著者
箭野 章五郎 髙良 幸哉 樋笠 尭士
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.377-414, 2014-12-30

責任能力が問題とされた被告人につき,事実審裁判官が,制御能力の著しい減少を認めた鑑定に基本的に従って刑法21条(限定責任能力)の適用を認めた場合に,その判決の中での理由づけについて不十分であるとし,かつ,事案に即して検討の不十分な点を示した判断,についての検討。 / 本稿は,被告人が,StGB184b条4項1文にいう児童ポルノ文書の自己調達行為2件と,それらの結果である同項2文にいう児童ポルノ文書の自己所持を行った事案について,児童ポルノ文書の所持は,当該文書の自己調達の構成要件に劣後する「受け皿構成要件」であり,それゆえ,所持という補足的犯罪による,数個の独立した調達行為を結びつける,かすがい作用は認められないとした事案の検討である。それに加えて,本稿ではキャッシュデータの保存行為および,我が国における児童ポルノの所持罪規制についても検討を加えるものである。 / 被告人が恋敵を殺そうと思い斧を投げたが,その斧が自身の妻に当たってこれを死亡させ,妻に対する殺人の未必の故意が認められた事例である。阻止閾の理論に基づき,行為者が結果の発生を是認しつつ甘受していたか否かを判断する際には,行為後の事情(斧が当たった後の妻への殴打)を考慮することはできないはずであるところ,LGは,被告人の犯行後の行為態様を考慮し,未必の故意の意思要素を是認したのである。BGHは,LGの結論に異を唱えていないものの,阻止閾の判断方法,及び未必の故意の認定方法には疑問を投じている。本稿は,殺人の未必の故意の認定に際し,近年BGHによって用いられている「阻止閾の理論」を基礎に,方法の錯誤ならびに択一的故意の議論を併せて,本判決における未必の故意の内実を考察するものである。
著者
樋笠 尭士
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.229-255, 2016-06-30

本稿は,客体の錯誤と方法の錯誤を明確に区別する思考方法を検討するものである。HoyerおよびWolterは,精神的表象(geistige Vorstellung)と感覚的知覚(sinnliche Wahrnehmung)という概念で両者の区別を図ろうと試みていることを確認し,その上で,全てに「誤り」が存する場合を方法の錯誤,一部に「誤り」が含まれる場合を客体の錯誤としたHoyerの見解を検討した。実行行為時に感覚的知覚による客体の特定が存せず,実行行為時よりも前に客体の特定をなすような場合,特定された客体とは,感覚的知覚によって特定された客体ではなく,危険源を設定した際に行為者によって最後に特定された客体と解すべきであると考える。そして,行為者の精神的表象により特定された客体に結果が生じていないことを前提とし,客体の錯誤を,「危険の向く先を定める際の,最後に特定された客体」と「実際に結果が生じた客体」が同一である場合と定義し,同一でない場合を方法の錯誤と定義した。 かかる定義に基づき,古典的四事例を検討した。電話侮辱事例(Telefonbeleidigerfall)は客体の錯誤,自動車爆殺事例(Bombenlegerfall)は方法の錯誤,毒酒発送事例(Vergifteter Whisky)は方法の錯誤,ローゼ・ロザール事例(Rose-Rosahl-Fall)は,教唆者が被教唆者に客体を特定するにあたって具体的に指示を出していた場合は方法の錯誤となり,抽象的・曖昧な指示を出していた場合は,客体の錯誤になるという結論を得た。その際には,方法の錯誤を,行為者によって最後に特定された客体へと向かう危険源とそれとは別の客体との因果的距離が縮まり,点として重なった状態であると解した。このようにして,本稿は,離隔犯においても,客体の錯誤と方法の錯誤を明確に区別され得ることを示すものである。
著者
樋笠 尭士 ヒカサ タカシ
出版者
嘉悦大学研究支援・論集編集委員会
雑誌
嘉悦大学研究論集 = Kaetsu University research review
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.69-84, 2015-10

本稿は、事実の錯誤を考察するに際し、刑法と、その他特別法および行政法規における事実の錯誤の場合を比較し、行為者に必要とされる認識の内実を明らかにするものである。刑法における「事実の錯誤」の「事実」とは、「犯罪構成要件の要素たる事実」を指すものであり、そして、「犯罪構成要件の要素たる事実」とは、所得税法・道路交通法における事実の錯誤においても、刑法の故意概念、すなわち法定的符合説が用いられていると考えられる。ドイツのSchünemannの見解や、ドイツ公課法369条2項の「刑法に関する総則規定は、脱税犯罪行為においても妥当する」という文言に鑑みれば、ドイツにおいても、刑法における事実の錯誤の概念は租税法および経済刑法についてそのまま妥当すると考えられる。こうした理解を基に、学説及び判例を検討し、日本およびドイツでは、事実の錯誤の概念や、行為事情に関する錯誤は故意を阻却するという規範が、刑法以外の法規においても用いられている点、租税逋脱犯においても、両国は、故意の認識対象を「納税義務」と解している点を考察する。そして本稿は、故意が「犯罪構成要件の要素たる事実」の認識すなわち「法定構成要件に関する行為事情」の認識であり、これは刑法および他の法規においても妥当するという結論を導くものである。