著者
梅原 弘光 永井 博子 BALLESCAS C. BAUTISTA G.M 早瀬 晋三 永野 善子
出版者
立教大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1996

本研究では、労働力移動には通常の農村-都市間移動の外に、山地などフロンティア向けの移動が大規模に存在し、それが森林資源などの環境後退につながっているとの仮説に立ち、その実態の把握とそこでの住民の生存戦略の確認に努めてきた。その結果、以下に列挙するような事実が確認された。1.フィリピンの森林面積は、ここ20〜30年の間に急激に後退したが、その跡地ではすでに夥しい数の住民が生活していること。2.これら住民の多くは、かつて低地に住んでいたということであるから、低地農村から山地向けの労働力移動はかなり広範に存在するとみて間違いないこと。3.こうした住民の多くは、伐採跡地で生存のための焼畑農業を始めるが、やがて商品作物が入ってきて集約栽培が繰り返されたため森林の回復はなく、むしろ草地の拡大が進行していること。4.森林の後退は、一般には人口圧力、労働力移動、入植などの必然的結果と考えられてきたが、原因はむしろ政府の農業入植政策、森林開発政策、累積債務返済のための商業伐採の促進、伐採権の積極的付与と伐採企業による公有地の囲い込み、林道建設、伐採のための労働力吸収などが大勢の住民の山地移住を促進していること。5.低地住民をして山地移住を決意させたのは、近代的所有権制度による伝統的所有権剥奪、地主による小作人追放、「緑の革命」後の農業商業化の進展、工業団地建設のための農地転用などであった。
著者
梅原 弘光
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.20-40, 1987-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
33
被引用文献数
1 1

1970年代のフィリピンでは,それまで停滞といわれていた稲作農業が,「緑の革命」と呼ばれた技術革新の影響で,非常に大きな変化を経験した.本稿では,それがどのような性格のものであったか,その変化のパターンはどうか,その地理学的意味は何か,を考察する.そのための接近方法として,ここでは革新技術の基本構成要素と考えられる種子,投入財,それに融資の三要素に注目し,それがもたらした変化を検討する. その結果明らかとなったのは,フィリピンでは稲作における種子生産の専門化が大いに進んでいること,農業投入財ならびに機械力への依存がますます高まったこと,資金需要の増大にたいする農業融資の著しい拡大,などである. ここで注目しなければならないのは,投入財需要が急速に増大したにも拘わらず,それが,よくいわれるように,国内の農業関連産業を大きく刺激することはなかった点であろう.むしろ,投入財はもっぱら外国資本もしくは海外からの輸入に大きく依存した.その結果,国内では商業部門だけが特に盛んとなった.「商業エリート」の台頭は,まさしくこうした事態を反映するものである. もう一つ重要なのは,稲作技術革新の普及が,結局,先進工業国による開発途上国の市場的統合に向かっている点であろう.特に興味深いのは,技術普及のための小農融資額が,米不足時代に近隣諸国から輸入した米の支払い代金の額にほぼ等しい点である.従来,フィリピンは食糧をタイやビルマなど域内諸国に大きく依存していた.技術革新の導入により米の自給を達成したものの,今度は投入財を先進工業国からの輸入に大きく依存することになった.政府の積極的な小農融資拡大は,フィリピンの対外市場関係のこの転換をもたらすものであった.
著者
梅原 弘光
出版者
広島大学総合地誌研究資料センター
雑誌
地誌研年報 (ISSN:09155449)
巻号頁・発行日
no.8, 1999-03

<シンポジウム> 「途上国開発と地理学」発表要旨
著者
梅原 弘光 ウメハラ ヒロミツ
雑誌
史苑
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.10-13, 1992-07