著者
田中 卓也
出版者
共栄大学
雑誌
共栄大学研究論集 = The Journal of Kyoei University (ISSN:13480596)
巻号頁・発行日
no.17, pp.29-37, 2019-03-31

「スポーツする少女」は,1960 年代より少女マンガという形で誌面に登場した。『アタックNo.1』や『サインはV!』では,バレーボールを題材に少女たちに厳しい練習を行わせるとともに,恋や友情など思春期の悩みなどを展開させることになった。オイルショック以降になると,日本は高度成長期を終え,安定成長期へと移行し,多くの国民の関心は個人の多様な価値観を求めるようになった。1970 年代以降になると,少女マンガはなりをひそめ,ギャグマンガやお笑いブームなどにより衰退化していくことになった。
著者
田中 卓也
出版者
静岡産業大学経営研究センター
雑誌
環境と経営 : 静岡産業大学論集 = Environment and management : Journal of Shizuoka Sangyo University (ISSN:13415174)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.31-43, 2020-06

戦後の「女学生」を対象とした二誌は、女子中学生・高校生ら「ジュニア」世代を誌面内容や附録などを工夫しながら、巧妙に読者に取り込んだ。誌面づくりのために、生き残りをかけて少女の心を引き留めることに苦心した。しかしながら両誌は、発刊および廃刊の時期は異なるものの、「女学生」としての教養の習得をめざすことは忘れておらず、クイズや懸賞形式を採用しながらも誌面に学習教材としてのものを掲載し続けた。しかしながら『女学生の友』はその後、ジュニア向けファッション誌『プチセブン』に、『女学生コース』は、『中1コース』、『高1コース』のように学習内容を残しながらも、ファッション、マンガなどの要素をとりいれたものへと変化を遂げることになり、「娯楽」や「流行」を求める少女雑誌の台頭を促すことになった。
著者
田中 卓也
出版者
共栄大学
雑誌
共栄大学研究論集 (ISSN:13480596)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.145-170, 2014-03-31

1925(大正 14)年に集英社は、老舗出版社であった小学館の「娯楽雑誌部門」として分離独立した。翌年に正式独立し、「明るく楽しい少年少女雑誌」をキャッチフレーズとして、これまでに多くの雑誌を発刊した 1)。戦後になり同誌は、おもに就学前の児童から小学校児童の男子・女子に購読されていた。誌面は戦前から存在した「小説」、「物語」のほかに、マンガ、スポーツ記事や読者投稿欄なども設けられ、読者等の多くに‶娯楽"の雰囲気を提供した。読者らが集った投稿欄は "文ちゃんクラブ" とよばれ、愛読者にも人気を博した。そこに集うことで読者らは、(編集)記者と交流を図ることや、愛読者仲間を見つけ出す機会となった。またマンガの主人公や、スポーツ選手等に憧憬し、読者等のなかには次第に"ヒーロー像"が確立されることになった。 かくして『おもしろブック』は、集英社より戦後の児童雑誌の転換期に登場し、児童読者の興味・関心が分化する流れの中で、対応することに迫られた。しかしながらテレビの放映開始、マンガの流行等大きな波が押し寄せる中で、幾度か誌面構成を変更することも余儀なくされた。しかしながら編集部は読者のことを最後まで忘れなかった。同誌は発刊後 10 数年間にわたり役割を果たし、次世代雑誌『少年ブック』にバトンを渡すことになる 2)。
著者
田中 卓也 Takuya Tanaka
巻号頁・発行日
vol.13, pp.155-173, 2015-03-31

『少女ブック』は、集英社から1951(昭和26)年8 月に発刊された。同誌は創刊号より表紙に少女モデルを採用した。また同誌には早い時期から投書欄「仲良しルーム」が存在していた。「仲良しルーム」は少女読者の人気を誇った欄であった。また投書欄には「ブッ子」という愛称で親しまれるキャラクターが登場し、誌面を賑わせた。少女読者らはこぞって「仲良しルーム」に投書を寄せ、仲間を見つけた。文通する者もいれば、「少ブ」と略語を使用し、愛読者仲間に参入する者等も存在した。その後読者間の交流は、誌面外になることが多かった。読者が互いに「少ブ」という略語を合言葉に、目には見えない読者の共同体を形成した。また読者の関心が今まで以上に、多方面に展開した。仲間を求めること以上にスタア、アイドルに熱狂するような傾向が見られた。同誌編集者は誌面では手の届かないスタア・アイドルと文通を通じて交際し、より近い距離での関係を構築することに一役買った。そのため本来の小説、物語を中心であった誌面構成が、テレビの普及等を理由に大きく様変わりすることになった。時代の流行に追随することが目的となった同誌は、「あなたのすてきなスター雑誌」としての方向性をとることになり、少女雑誌からスタア・アイドル誌への誌面方針の転換を余儀なくされた。
著者
田中 卓也
出版者
静岡産業大学経営研究センター
雑誌
環境と経営 : 静岡産業大学論集 = Environment and management : Journal of Shizuoka Sangyo University (ISSN:13415174)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.47-54, 2019-12

本研究では、芸能雑誌『明星』(集英社)を取り上げ、多くの女性ファンの心をつかむことに成功した男性アイドルについてとりあげ、男性アイドル観がどのように形成されたのかについて考察・検討を試みるものである。また男性アイドルが、「スポーツ」と「恋愛」について、どのように結びついていくことになったのかについて見出すものである。 1960年代初頭にジャニー喜多川が手掛けた4人組グループの「ジャニーズ」が「野球」を通じて交流した若い青年が最初のジャニーズタレントになって以降、現在に至るまで、多くのタレントを排出した。彼らは「野球」をはじめ、様々なスポーツと関わるなかで、若い女性から人気を博すことになった。女性にとっての男性アイドル観は、「新御三家」に始まり、「たのきんトリオ」の登場で形成されはじめ、「SMAP」に至るまで以後多くの女性から愛される(恋愛対象としての)存在になっていった。『明星』誌は、スポーツと恋愛が女性ファンと結びつける装置としての機能を有した。
著者
田中 卓也
雑誌
環境と経営 : 静岡産業大学論集 = Environment and management : Journal of Shizuoka Sangyo University
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.47-54, 2019-12-01

本研究では、芸能雑誌『明星』(集英社)を取り上げ、多くの女性ファンの心をつかむことに成功した男性アイドルについてとりあげ、男性アイドル観がどのように形成されたのかについて考察・検討を試みるものである。また男性アイドルが、「スポーツ」と「恋愛」について、どのように結びついていくことになったのかについて見出すものである。 1960年代初頭にジャニー喜多川が手掛けた4人組グループの「ジャニーズ」が「野球」を通じて交流した若い青年が最初のジャニーズタレントになって以降、現在に至るまで、多くのタレントを排出した。彼らは「野球」をはじめ、様々なスポーツと関わるなかで、若い女性から人気を博すことになった。女性にとっての男性アイドル観は、「新御三家」に始まり、「たのきんトリオ」の登場で形成されはじめ、「SMAP」に至るまで以後多くの女性から愛される(恋愛対象としての)存在になっていった。『明星』誌は、スポーツと恋愛が女性ファンと結びつける装置としての機能を有した。
著者
和井田 節子 小泉 晋一 田中 卓也 Setsuko Waida Koizumi Shinichi Tanaka Takuya
出版者
共栄大学
雑誌
共栄大学研究論集 = The journal of Kyoei University (ISSN:1880859X)
巻号頁・発行日
no.14, pp.193-216, 2016

共栄大学教育学部では、2 年次必修演習科目「教育学基礎演習」(半期・1 単位)の中で「知的思考力」と、協同的に問題解決をする「社会的能力」の育成を目的に、教育政策的なテーマで、チームによるディベートを行っている。本研究では、2015 年の授業記録とアンケート結果から、ディベート学習の教育的効果と課題を検討した。その結果、「知的思考力」の向上は認められたが、「社会的能力」に関しては有意な効果は認められなかった。しかし、説得力のあるディベートができたチームには、協同的に準備ができたという感想を持つ傾向があり、チームワークのスキルを学ばせる必要も示唆された。
著者
田中 卓也 Takuya Tanaka
巻号頁・発行日
vol.11, pp.121-138, 2013-03-31

講談社刊行雑誌『少年倶楽部』(のちに『少年クラブ』改称)は、発刊された1914(大正3)年から昭和戦前期にかけて、当時小学校高学年から中学生までの読者層の多くを"愛読者"として獲得することに成功した。彼らは立身出世による進学意識、勤勉かつ真面目であり国家に奉公できる少年像をメルクマールに、投書欄に集い次第に読者共同体を形成していった。戦後多くの少年の夢や希望を与えることを使命に、復刊を果たした。復刊されたが、投書欄の登場は発刊から数年を経てからであった。戦後の同誌は民主化政策の影響で投書内容も戦前のものとは異なり「学級新聞」や「日記」等が見られた。また誌面で仲間を求める内容のものも見られなかった。昭和30 年代中ごろより「テレビ」、「まんが」といったマス=メディアの影響を大きく受け、誌面構成に大きく波及した。後進の新興雑誌などと販売競争しながらも継続発行されたが、1962(昭和37)年にその役割を終えた。
著者
和井田 節子 小泉 晋一 田中 卓也 Setsuko Waida Koizumi Shinichi Tanaka Takuya
巻号頁・発行日
vol.14, pp.193-216, 2016-03-31

共栄大学教育学部では、2 年次必修演習科目「教育学基礎演習」(半期・1 単位)の中で「知的思考力」と、協同的に問題解決をする「社会的能力」の育成を目的に、教育政策的なテーマで、チームによるディベートを行っている。本研究では、2015 年の授業記録とアンケート結果から、ディベート学習の教育的効果と課題を検討した。その結果、「知的思考力」の向上は認められたが、「社会的能力」に関しては有意な効果は認められなかった。しかし、説得力のあるディベートができたチームには、協同的に準備ができたという感想を持つ傾向があり、チームワークのスキルを学ばせる必要も示唆された。
著者
田中 卓也 Takuya Tanaka
出版者
共栄大学
雑誌
共栄大学研究論集 = The journal of Kyoei University (ISSN:1880859X)
巻号頁・発行日
no.14, pp.167-191, 2016

「たのきん」と呼ばれる3 人の男性アイドルは、『平凡』誌上最後のアイドルとして、人気を誇った。ファン等はこぞって同誌の読者投書欄に投書を寄せ、「その思い」を伝えた。たのきん人気が去ってからは、読者投書欄は読者同士の文通や交流、誌面でのやりとりが中心となった。いつしか読者等は目には見えない読者共同体を形成していった。それはやがてアイドルを標榜する読者の集いから、彼等読者が日常通学する学校ヘと目が向けられた。それは「校則」への批判、反発というかたちで、読者個人の思いが投影されるものとなっていった。それは『平凡』誌の読者欄が彼等ヤング(若者)の居場所であり、そこで作られる主義主張などは、「ヤング共同体」としてのディスクールを有した。
著者
白仁田 和久 筒井 光夫 森澤 仁 阿南 直幸 田中 卓也 服部 尚道
出版者
Japan Chapter of International Geosynthetics Society
雑誌
ジオシンセティックス論文集 (ISSN:13446193)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.383-388, 2013
被引用文献数
2

東日本大震災で甚大な被害を被った三陸鉄道北リアス線は,平成26年4月の全線開通を目指し,現在,小 本・田野畑間の復旧工事が進められている.本工事において,河川交差部の門形カルバートおよび道路交差部 の2橋梁部の計3カ所において,補強盛土一体橋梁(以下,GRS一体橋梁)が採用された.本報告は,これら GRS一体橋梁の施工事例を報告する.
著者
田中 卓也
出版者
共栄大学
雑誌
共栄大学研究論集 (ISSN:13480596)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.121-138, 2013-03-31

講談社刊行雑誌『少年倶楽部』(のちに『少年クラブ』改称)は、発刊された1914(大正3)年から昭和戦前期にかけて、当時小学校高学年から中学生までの読者層の多くを"愛読者"として獲得することに成功した。彼らは立身出世による進学意識、勤勉かつ真面目であり国家に奉公できる少年像をメルクマールに、投書欄に集い次第に読者共同体を形成していった。戦後多くの少年の夢や希望を与えることを使命に、復刊を果たした。復刊されたが、投書欄の登場は発刊から数年を経てからであった。戦後の同誌は民主化政策の影響で投書内容も戦前のものとは異なり「学級新聞」や「日記」等が見られた。また誌面で仲間を求める内容のものも見られなかった。昭和30 年代中ごろより「テレビ」、「まんが」といったマス=メディアの影響を大きく受け、誌面構成に大きく波及した。後進の新興雑誌などと販売競争しながらも継続発行されたが、1962(昭和37)年にその役割を終えた。