著者
柴田 彩子
出版者
弘前大学大学院地域社会研究科
雑誌
弘前大学大学院地域社会研究科年報 (ISSN:13498282)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.51-62, 2017-03-21

農山漁村においては、そこに居住する人々自身の手で集落環境の整備を行なう村仕事の慣行が見られる。人口減少や高齢化によりこうした作業が続けられなくなる事態へは、他出した子どもや孫、また外部のボランティアに作業を手伝ってもらう、移住者を迎え入れる、といった対応が始まっている。一方で、集落環境の整備や祭りの準備といった共同作業の場は、移住者がコミュニティへ入り込んでゆくための有効な手段であるということが現場で実感されている。そこで本研究では、山梨県早川町薬袋の「道つくり」と呼ばれる村仕事の参与観察を行い、道つくりという場が他出者や移住者、非定住者を含めたそこに参加する人々にとってどのような意味合いを持つのか検討した。薬袋の道つくりには、地元の人のほかに孫ターンの若者や新旧の移住者、他出者、さらに必ずしも出席の義務はない集落内の事業所の関係者および移住予定者などが出席していた。参加者は、それぞれの慣れや技能などを鑑みて6 つのグループに分けられ、作業を割り振られた。参与観察の結果、道つくりは、まず、作業を通じてあり合わせのものを創意で使うといった知恵や技術を活用し、それを来たばかりの移住者や非定住者に共有・継承する場であった。また、作業の合間にかわされる会話などを通して、集落の時間的・空間的広がりを実感し再認識する場であった。そして、参加する義務を果たす中で、「村仕事に参加するのは当然の義務である」という感覚自体を獲得し定着させていく場でもあるといえる。以上から、道つくりをはじめとする共同作業の場は、正統的周辺参加者である移住者や非定住者が、集落という実践共同体の一員になっていく過程の学習の場なのであると捉えることができる。なお、非定住者が道つくりという実践に参加し学習していく過程では、他出者や移住者といった「半よそ者」と呼びうる人々が媒介役となっており、この「半よそ者」の役割についてはさらに考察をかめる必要がある。 In many villages in the rural areas of Japan, we can observe the custom of maintaining the villagesurroundings on their own. In some situations where such work cannot be continued due to the declining and aging population, children or grandchildren living other places or outside volunteershave been asked for assistance, and migrants have also been welcomed. Meanwhile, communitieshave effectively integrated newcomers through collaborative work such as communal work onpublic spaces in the village and preparing for the festivals.The aim of this paper is to figure out the meaning of this collaborative work for its participants.The data is based on participant observation of “Michi-tsukuri (Making a way)” event in Hayakawacho,Yamanashi prefecture, in which the entire village participated.Participants were divided into six groups of mixed migrants and non-inhabitants (formerinhabitants, visitor and commuter) according to their skills.My participate observation revealed that through work, it became a space of improvisation wherein knowledge and techniques shared and passed on newcomers and non-inhabitants. In addition,through the conversation and interactions in interstices between work, participants experiencedsome for the first time and recognized the temporal and spatial extent of the village.Using J.Lave and E.Wenger’s “Legitimate Peripheral Participation (LPP)” theory would positthis as a place of learning where newcomers and non-inhabitants are able to begin to legitimatelyparticipate in a peripheral way in the village understood as a community of practice.Furthermore, in the process of non-inhabitants’ participate in “Michi-tsukuri” and “learning”, thosewho might be called “semi-outsiders”, such as former inhabitants and migrants, act as intermediaries.
著者
増井 友里 浅野 善英 柴田 彩 門野 岳史 佐藤 伸一
出版者
日本臨床免疫学会
雑誌
日本臨床免疫学会会誌 (ISSN:09114300)
巻号頁・発行日
vol.35, no.4, pp.340a, 2012 (Released:2013-02-28)

全身性強皮症は皮膚および内臓諸臓器の線維化と血管障害を特徴とする全身性の自己免疫疾患である.その発症機序はいまだ不明であるが,炎症・自己免疫・血管障害など様々な要因により線維芽細胞が恒常的に活性化され,結果的に細胞外基質の過剰な沈着が生じると考えられている.その過程にはTGF-βをはじめとし,多くの炎症性サイトカインや成長因子が関与していることが明らかにされている.   ビスファチンは主に脂肪細胞から分泌されるアディポサイトカインの一つで,内臓脂肪蓄積量と高度に相関し,内臓脂肪蓄積を基盤とした病態や脂肪細胞の分化・誘導に関与していると言われている.また,炎症・線維化・免疫調節への関与も報告されており,関節リウマチやベーチェット病,炎症性腸疾患などの炎症性自己免疫疾患での病態に関わることが示唆されている.   今回我々は全身性強皮症患者において血清ビスファチン濃度を測定し,臨床症状や検査データとの関連について検討を行った.さらにTHP-1細胞およびヒト皮膚線維芽細胞を用いてビスファチンが線維化の過程に及ぼす影響を検討し,全身性強皮症の線維化の病態におけるビスファチンの役割について考察した.
著者
中島 路可 柴田 彩 水谷 義 上田 那須雄 山本 二郎
出版者
鳥取大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1990

沈香の生成に微生物が関与していることに着目し、沈香生成菌と考えられているカビ及びバクテリヤ51種類を選び、デヒドロアビエチン酸、ファルネソ-ル、ネロリド-ル、テトラリン、ヌ-トカトン、カウレンなどを基質として微生物変換を行った。デヒドロアビエチン酸では2ー位、7ー位、16ー位の水酸化がそれぞれ高収率で起こることを見出した。ファルネソ-ルではIFO7706(Fusarium oxysporumf)により3,7,11ートリメチルー2,6,10ードデカトリエン酸が、IFO3521(Pseudomonas aureofaciens)により3,7,11ートリメチル2,10ードデカトリエン1,7ージオ-ルが高い選択性で得られ、合成法としても利用できることを示した。ネロリド-ル、テトラリン、カウレンについては良い結果は得られなかった。テトラリン、カウレンについては基質が水に溶けないことに問題があり、水酸化、リン酸エステル化によって水溶性として変換を行いたいと考えている。ヌ-トカトンについては現在生成物を分離、構造決定を行っている。またデヒドロアビエチン酸の液晶としての利用の可能性を見るためにデヒドロアビエチン酸の化学変換を行い、デヒドロアビエチン酸の13ー位のアミノ基への変換及び各種置換フェノ-ル類とデヒドロアビエチン酸のエステルを合成し、液晶性を検討している。また、資源開発の目的で松柏類の樹脂成分の検索をコウヤマキ、白松について行い、とくにコウヤマキについては日本列島の日本構造線と成分の相関について調査を行っている。