- 著者
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湯城 吉信
- 出版者
- 大阪府立工業高等専門学校
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2006
本研究では、江戸時代の中井履軒の暦法、時法、解剖学に関する思想を明らかにした。中井履軒は漢学塾懐徳堂出身の儒者であったが、自然科学にも関心を持っていた。本研究では、彼の『華胥国暦書』『華胥国新暦』を中心に彼の暦学に関する考えを、『履軒数聞』を中心に彼の時法に関する考えを、『越俎弄筆』およびその草稿である『越俎載筆』を中心にその人体に関する考えを探った。筆者はすでにその宇宙観については分析を終えている(拙稿「中井履軒の宇宙観-その天文関係図を読む」(『日本中国学会報』57号、2005))。また、本研究と同時に執筆した拙稿「中井履軒の名物学-その『左九羅帖』『画〓』を読む」(『杏雨』11号、武田科学振興財団杏雨書屋、2008)では、彼の動植物の名前に関する考えを明らかにした。以上の一連の研究で中井履軒の科学思想の全貌はほぼ明らかにできたと考える。暦法については、履軒は、月を廃したラジカルな太陽暦を作り、百刻法による定時法を提唱した。それは、古代はシンプルでわかりやすい暦法、時法であったが、後世複雑でわかりにくい制度になっていったという彼の考えに基づく。彼の理論は、中国の古典の歴史研究に基づき、おおむね妥当であるが、斗建についての認識は歴史的根拠に欠ける。解剖学に関しては、『越俎弄筆』の草稿である『越俎載筆』の発見など最新の資料調査の成果に基づき、また、同時代の解剖書や西洋の解剖書と比較することにより、『越俎弄筆』の特徴を探った。当時の大坂ですでに西洋の解剖学書が出回っていたという事実は注目に値する。