著者
加藤 秀一
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.298-313, 2004-12-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
11

ロングフル・ライフ (wrongful life, 以下WL) 訴訟とは, 重篤な障害を負って生まれた当人が, 自分は生まれないほうが良かったのに, 医師が親に避妊あるいは中絶の決断をするための根拠となる情報を与えなかったために生まれてしまったとして, 自分の生きるに値しない生をもたらした医師に賠償責任を要求する訴訟である.そこでは自己の生そのものが損害とみなされる.しかしWL訴訟は論理的に無意味な要求である.なぜならそれは, すでに出生し存在している者が, 現実に自分が甘受している状態と自分が存在しなかった状態とを比較した上で, 後者のほうがより望ましいということを主張する発話行為であるが, 自分が存在しない状態を自分が経験することは不可能であり, したがってそのような比較を当事者視点から行なうことは遂行的矛盾をもたらすからである.それにもかかわらずWL訴訟の事例は増えつつあり, 原告勝訴の事例も出ている.それだけでなく, WL訴訟と同型の論理, すなわち存在者があたかも非在者であるかのように語る〈非在者の語り=騙り〉は, 裁判以外のさまざまな文化現象の中に見てとることができる.そのような〈騙り〉は, 死の概念を一面化し, 死者を生者の政治に利用することで, 新たな死を召喚する行為である.
著者
渋谷 知美
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.51, no.4, pp.447-463, 2001-03-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
42
被引用文献数
2 2

本稿では, 現代日本の社会学 (ならびに近接領域) において行われている「男性研究者による男性学」「女性研究者による男性研究」の問題点をフェミニズムの視点から列挙し, これをふまえて, 「向フェミニズム的な男性研究」が取るべき視点と研究の構想を提示することを目的とする.「男性研究者による男性学」批判においては, 男性学の概念「男らしさの鎧」「男性の被抑圧性」「男らしさの複数性」「男女の対称性」を取りあげて, 男性学がその関心を心理/個人レベルの問題に先鋭化させ, 制度的/構造的な分析を等閑視していることを指摘した.また, 「女性研究者による男性研究」批判においては, 「男性」としての経験を有さない「女性」が, 男性研究をするさい, どのような「立場性positionality」を取りうるのかが不明確であることを指摘した.そののち, 「向フェミニズム的な男性研究」の視点として, 第1に「男らしさの複数性」を越えた利得に着目すること, 第2に男性の「被抑圧性」が男性の「特権性」からどれだけ自由かを見極めることの2点を挙げ, それにもとづいた研究構想を提示した.

37 0 0 0 OA 社会意識の構造

著者
城戸 浩太郎 杉 政孝
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1-2, pp.74-100, 1954-01-30 (Released:2009-10-20)
被引用文献数
1 1

In this article, which is a part of a series of reports based on the results of a field research in Tokyo, the writers attempt to analyse the characteristics of the structure of social consciousness of a modern urban population in Japan. This analysis is based on attitude measurements using two scales ; one designed to measure the authoritarian tendency in personality structure which has been affected by the traditional Japanese value-attitude system and which played an important role as a psychological basis of Japanese fascism : the other is designed to measure politico-economic orientation based on a socialistic-nonsocialistic dichotomy. The various means scores of these two scales are compared statistically, for each occupational group, different age categories, educational levels and political party allegiances.The main findings are as follows : 1) As for occupational differences, students and industrial workers are the most socialistic groups in politicoeconomic orientation, but industrial workers reveal more authoritarian and traditional tendencies than students, who are the most non-authoritarian group. The artisan group is most authoritarian and more nonsocialistic. The artisan group reveals a somewhat similar pattern of consciousness to that of the small entrepreneurs and manegrerial and executive types who constitute the most anti-socialistic groups. These groups have played an important role as active psychological supporters of Japanese fascism in the World War II. The white-collar groups as a whole shows similar mean scores on both scales, but groups within the white-collar category differ in their characteristic consciousness.2) There is a positive correlation between authoritarian and non-socialistic attitudes and age. The higher the level of education, the more non-authoritarian and socialistic the sample becomes.3) As for the political party allegiance, the supporters of Jiyuto (Liberal Party) and Kaishinto (Progressive Party) are the most authoritarian and non-socialistic, the supporters of the Left Socialist Party are most nonauthoritarian and socialistic. The Right Socialist Party adherents are rather similar to the conservative party supporters.4) The writers computed the multiple regression equations to both scales in relation to the underlying sociological variables such as age and occupation in order to determine the degree of association between these variables and manifest attitudes. Though the multiple correlation coefficients are not very high, it is demonstrated that occupation and standard of living have been stronger determining factors in politico-economic orientation and age and educational levels stronger determining factors in relationship to authoritarian tendencies.
著者
田野 大輔
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.71-87, 2000-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
20

ヒトラーについて語る場合, たいてい「カリスマ的支配」の概念が引きあいにだされるが, ドイツ民衆の目に映じた彼の魅力はけっして「英雄性」にもとづくものではなかった.注目すべきことに, ヒトラーはスターリンと違って自己の全身像をつくらせなかったのであり, それは彼がたんなる独裁者ではなかったことを意味している.ナチ体制下のメディアの全体的関連のなかでヒトラー・イメージを考察すると, 彼は-とくに写真において-むしろ「素朴」で「親しみやすい」人間として提示されていたことがわかる.民衆との近さを表現したこの親密なイメージ, 市民的価値に由来する「ごくありふれた人間」のイメージこそ, ヒトラーの人気の基盤だった.「総統」が体現していたのは, 政治を信頼できる個人に還元する「親密さの専制」 (R.セネット) にほかならず, こうした「罪なき個人性」の衣をまとったカリスマの陳腐さは, メディア時代の政治的公共性のありかたを考えるうえで重要な意味をもっている.
著者
古市 憲寿
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.376-390, 2012
被引用文献数
1

本稿は, 1990年代後半以降に政府や経済界から提出された「起業」や「起業家」像の検討を通して, 日本の社会秩序が「起業」や「起業家」をどう規定し, 受け入れてきたのかを分析するものである.<br>バブル経済が崩壊し日本型経営が見直しを迫られる中で, 「起業家」は日本経済の救世主として政財界から希求されたものだった. しかし, 一連の起業を推奨する言説にはあるアイロニーがある. それは, 自由意志と自己責任を強調し, 一人ひとりが独立自尊の精神を持った起業家になれと勧めるにもかかわらず, それが語られるコンテクストは必ず「日本経済の再生」や「わが国の活性化」などという国家的なものであったという点である. 自分の利益を追求し, 自分で自分の成功を規定するような者は「起業家」と呼ばれず, 「起業家」とはあくまでも「日本経済に貢献」する「経済の起爆剤」でなければならないのである. さらに, 若年雇用問題が社会問題化すると, 起業には雇用創出の役割までが期待されるようになった.<br>1999年の中小企業基本法の改正まで, 日本の中小企業政策は「二重構造」論の強い影響下, 中小企業の「近代化」や大企業との「格差是正」を目指すという社会政策的側面が強かった. その意味で, 起業家に自己責任と日本経済への貢献を同時に要求する理念は, 1990年代後半以降の時代特殊的なものと言える.
著者
坂 敏宏
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.270-286, 2014

Max Weberの価値自由 (Wertfreiheit) という概念はこれまでさまざまに解釈されてきた. 本稿はまず, Weberの著作からwertfreiまたはwertungsfreiを含む語 ('価値自由') の用例を調べ上げることで, Weber自身がこの言葉にどのような意味を与えていたのかを明らかにしようとする. 調査の結果, '価値自由'の語はテキスト中30カ所において得られた. これらの用例を分析したところ, これらはすべて社会科学的認識のための方法論の立場を示すものとして用いられており, 実践的な「価値への自由」を含意していなかった. つまり, '価値自由'が意味しているのは, 実践的内容を含意するものである価値は, 科学的認識の「過程」において認識の対象とすることができるが認識の基準にすることはできないということ, および認識の「言明」において価値評価は排除されるということである. 次にその意義を考察した. それによると, '価値自由'は自然と対置される価値の世界を自然科学と同じ確実性をもって認識するための原理であって, これによって価値の世界を自然の世界と同様の客体として科学的に「説明」することを可能にするものであり, さらには, 認識と実践の統一を主張するHegel的な汎論理主義的性格に抗して, あくまで認識と実践との区別というKant的な立場に踏みとどまろうとするWeberの「哲学」の基礎をなしている.

17 0 0 0 OA 有償労働の意味

著者
小笠原 祐子
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.165-181, 2005-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
20
被引用文献数
1 1 3

家事・育児・介護分担に関する研究が多数報告される中で, 生計維持分担に関する調査は十分になされてきたとは言えない.従来の研究では, 雇用と生計維持は必ずしも区別されず, 働く行為の意味が看過されてきた.本調査では, 同じようにフルタイムで継続就業する共働き夫婦といえども生計維持分担意識はさまざまであり, 分担意識の低い夫婦と高い夫婦が存在することが明らかになった.分担意識の低い夫婦においては, 生計維持者たる夫の仕事が妻の仕事より優先され, 家庭と仕事の両立が問題となるのはもっぱら妻の方であった.これに対し, 生計維持分担意識の高い夫婦は, 2人がともに生計維持者として就業を継続できるよう働き方を調整していた.これは, 夫婦両者の就業に一定の制約をもたらす一方で, 生計維持責任を1人で負担しなくてもよいことからくる自由度も与えていた.前者の夫婦は, どちらかと言えば旧来型の企業中心の生活を送る傾向が見られたのに対し, 後者の夫婦は, 脱企業中心のライフスタイルを希求するケースが多く, 働き方やライフスタイルが一部の階層で夫婦の選択となってきていることが示唆された.
著者
奥村 隆
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.77-93, 1994-06-30 (Released:2010-05-07)
参考文献数
44

「思いやり」と「かげぐち」どちらも, ありふれた現象である。 しかし, どちらも, 私たちが他者とともにあって「社会」を形づくる形式・技法として考察されるべきものではないだろうか。私たちがある技法を採用するのはどうしてか, それを「社会」形成の形式とするときその社会はどのような性格をもつのか。こうした問いの焦点のひとつに, この現象は位置づけられるのだ。このような「社会」形成の形式・技法は, 日常の自明性のなかにいるかぎり対象化できない。本稿では, 次のような方法をとる。まず, ある視点から, 論理的に一貫した理念型 (「原形」と呼ぶ) をつくる。その理念型を基準とすることで, 日常は基準からズレたものとして見えるようになる。そこで, そのズレ・距離 (「転形」と呼ぶ) を測定することで, それを生みだしている力=私たちが日常採用している技法が記述可能なものとなる。本稿は, 「存在証明」という視点を採用する。ここから組み立てられる「原形」は, 他者とともにあって「社会」を形成する困難さを内包したものになるだろう。この「原形」からみるとき, 「思いやり」と「かげぐち」が, その困難さに折り合いをつけながら「社会」を形づくる技法であり, それゆえにふたつが結びつかざるをえないものであること, そして, この技法をもつ「転形」 (すなわち私たちの社会) に「原形」とは別の困難さが存在していること, が浮かび上がってくるのである。
著者
青木 秀男
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.174-189, 2006-06-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
31

本稿は, 近代民衆の自立の構造を, 加賀 (金沢) の象嵌職人の日記 (『米澤弘安日記』, 明治~昭和期) を事例に分析する.まず, 近代民衆像をめぐる近代史学の論争を, 安丸良夫の通俗道徳論を中心にレビューする.そして, 近代民衆は, 生活の自立をめざして固有の生活倫理を実践したこと.その際, 搾取や抑圧と闘って自立をめざした民衆と, 闘わずに, もっぱら生活倫理を実践して自立をめざした民衆がいたこと, つまり, 民衆の自立には2つの回路があったことを論じる.次に, 生活史法としての日記分析の方法について説明する.次に, 闘わない民衆の事例として, 弘安の自立の構造を, 生活倫理の分析により明らかにする.生活倫理の徳目として, 生計の維持と家族の平穏に対する〈責任感〉, 責任を全うするための禁欲的な生活態度としての〈勤勉〉, 生計の維持を確実にするための, 象嵌細工の新分野開拓をめざす〈革新〉, 生計の維持と家族の平穏の確かな展望を得るための, 仕事や近隣の身近な人びととの〈和合〉, その反面としての, 不幸な境遇にある人びとや社会的弱者に対する〈憐憫〉 (と蔑視) を抽出する.そして, 弘安の自立が, これら徳目の相互関係の中でめざされたこと, これら全体が, 近代に内在する必然としてあったことを論じる.最後に, 近代史学の民衆像の議論に還って, それらと, 本稿の近代民衆像の差異について論じる.それによって, 仮説ながら, 〈もう1つの〉民衆像の提起とする.
著者
盛山 和夫
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.92-108, 2006-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
27
被引用文献数
1

一昨年のアメリカ社会学会会長ビュラウォイの講演以来, 「公共社会学」に対して熱心な議論が交わされている.これは現在の社会学が直面している困難な状況を「公衆に向かって発信する」という戦略で克服しようとするものだが, この戦略は間違っている.なぜなら, 今日の社会学の問題は公衆への発信がないことではなくて, 発信すべき理論的知識を生産していないことにあるからである.ビュラウォイ流の「公共社会学」の概念には, なぜ理論創造が停滞しているのかの分析が欠けており, その理由, すなわち社会的世界は意味秩序からなっており, そこでは古典的で経験的な意味での「真理」は学問にとっての共通の価値として不十分だということが理解されていない.意味世界の探究は「解釈」であるが, これには従来から, その客観的妥当性の問題がつきまとってきた.本稿は, 「よりよい」解釈とは「よりよい」意味秩序の提示であり, それは対象世界との公共的な価値を持ったコミュニケーションであって, そうした営為こそが「公共社会学」の名にふさわしいと考える.この公共社会学は, 単に経験的にとどまらず規範的に志向しており, 新しい意味秩序の理論的な構築をめざす専門的な社会学である.
著者
薬師院 仁志
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.42-59, 1998-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
9

本稿は, フィリップ・ベナールによる『自殺論』 (É.デュルケム, 1897年) の解釈を批判的に再検討する試みである。すなわち, ベナールによる解釈にもとづいて『自殺論』を再構成すると同時に, その限界を示すことを通じて, 『自殺論』という書物のもつ問題構成の重大性を再確認することを目標にしている。ベナールは, デュルケムの抱く女性にたいする偏見が, 『自殺論』においてデュルケム本来の理論をねじ曲げてしまったと主張する。デュルケムは, 女性もまた男性と同じように「自由への欲求」をもっていたのだという事実を隠蔽するために, 「宿命論的自殺」 (過度の拘束から生じる自殺) を追放してしまったというのである。ベナールは, 「宿命論的自殺」を『自殺論』から救出し, それとアノミー自殺とのU字曲線的関係を, 拘束という変数を軸に再構成したのである。本稿の課題は, ベナールによるこのような『自殺論』解釈を整理すると同時に, それがいかなる根拠にもとついて導出されたのかを明らかにし, あわせて, それがどの程度の妥当性をもつのかを理論的に検討することである。その際, 特に, ベナールが「集団本位的自殺」を自らの理論から除外したことに注目し, デュルケムとベナールの理論的相違点を明確にしたいと思う。
著者
仁平 典宏
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.485-499, 2005-09-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
41
被引用文献数
10 3

ボランティア活動に対しては, 国家や市場がもたらす問題への解決策として肯定的な評価がある一方で, ネオリベラリズム的な社会編成と共振するという観点から批判もある.本稿は, 既存の議論を整理し, ネオリベラリズムと共振しないポイントを理論的に導出することを目的とする.既存の議論における共振問題は, ボランティア活動の拡大が, ネオリベラリズム的再編の作動条件を構成するという条件の水準にあるものと, 再編の帰結に合致してしまうという帰結の水準にあるものとに整理される.条件の水準では, 公的な福祉サービス削減の前提条件とされる問題と, システムに適合的で統治可能な主体の創出のために活用されるという問題が指摘され, 帰結の水準では, 社会的格差の拡大とセキュリティの強化という帰結と一致するという問題が指摘されてきた.本稿では, これらの共振が絶えず生じるわけではなく, それぞれに共振を避けるポイントが存在していることが示され, それが, 共感困難な〈他者〉という, これまでのボランティア論において十分に想定されてこなかった他者存在との関係を巡って存在していることが指摘される.
著者
兼子 諭
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.360-373, 2014

本稿は, アレグザンダーの「市民圏」論の検討によって, 公共圏論の理論的な刷新を図ることを目的とする.<br>公共圏論に大きな影響を及ぼすハーバーマスは, 公共圏を公論形成の領域と規定する点ではマクロ的な観点を保持する. だが, 直接的な対話による了解を志向する討議を公共圏におけるコミュニケーションのモデルとすることから, 民主的社会における市民の意思形成とマクロレベルでの政治プロセスの接続という点で理論的困難を抱えている.<br>これに対してアレグザンダーは「市民圏」概念を提唱する. 彼は, 市民圏におけるコミュニケーションを, 討議から, 感情的な共感に訴えることでオーディエンスからの承認を求めるパフォーマンスに代替することを主張する. 彼に従えば, 基本的なコミュニケーションをパフォーマンスとして捉えることこそが, 民主的社会における公共圏のより適切な理論化につながる.<br>理論的課題は多く, 公共圏におけるコミュニケーションがスペクタクルとして上演されることを肯定するだけという評価もあるかもしれない. だが, アレグザンダーの市民圏論が, 現代の民主的社会と公共圏の関係に対する新たな洞察を可能にすると, 筆者は主張したい.
著者
青山 薫
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.224-238, 2014

本稿は, 公序良俗を守り, 「健康な成人向け娯楽」を提供し, 「女性と子ども」をこの産業から保護する法が, 男女を分け, 女性を, 公序良俗の内部にいる「善い女性」と商業的性行為によって無垢さを失った「悪い女性」に分断する性の二重基準にもとづいていることを批判的に検証する. そして, この法によってセックスワーカー (SW) が社会的に排除され, あるいは保護更生の対象とされることを問題視する. さらに本稿は, 法の二重基準に内包された階級とエスニシティにかかわるバイアスが, グローバル化が広げる格差と不安定さによって鮮明になったことを指摘する. そして, このような二重基準が, 近年, 移住SWをつねに人身取引にかかわる犠牲者あるいは犯罪者と位置づけ, とくに逸脱化・無力化する法とその運用にもあらわれていると議論する.<br>以上の目的をもって, 本稿では, SW支援団体と行ったアウトリーチにもとづいて, 人身取引対策と連動した性産業の取り締まり強化が, SW全体の脆弱性を高めていることを明らかにする. そして, 脆弱な立場におかれたSWの被害を真に軽減するためには, 従来の性の二重基準に替えて, 当事者の経験にねざしたエイジェンシーを中心に性産業を理解し, 法とその社会への影響を当事者中心のものに変化させようと提案する. それは, これもまたグローバル化によって広がっているSWの当事者運動に学ぶことでもある.

6 0 0 0 OA The Amae Male

著者
Kaori NAKAO
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
Japanese Sociological Review (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.64-81, 2003-06-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
15

本稿の目的は, 戦後期日本において共有されていた男性イメージを確定するための作業の第一歩として, 戦後の『婦人公論』にあらわれた男性イメージを明らかにすることである.その結果, 明らかになったのは, 1950年代に登場した二つの系譜による男性イメージ-戦後に大衆化しつつあったサラリーマンが担うようになった「弱い」男性イメージと, 「家制度」のジェンダーを焼き直した「甘え」る男性イメージ-が, その後重なり合いながら展開し, 1955年頃から1960年代半ばにかけて繰り返し言説化されたことである.それらは, 男性の「仕事役割」を強調することをてことして, 私的な空間におけるジェンダーを母子のメタファーで捉え, 男は「甘え」女は「ケア」するというパターンを共有していた.さらに, 「仕事をする男性像」と「甘える男性像」のセットは, 60年代に言説にあらわれた「家庭的な男性」とは矛盾するものであった.この結果より, 次のような仮説を提示した. (1) 「甘え役割」と言い得るような男性の役割が成立していた可能性, (2) その「甘え役割」が女性の「ケア役割」を根拠づけているということ, (3) 「甘え役割」は「仕事役割」によって正当化されているということ, (4) 否定的に言説化された「家庭的男性」が「甘え役割」および「仕事役割」のサンクションとして機能していた可能性である.
著者
内藤 莞爾
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.83-104,117, 1968-07-01 (Released:2009-10-20)

In 1641, Nagasaki was officially recognized as the only trade port in Japan. But actually the port was already opened in 1579, and the city formation had also been taking place since then. Meanwhile, there had been many thousands of martyrs and exiles among citizens as well as among foreign missionaries in consequence of the persecution to Christianity. Kyushu University owns the old census registers called “Ninbetsucho” of Hirado-cho in Nagasaki, some of which, in perfect preservation, are taken up as the data in this paper. Besed on them, I intend to examine the dynamic movements of family in those days. This study covers 29 years, from 1634 (K an-ei 11) to 1659 (Manji 1), during which the war of Amakusa broke out and the trade monopolization mention above took place. Some of our findings are as follows. Dividing the population into houseowners (Ie-mochi) and tenants as done in the census, we can observe that the former group contained a considerable number of large households. But houseowners at that time generally kept many domestics or servants other than normal family member of servants was almost as many as the other. So if we exclude them from the household members, the number of normal member of both types does not differ very much. Moreover, considering the relationship between normal members, many of them were in- or un- complete families. It is considered so far that ambitious people who gathered there from many parts of the country were stimulated by the rapid urbanization in Nagasaki. We tried to analize these mobile circumstances appeared in the family register of 1642, which alone had the “descriptive” style just suiting our purpose. According to this, people born in the city were less than half, and more than 80 % of their fathers were immigrants. As for sex distinction, the in-moving mobility rate of males was higer than that of females. We can confirm that they married native-born females in Nagasaki after moving into the city. In short, families in those days, in our impression, were the units of«laboring»rather than«living».To add the effects of the trade fluctuations to these, therefore, family continuity was very low in general. There were little cases of creation of branch families, too. On the other hand, the residential mobility after moving into the city was fairly high. An example illustrating such a mobility at that time was the case of converts, so called «Korobi». For instance, in 1634«Korobi»amounted to 60% of the population, which in 1659 decreased to 18% including the dead. Through the analysis of family dynamics, the image of early Nagasaki as a growing «Western City»could clearly be seen.
著者
小泉 義之
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.209-222, 2004-12-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
20

健康と病気の社会構築主義は, 生物医学モデルを批判し, 社会モデルを採用した.そして, 健康と病気を生命現象ではなく社会現象と見なした.そのためもあって, 社会構築主義において批判と臨床は乖離することになった.そこで, 健康と病気の社会構築主義は心身モデルを採用した.心身モデルとゲノム医学モデルは連携して, 心理・社会・身体の細部に介入する生政治を開いてきた.これに対して, 生権力と生命力がダイレクトに関係する場面を, 別の仕方で政治化する道が探求されるべきである.
著者
朴 沙羅
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.275-293, 2013

近年, 敗戦直後の連合軍占領期 (1945年9月から52年4月) における人口移動が解明されるにつれて, 在日コリアンの一部が太平洋戦争後に日本へ移住してきたことも次第に明らかにされてきた. その移動は通常, 「密航」や「不法入国」と呼ばれ, 管理され阻止される対象となった. しかし, 「密航」という言葉のあからさまな「違法性」のためか, 「密航」を定義する法律がどのように執行されるようになったかは, 未だ問題にされていない.<br>本稿が問題とするのはこの点である. 出入国管理法が存在せず, 朝鮮半島からの「密航者」や日本国内の「朝鮮人」の国籍が不透明だった時期に, なぜ彼らの日本入国を「不法」と呼び得たのか. 「密航」はどのように問題化され「密航者」がどのように発見されていったのか. これらを探究することは, 誰かが「違法」な「外国人」だとカテゴリー化される過程を明らかにし, 「密航」をめぐる政治・制度・相互行為のそれぞれにおいて, 「合法」と「違法」, 「日本人」と「外国人」の境界が引かれていく過程を明らかにすることでもある.<br>したがって, 本稿は, 朝鮮人の「密航」を「不法入国」と定義した法律, その法律を必要とした政治的状況, その法律が運用された相互行為場面のそれぞれに分析の焦点を当て, それによって, 植民地放棄の過程において「日本人」と「外国人」の境界がどのように定義されたかを明らかにしようと試みる.
著者
池本 淳一
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.169-186, 2013

武術学校とはスポーツ化した「競技武術」の専門課程をもつ中国における私立の体育系学校であり, 1980年代までの間に大学やナショナルチームを中心に発展してきた. 本稿は武術学校における再生産戦略とアイデンティティ構築に着目し, 競技武術の民間普及をもたらした社会的背景と, 実践者にとっての競技武術の意味を明らかにする. 具体的には以下の点を明らかにした.<br>第1に, 武術学校への転入学は農村の教育問題や都市の住居問題を解決するために, 農民や農民工の親によって決定された再生産戦略の一部であったこと. 第2に, 武術を学歴取得や就職のための技能として受入れ, 親の用意した再生産戦略を自分自身の戦略として受け継いだ生徒のみが, 中学部以上に進学していくこと.<br>第3に, 卒業生の多くは武術教師や警備員として都市で就職していくこと. 他方で豊富な身体資本を蓄積した生徒はステート・アマに, 豊富な文化資本を蓄積した生徒は体育大学・教育大学の武術科の大学生となること.<br>第4に, 卒業後, 武術は本人の出世と親子での都市移住を達成させるための経済資本となること. くわえて武術に打ち込むことで, 武術がナショナルかつ私的なアイデンティティを生み出す「身体化された文化資本」となること.<br>最後に競技武術の民間化をもたらした社会的背景, 武術文化が生み出す公的で私的な文化的アイデンティティ形成の可能性と危険性, 武術のローカリゼーションに関する諸問題を指摘した.