著者
橋爪 太作
出版者
現代文化人類学会
雑誌
文化人類学研究 (ISSN:1346132X)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.9-33, 2021 (Released:2022-01-29)
参考文献数
39

過去100年間のメラネシア地域における文化・社会人類学は、西欧近代的な自然/文化概念の民族誌的批判から、熱帯の自然と社会が互いに互いを創造し合うメラネシア的な社会性のモデルを打ち出してきた。しかしそこで前提とされている熱帯の自然の能産性は、熱帯林の大規模開発や人口増加といった人新世的状況が進行する現代のメラネシアでは、必ずしも自明なものではなくなってきている。本論はソロモン諸島マライタ島北部西ファタレカ地域における森林伐採事業の進出と、それと並行する現地の人々と土地の力の新たな関わりを、自然・社会双方における「ギャップ・空白」の創出に着目して描くことを通じて、自己と他者が入り混じる現代メラネシアの自然‐人間関係を概念化し、さらにそこから人間化された地球という新たな自然と向き合う我々自身について省察することを試みる。 マライタ島の山間部に居住してきた西ファタレカの人々は、ギャップ創出によって更新される熱帯林の特性を焼畑農耕として模倣することで土地の成長力を引き出してきた。しかし伝統的な生業が森林の一部を利用するのに対し、森林伐採事業は1つのクランの土地のほとんどが伐採される。このギャップと森林の図地反転は、土地と数百年以上関わり続けてきた人々の中に、自らの将来の生活や未解決の過去の問題といった、現在の自己を断絶させるような「空白」を創出している。他方、我々にとっては生態系の劣化として見える、地面が抉られ岩盤が露出した伐採後の景観は、不動の大地こそ「生きている」ものと考え、その内部に秘められた力を予感する現地の人々にとっては別様に立ち現れている可能性がある。 切り開かれ、予測不能なポテンシャルを露呈する新たな自然と向き合うメラネシアの人々は、不穏な未来の予感に怯える我々の同時代人である。こうした人々の経験を民族誌的に記述することを通じて、人新世に対しメラネシアから応答する道筋が開かれるであろう。