3 0 0 0 OA 声の規範

著者
澁谷 智子
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.435-451, 2005-09-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
38
被引用文献数
3

本論文では, 耳の聞こえないろう者が出す発音の不明瞭な「ろうの声」が, 聞こえる人に「逸脱」として認識され, スティグマ化される現象を取り上げる.「ろうの声」は動物や怪獣といった「原始性」と結び付けられる一方で, 表象空間においては美化され, 感動の演出に使われてきた.しかし, こうした扱いと, かつて手話に向けられていたまなざしには, 類似点が認められる.今日, 手話が社会で肯定的に受け入れられている事実からは, スティグマ化の過程が社会の解釈によって大きく左右されることが示唆される.論文の後半では, ろうの親をもつ聞こえる人々の語りに焦点をあてる.この人々は, 親の印象操作を行う一方で, 親の声に対する自らの愛着も強調している.「ろうの声」に対する否定的な見方は必ずしも普遍的なものではなく, 聴者社会の規範を学ぶことで獲得されるのである.しかし, 「ろうの声」に対する聴者側の違和感は, 異なる文化や言語に対する違和感と違って, あまり表立って語られることがない「障害者を差別してはいけない」という道徳意識のためか, その違いはまるで存在しないかのように扱われやすい.しかし, 潜在的に生じる緊張感は, 聴者がろう者に深く関わるのを避ける要因の1つにもなっている.この違いを認識し, 聴者社会があたりまえに捉えている思考を見直すことは, 「文化」と「障害」の構造を考えるうえで有意義な視点を与えてくれるであろう.
著者
澁谷 智子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.435-451, 2005-09-30

本論文では, 耳の聞こえないろう者が出す発音の不明瞭な「ろうの声」が, 聞こえる人に「逸脱」として認識され, スティグマ化される現象を取り上げる.「ろうの声」は動物や怪獣といった「原始性」と結び付けられる一方で, 表象空間においては美化され, 感動の演出に使われてきた.しかし, こうした扱いと, かつて手話に向けられていたまなざしには, 類似点が認められる.今日, 手話が社会で肯定的に受け入れられている事実からは, スティグマ化の過程が社会の解釈によって大きく左右されることが示唆される.<BR>論文の後半では, ろうの親をもつ聞こえる人々の語りに焦点をあてる.この人々は, 親の印象操作を行う一方で, 親の声に対する自らの愛着も強調している.「ろうの声」に対する否定的な見方は必ずしも普遍的なものではなく, 聴者社会の規範を学ぶことで獲得されるのである.<BR>しかし, 「ろうの声」に対する聴者側の違和感は, 異なる文化や言語に対する違和感と違って, あまり表立って語られることがない「障害者を差別してはいけない」という道徳意識のためか, その違いはまるで存在しないかのように扱われやすい.しかし, 潜在的に生じる緊張感は, 聴者がろう者に深く関わるのを避ける要因の1つにもなっている.この違いを認識し, 聴者社会があたりまえに捉えている思考を見直すことは, 「文化」と「障害」の構造を考えるうえで有意義な視点を与えてくれるであろう.
著者
澁谷 智子
出版者
一般社団法人 日本社会福祉学会
雑誌
社会福祉学 (ISSN:09110232)
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.70-81, 2014-02-28 (Released:2018-07-20)
被引用文献数
3

一般に,子どもは保護されケアされる対象と考えられているが,家族の状況によっては子どもが大人並みのケア役割を果たすことがあり,こうした子どもたちはヤングケアラーと呼ばれている.本稿では,医療福祉専門職がヤングケアラーをどう認識しているか,こうした子どもがどれほどの頻度でみられるのかを知るために,東京都医療社会事業協会の全会員に質問紙調査を実施した.回答者402人のうち,35.3%は子どもが家族のケアをしていると感じた経験をもち,親の病気や入院,ひとり親家庭であることなどをヤングケアリングの理由として挙げた.全体的に,ケアを担う子どもに対する回答者の関心は高かった.しかし,そうした子への支援方法は確立しておらず,個々の医療福祉専門職が現場で試行錯誤していることも浮き彫りとなった.
著者
澁谷 智子
出版者
日本比較文学会
雑誌
比較文学 (ISSN:04408039)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.69-81, 2002

<p> The concept of "Deaf Culture" recognizes the deaf as a linguistic minority who use sign language. In fact,some deaf describe themselves as "Deaf " with a capital "D," just as African Americans use the word "Black" to express their pride in being black. This concept questions the values of the hearing majority that are being taken for granted. Just as notions of "heterosexuality" have been created from the perspectives of "Gay Culture" the values of hearing society can be also relativized as "Hearing Culture."</p><p> In discussing the relationship between "Deaf Culture" and "Hearing Culture," this paper focuses in particular on the experience of people whose parents are deaf. These people are called "Coda" which stands for "Children Of Deaf Adults." Coda can hear physically but culturally are associated with the deaf. For example, some Coda acquire sign language as their first language. These Coda, who mediate between their parents and the hearing majority, have much in common with second generation of immigrants. Not only do they interpret languages but they also translate cultures and mitigate cultural conflict. However, mockery by and pity from hearing people make Coda feel embarrassed or inferior about their background. This sense of shame and low self-esteem can lead to a sense of guilt.</p><p> Through the analysis of autobiographies and essays of Coda, this paper tries to describe the cultural friction between the hearing and the deaf. By doing so, it also suggests that cultural borders are not always associated with nationality or geographic distribution.</p>