- 著者
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百々 幸雄
- 出版者
- The Anthropological Society of Nippon
- 雑誌
- 人類學雜誌 (ISSN:00035505)
- 巻号頁・発行日
- vol.91, no.2, pp.169-186, 1983
- 被引用文献数
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4
伊達市南有珠6遺跡の続縄文時代恵山期の貝層下部より掘りこまれた土壙墓より,人骨1体分が発見された(図1)。土壙墓は一部撹乱を受けていたが,層位的にみて恵山期のものであることは確実であり,恵山期に特徴的な片刃の石斧一点が副葬されていた。<br>人骨の保存状態は,頭蓋はきわめて良好であったが,四肢骨は概して不良であった。したがって,ここでは頭蓋のみを研究の対象として報告した。性別は明らかに女性であり,年齢は熟年程度と推定された。<br>頭蓋計測値と形態小変異の出現状態は,それぞれ表1と表4に示した。<br>脳頭蓋は,中型,高型,尖型であり,顔面頭蓋では,中上顔型,中眼窩型,広鼻型,狭口蓋型である。顔面頭蓋は,縄文人に比して,概して繊細であり,とくに頬骨と上顎骨体の退縮が著しい。歯槽性の突顎も著明である。しかし,歯の咬耗は著しく進んでおり,大臼歯で3度ないし4度の段階にある。また,歯の生前脱落と歯槽に膿瘍の痕跡も認められる。<br>21項目の計測値を,近世道南アイヌ,道央•道東北部のアイヌ,東北地方縄文人,西日本の縄文人(吉胡•津雲貝塚)および現代東北地方人女性頭蓋の平均値と比較し,これらとの間にペンローズの形態距離(Cz2)を求めると,南有珠6頭蓋は,道南アイヌに最も近く,次いで道央•道東北部のアイヌに近い。東北地方縄文人とも比較的近い距離にあるが,西日本の縄文人と現代東北地方人とはかなり離れる(表2)。<br>近世アイヌと本州縄文人頭蓋を比較的良く分離する頭蓋示数6項目を比較すると,長幅示数,頭蓋底示数,コルマンの上顔示数および口蓋示数の4示数では,南有珠6頭蓋は近世アイヌに近い。矢状前頭々頂示数はどちらかといえば,縄文人に近いが,前頭弧長および頭頂弧長の絶対値は,はるかに縄文人平均を上回っている。下顎枝示数は著しく大きく,超アイヌ的であるといって良い(図2-図7)。<br>顔面平坦度計測では,頬上顎部の示数のみがアイヌおよび縄文人の示数平均より大きく,南有珠6頭蓋の著しい突顎性を表わしているが,他の2示数,すなわち前頭部と鼻根部の示数は,アイヌと縄文人の示数平均の中間に位置する(表3)。<br>29項目の頭蓋の形態小変異の出現型を用いて,南有珠6頭蓋が,アイヌか和人のいつれかの集団から抽出されたものかを調べるために,尤度比を求めてみたが,和人に対するアイヌの尤度比は9.86となり,南有珠6頭蓋はアイヌ集団に帰属すると判定することができる(表4)。<br>以上の結果を総合的に判断すれば,南有珠6頭蓋は,本州の縄文人頭蓋よりも,近世アイヌ,とくに道南部のアイヌ頭蓋との親近性が強いといえ,山口(1980a,1981)が指摘するように,恵山期の続縄文時代人は,縄文から近世道南アイヌへの形態に移行していく過程にあると推察される。