広大な淡水面とそれに付随する生態系を持つ琵琶湖において、1920-50年代の土地改変がどのような環境影響を持っていたかの考察を、土着マラリアの流行と終焉に関する歴史地理的分析を通して行う。日本の土着マラリアは、シナハマダラカ(Anopheles sinensis)によって媒介される三日熱マラリアであった。特に滋賀県での罹患者数が他地域と比較して多く、しかも1940年代末に発生が集中したために、戦後の医療・衛生改革の対象となった(彦根市 1952)。琵琶湖の東岸に位置する彦根市では、彦根城およびその周辺の城下町を取り囲む堀が媒介蚊の孵化地となり、県内でも特に濃厚なマラリアの汚染地域になっていたと言われている。一方統計データから判断すると、マラリアの流行はより広域的で、マクロな環境条件と結び付いた現象であった可能性があると言えた。 統計が示す1920年時点の湖岸地域における村毎のマラリア罹患者分布(1,000人対比)は空間的に不均一で、かつ1920年に作成された測量地図(縮尺5万分の1)からデジタイジングした当時の水田・浅水域(内湖)・泥田の分布と極めてよく一致していた。これら湖岸の内湖が、1940年代までに干拓によってほとんど消失すると、マラリア罹患者数と分布もこれに合わせて急速に収縮した。このように戦後彦根市で社会問題とされたマラリアの発生は、実際には戦前から広域で見られた流行の「残滓」と言える状況であった。歴史的な日本の土着マラリアの終焉に関しては、これまで戦後の彦根における医療・衛生対策の役割が強調されていたが、この分析結果からは1920-40年代の大規模な湖岸の環境改変の進展により、シナハマダラカの発生に適したタイプのエコトーンがマクロスケールで消失し、マラリアの終焉にまで影響を及ぼしたと推測できる。