著者
山室 信一 小関 隆 岡田 暁生 伊藤 順二 王寺 賢太 久保 昭博 藤原 辰史 早瀬 晋三 河本 真理 小田川 大典 服部 伸 片山 杜秀
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

本研究においては、女性や子ども更には植民地における異民族までが熱狂をもって戦争に参与していった心理的メカニズムと行動様式を、各国との比較において明らかにすることを目的とした。そこでは活字や画像、音楽、博覧会などのメディアが複合的に構成され、しかも複製技術の使用によって反復される戦争宣伝の実態を明らかにすることができた。そして、このメディア・ミックスを活用する重要性が認識されたことによって、外務省情報部や陸軍省新聞班などが創設されることとなった。戦争ロマンの比較研究から出発した本研究は、戦争宣伝の手法が「行政広報」や「営利本位の商業主義」に適用されていく歴史過程を明らかにすることによって、総力戦という体験が現代の日常生活といかに直結しているのかを析出した点で重要な成果を生んだ。
著者
梅原 弘光 永井 博子 BALLESCAS C. BAUTISTA G.M 早瀬 晋三 永野 善子
出版者
立教大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1996

本研究では、労働力移動には通常の農村-都市間移動の外に、山地などフロンティア向けの移動が大規模に存在し、それが森林資源などの環境後退につながっているとの仮説に立ち、その実態の把握とそこでの住民の生存戦略の確認に努めてきた。その結果、以下に列挙するような事実が確認された。1.フィリピンの森林面積は、ここ20〜30年の間に急激に後退したが、その跡地ではすでに夥しい数の住民が生活していること。2.これら住民の多くは、かつて低地に住んでいたということであるから、低地農村から山地向けの労働力移動はかなり広範に存在するとみて間違いないこと。3.こうした住民の多くは、伐採跡地で生存のための焼畑農業を始めるが、やがて商品作物が入ってきて集約栽培が繰り返されたため森林の回復はなく、むしろ草地の拡大が進行していること。4.森林の後退は、一般には人口圧力、労働力移動、入植などの必然的結果と考えられてきたが、原因はむしろ政府の農業入植政策、森林開発政策、累積債務返済のための商業伐採の促進、伐採権の積極的付与と伐採企業による公有地の囲い込み、林道建設、伐採のための労働力吸収などが大勢の住民の山地移住を促進していること。5.低地住民をして山地移住を決意させたのは、近代的所有権制度による伝統的所有権剥奪、地主による小作人追放、「緑の革命」後の農業商業化の進展、工業団地建設のための農地転用などであった。
著者
早瀬 晋三
出版者
大阪市立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

本研究では、19世紀から20世紀にかけての国境線画定時に、無人島を含む島嶼の帰属がどのように扱われたのかを考察するための事例研究を、東南アジアを中心におこなった。そのために、イギリス議会文書やイギリス東インド会社文書などを整理し、考察した。その結果、漁業活動など利用権を主張するものはあっても、居住・耕作地を除いて、排他的占有権を主張するものはあまりなく、実質的な国境が曖昧なままであったことがわかった。
著者
早瀬 晋三
出版者
早稲田大学アジア太平洋研究センター
雑誌
アジア太平洋討究 (ISSN:1347149X)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.155-182, 2022-03-24 (Released:2022-03-29)
参考文献数
10

In the territorial disputes of the East and South China Seas, the scattered islands and reefs are said to be “historically unique territories” for countries claiming territorial rights. A solution to this has been sought by international law. Several scholarly books have already been published, and the Arbitration Tribunal decided on the South China Sea in 2016. However, it is not going to be solved. The reason is that international law has many ambiguities based on customary law and is not binding on judgment. On the other hand, it is not clear how the countries claiming territorial rights have customarily used the sea. The purpose of this article is to consider how the East and South China Seas have been used as fishery resources through the monthly journal Kaiyo Gyogyo (Sea Fisheries) published in 1936–43. Japan invested capital for the development of phosphorus ore from the latter half of the 1910s in the Spratly Islands, the South China Sea, which was further expected to be a prelude to the southward fishing industry. On March 30, 1939 it was incorporated into Kaohsiung City, Taiwan called “Shin-nan-gunto” as a territory of the Empire of Japan.
著者
早瀬 晋三
出版者
東南アジア学会/山川出版社
雑誌
東南アジア -歴史と文化- (ISSN:03869040)
巻号頁・発行日
vol.1986, no.15, pp.63-89, 1986-05-20 (Released:2010-02-25)

Abaca (Manila Hemp) became the most important cordage fiber in the mid-nineteenth century. The United States and the United Kingdom together took 70 to 90 percent of the total exports raw abaca, comprising 20 to 30 percent or more of the total value of exports from the Philippines until 1880. The Philippines came to enjoy a natural monopoly of abaca production. In the nineteenth century the Bikol region of southern Luzon was the main abaca producing center. However, the Bikol abaca planters did not succeed in becoming efficient enough to meet the demand of the modern world economy. The abaca producers in the Bikol region were, on the whole, too small-scale and too poor to become politically powerful, and gradually declined.Shortly after the United States assumed control of the Philippines in 1898, Americans became involved in the abaca industry and chose the Davao Gulf region of southeastern Mindanao as a prime producing center because of its ideal geographical and climatic conditions. However, American and European investment in the enterprise peaked in 1910 and then declined as a result of chronic shortage of labor and capital. On the other hand, the Japanese abaca planters in Davao were to prove the most efficient growers, succeeding where Europeans had failed. They were able to enjoy the benefits of favorable colonial legislation designed to protect the interests of the American cordage industry which was concerned to ensure a steady supply of cheap, high quality hemp from the Philippines.The abaca industry brought a measure of prosperity to Filipino abaca cultivators, strippers, and landowners. However, the abaca industry was controlled by the foreigners as planters, traders, and cordage manufacturers, who left no room for Filipinos to join them. Filipinos were dependent on the foreigners in their own lands. After the abaca industry faltered and virtually collapsed in the years between World War I and World War II in the Bikol region, and after World War II in the Davao Gulf region, the Filipinos were left on a level of poverty from which they have not recovered.
著者
山室 信一 菊地 暁 坂本 優一郎 谷川 穣 藤原 辰史 早瀬 晋三 早瀬 晋三
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

専ら時間軸上で構築されてきた従来の学的パラダイムを空間軸に沿って見直し、これまでの空間把握の営みの成果を取捨選択しつつ、人文・社会科学における諸概念を再構成していくための基底的研究を進めた。文献会読、フィールドワーク、個別研究を通じて、政治学・経済学・農政学・地政学や、景観・海域・宗教・戦争で問題とされた空間に関する思想や実践のありかたを明らかにしつつ、従来前提とされていた諸概念を再検討した。
著者
早瀬 晋三 加藤 剛 吉川 利治 桃木 至朗 弘末 雅士 深見 純生 渡辺 佳成
出版者
大阪市立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1999

本研究では、つぎの3つの柱を中心に活動を進めた:1.日本における東南アジア史教育の現状と課題の把握、2.他分野・他地域との関連、3.外国史と自国史。それぞれ1年間の活動を目処におこない、3年目は平行して研究成果のとりまとめをおこなった。第1年度の「日本における東南アジア史教育の現状と課題の把握」では、長年東南アジア史研究・教育に従事してきた先達に、その経験から現状と課題を指摘してもらうと同時に、学生時代に戻って卒論・修論を書くなら、どのようなテーマを選び、どのような準備をするかなど、現在の学生の身になった具体的な論文構想を語ってもらった。また、近年各大学で取り上げられた東南アジア関係の卒論・修論のテーマを収集し、その傾向と問題点を探った。第2年度は、周辺領域分野・地域との関連で東南アジア史研究を考えた。東南アジア史研究に有効な関連分野の理論・手法を学ぶとともに、関連分野に東南アジア史研究で培った理論・手法がどのように活かせるかを考察した。関連分野の研究者との意見交換により、東南アジア史研究の幅を広げ、奥行きを深めることを目標とした。第3年度は、「自国史」と「外国史」の問題を考察した。具体的には、東南アジア各国の高校・大学で「自国史」として使用されている教科書やカリキュラムを検討した。また、各国を代表する歴史学研究者と意見交換した。以上、3年間の成果をふまえて、テキストづくりの作業が進んでいる。すでに、叩き台となるべき「フィリピン」の草稿ができている。また、この研究活動を通じて、テキストのほか、史料の目録・索引、史料の復刻、翻訳、モノグラフの刊行も必要であると感じた。その準備も着々と進められている。まずは、この研究の原成果ともいうべき、報告・報告要旨28篇をまとめて発行する。