著者
深澤 徹 フカザワ トオル
出版者
神奈川大学人文学会
雑誌
人文研究 = Studies in humanities (ISSN:02877074)
巻号頁・発行日
no.204, pp.35-62, 2021-12-25

This paper is an "introduction" to a series of five or six articles that I plan to write from now on, in which the purpose is to clarify the "identification of problems" from an overall prospective. Consequently, I would like to mention in advance that it is a special sentence that has been written in an introductory style. In the series of articles to follow, I plan to cover specific literary texts on the theme of building oneʼs own "house" in the spatial expanse of the ancient city of Heian-kyo. To establish a methodological framework, this study first examine the contents of Martin Heideggerʼs "Building, Inhabiting, and Thinking." In "Building, Inhabiting, and Thinking", Heidegger discusses (with an emphasis on "inhabit") the state of the bodies (existence) of those who live in this world and constantly live a fleeting life alongside a shadow of death. This study traces the relationship between our "body"― which we tend to forget in the information society that spreads as a virtual space ― and the spread of rooms, houses, streets, and cities as containers for our "body," along with the relationship with this world as a whole in some cases. To begin with, the significance of the university as an institution of higher education today and the "body" that act as reflected in the dialogue of Shakespeareʼs plays are examined. In response to that flow, I discuss the thought of "emptiness" found in Mahayana Buddhist scriptures and the cases of the "Tale of Genji" and the sutra of "Oguri" over the "body" as a container for the soul.本論考は、五回もしくは六回にわたり連載を予定している一連の文章の「序章」に当たるもので、これから連載を進めていく上での「問題の所在」を、全体的な見通しの下、明らかにすることを目的に書かれている。したがって、導入的な書き方に終始した、特殊な文章となっていることを、あらかじめお断りしておく。 今後に続く連載においては、古代都市平安京の空間的なひろがりの中で、自分の「家」を建てることを主題とした具体的な文学テキストを、順次あつかう予定でいる。その際の方法的な枠組みを、あらかじめ設定するため、本論考においては、マルティン・ハイデッガーの『建てること、住むこと、考えること』の文章の内容を、まずはその検討対象としている。 『建てること、住むこと、考えること』においてハイデッガーは、この世界の内に身を置いて、死の影に絶えず付きまとわれながら、つかのまの人生を送る私たちの「からだ(=実存)」のありようを、「住まう」ことに焦点を当てて考えている。その問題意識を踏まえつつ、バーチャルな仮想空間としてひろがる情報社会にあって忘れられがちな私たちの「からだ」と、その「からだ」を収納する容れ物としての居室や家屋、街路や都市のひろがり、さらにいえばこの世界全体との関係を、本論考では、いくつかの事例を通して跡づける。 まずは、高等教育機関としての大学の今日的な存在意義について、さらにはシェークスピア劇の台詞に見える、演技する「からだ」について検討する。その流れを受け、大乗仏典に見える「空」の思想や、たましいの容れ物としての「からだ」をめぐる『源氏物語』や説経『おぐり』の事例にも言及する。
著者
千本 英史 小川 豊生 深澤 徹 大谷 俊太 礪波 美和子 伊藤 聡 柳田 征司
出版者
奈良女子大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

「国文学」という学問は二〇世紀に成立した。芳賀弥一の『国文学史十講』が冨山房から出版されたのは一八九九年の十二月である。それから百年が過ぎ、研究領域の拡大および深化は、研究方法の多様化とともに、「正当的作品」自体の意味をきわめて不安定な、宙づりな存在とした。ことは文学の一分野にとどまらない。すべての分野における「正当」なるもの、「標準」なるものの見直し、「正当」と「虚偽」二分割の思考の枠組み自体が問われようとしているといえる。こうした情況のなかでもう一度、古来の「偽書」の系譜をたどり、それぞれの作品に込められた文学史の力動を再発見し、そのことをとおしていま一度、「文学」という営為を検証しなおしたいと考えた。そのために、思想史的、歴史的文献をも含めて、個々の偽書の体系的把握が必要となる。関心が重層しながらも、多分野にわたる研究者によって、共同チームを組み、それぞれの分野での偽書を検討し、それぞれの分野の特性を明らかにし、そこで得られたもののうちから、代表的なものを選び、それに注釈作業を行い、さらにその特性を解明していった。研究期間の間に「偽書」についての興味が多分野から見られたが、たとえば「月刊言語」の特集や、佐藤弘夫氏著『偽書の精神史 神仏・異界と交感する中世』でも、いまだ「偽書」は断片的に扱われている段階である。これまでの研究の成果を生かしつつ、早急に「偽書」全体を俯瞰する叢書が提供されることが望ましい。これについてはすでに、科研メンバーを中心に、さらに幅広い研究者に呼びかけて、三〜五巻程度の叢刊の刊行を準備し、原稿も相当部分集まりつつある。諸般の事情から、いまだ第一巻の刊行も遅れている状況であるが、早急に刊行体制を再構築したい。現在確認できているところでいえば、秘伝・口伝を特徴とする中世期の「偽書」と平安〜鎌倉の人物に仮託した近世記の「偽書」(擬書)との間には、性格付けに一定の差異がみられる。両者のありようの性格的な断絶と継承の関係を、さらに成立の背後の社会的な視野を加えつつ検討する必要があると思われる。さらに中国を始めとする周辺諸国の「偽書」との比較検討は、まだ研究の緒についたばかりである。今後の進展を期したい。