著者
池田 真治
巻号頁・発行日
pp.1-77, 2013-07-03

2013年7月3日 : 富山大学中央図書館,2013年7月4日 : 富山大学高岡キャンパス講堂でそれぞれ開催された「レポート・論文の書き方―入門―」において発表された資料と当日配布資料。【内容】• なぜレポートを書かなくてはならないのか?• BAD SAMPLES:落ちたレポートたち• レポート・論文を書くために、何をすべきなのか?• レポート・論文の育て方• 単なる「作文」から「論文」へ• レポート・論文の構成• 論証の仕方• 読み手に「伝わる」文章を書く
著者
池田 真治
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
2009-03-23

新制・課程博士
著者
池田 真治
巻号頁・発行日
pp.1-56, 2012-12-05

2012年12月5日,富山大学中央図書館で開催された「レポート・論文の書き方―入門―」において発表された資料と当日配布資料。【内容】• なぜレポートを書かなくてはならないのか?• BAD SAMPLES:落ちたレポートたち• レポート・論文を書くために、何をすべきなのか?• レポート・論文の育て方• レポート・論文の構成• 論証の仕方• 読み手に「伝わる」文章を書く
著者
池田 真治
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.1-16, 2018-08-20

本稿では,ライプニッツの延長概念を『ライプニッツ - デ・フォルダー往復書簡』に分析する。第1節ではまず,デ・フォルダーとの論争の経緯を確認する。論争の背景には当時の活力論争があり,それは実体の本性をめぐる論争へと発展する。そこで第2節では,実体の本性をめぐる論争を検討する。延長を物体的実体の単純本性とするデ・フォルダーに対し,ライプニッツは延長概念が,デカルト派の主張するような単純なものではなく,多数性,連続性,共存性へとさらに分析される関係的概念であるとする。さらに,デ・フォルダーが延長概念の独立認識可能性に基づいて自説を主張しているのに対し,ライプニッツは,実体とその様態に関するスコラ的な議論に基づき,延長を実体から抽象される不完足概念とし,延長概念の独立認識可能性を否定する。第3節では,両者の延長概念を詳しく分析する。デ・フォルダーが延長を,物体が持つ他の特徴に対し論理的に優先する,物体の本性だと主張するのに対し,ライプニッツは,延長は実体の本性を構成するものではなく,むしろ,多数の実体から帰結する拡散や反復といった連続性の特徴をもつ,実体の属性にすぎないとする。すなわち,モナドの多が,延長という一様性に論理的かつ存在論的に優先する,というわけである。ロッジは,ライプニッツの延長概念が,「数学的延長」と「現実的延長」に区別されると解釈する。そこで,第4節では,このロッジ解釈を批判的に検討する。本稿では,ロッジ解釈に対し,数学的延長と現実的延長の区別は,それらの性質の観点からというよりも,むしろ「抽象」という構成の観点から明確になされるものである,と主張する。最後の第5節では,抽象の問題に関する歴史を概略し,実際に,抽象の観点から数学的延長と現実的延長を区別している哲学史的根拠を挙げる。以上を通じて,ライプニッツの延長概念を解明するためには,ライプニッツの抽象の理論を含め,そもそも初期近代における抽象の問題をめぐる議論とはいかなるものか,その全体像の解明が不可欠であることを指摘する。本稿の目的は,そのための視座を提供することにある。
著者
池田 真治
出版者
京都大学哲学論叢刊行会
雑誌
哲学論叢 (ISSN:0914143X)
巻号頁・発行日
no.31, pp.37-51, 2004

Cet article a pour objet de donner une analyse de la conception de l'infini chez Leibniz au sujet du problème de la composition du continuum, et de considérer comment Leibniz a developpé la notion de "Monade". Cet article est divisé en deux chapitres. D'abord, j'examinerai la dissolution mathématique et l'explication métaphysique de ce labyrinthe, qui nous sont données par Leibniz. Là, la doctrine leibnizienne (mereology) de la relation entre la part et le tout jouera un rôle important. Ensuite, j'analyserai le concept de l'infini actuel, par lequel il a exprimé l'infini qualitatif ou la multiplicité qualitative de la nature. De là, je conclurai que Leibniz avait constamment deux notions de l'infini, et qu'il a considéré qu'il était impossible de réduire la cause de la Nature à la physique mathématique en principe. Selon nous, c'est une des raisons pour lesquelles il a conçu la "Monade" comme possèdant la cause interne de l'action et exprimant en elle la multiplicité de ce monde, et comme l'unité métaphysique qui constitue ce monde.
著者
池田 真治
出版者
京都大学大学院文学研究科哲学研究室
雑誌
京都大学文学部哲学研究室紀要 : Prospectus
巻号頁・発行日
vol.12, pp.1-17, 2010-02

What kind of rationality did Leibniz esteem on the level of sensation? In this essay, I will try to answer this question, from the aspect of his theory of sensation, by focusing on his idea of image and abstraction. In fact, Leibniz did not regard the role of sense perception merely as an occasion of having knowledges, for he says: “it‟s by an admirable economy of the nature that we cannot have abstract thoughts which do not require any sensible things”. It means we should see behind his theory of sensation an insight into the harmony between experience and reason.