著者
川久保 善智 澤田 純明 百々 幸雄
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.117, no.2, pp.65-87, 2009 (Released:2009-12-25)
参考文献数
70
被引用文献数
3 3

南東北(宮城・福島・山形)由来の古墳時代人・古代人と北東北(青森・岩手・秋田)由来の江戸時代人の頭蓋について,計測的分析と形態小変異の分析を行い,これら東北地方の古人骨に,縄文人やアイヌの形態的特徴が,どの程度遺残しているかを調べた。比較資料として,東日本縄文人,北海道アイヌ,関東の古墳時代人と江戸時代人,それに北部九州の古墳時代人と江戸時代人の頭蓋を用いた。計測的分析では,顔面平坦度計測を含めた18項目の頭蓋計測値を用い,マハラノビスの距離(D2)にもとづいた分析と線形判別分析を試みた。頭蓋形態小変異については,観察者間誤差が少なく,日本列島集団の類別に有効であることが知られている6項目に絞って,スミスの距離(MMD)にもとづく分析を行った。D2でもMMDでも,縄文人に最も近いのは北海道アイヌであったが,東北地方の古墳時代人(計測的分析では古代人も含む)がこれに次いでおり,古墳時代でも江戸時代でも,九州→関東→東北→北海道アイヌまたは東日本縄文人という,明瞭な地理的勾配が観察された。同様の地理的勾配は,判別分析においても確かめられた。このような地理的勾配から判断すると,今回研究の対象にすることができなかった北東北の古墳時代人は,南東北の古墳時代人よりも,さらに縄文・アイヌ群に近接するであろうと推測された。もし彼らが古代の文献に出てくる蝦夷(エミシ)に相当する人々であったとしても,東北地方の古代日本人(和人)と縄文・アイヌ集団の身体的特徴の違いは連続的であったと思われるので,古代蝦夷がアイヌであるか日本人であるかという“蝦夷の人種論争”は,あまり意味がある議論とは思われなかった。
著者
篠田 謙一 安達 登 百々 幸雄 梅津 和夫 近藤 修
出版者
独立行政法人国立科学博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

近世アイヌ人骨122体を対象としてDNAを抽出し、ミトコンドリアDNAの解析を行った。最終的に100体からDNA情報を取得し、アイヌ集団の成立の歴史の解明を試みた。解析の結果は、北海道のアイヌ集団は在来の縄文人の集団にオホーツク文化人を経由したシベリア集団の遺伝子が流入して構成されたというシナリオを支持した。また同時に行った頭蓋形態小変異の研究でも、アイヌは北海道の祖先集団に由来するものの、オホーツク人との間の遺伝的な交流を持っていた可能性が示された。
著者
百々 幸雄 木田 雅彦 石田 肇 松村 博文
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.99, no.4, pp.463-475, 1991 (Released:2008-02-26)
参考文献数
33

北海道東部の厚岸町下田ノ沢遺跡より,1966年,1体の擦文時代人骨が発見された。人骨は頭骨ほぼ全体と体幹•体肢骨の一部が,人類学的研究に耐え得る状態に保存されていた。年齢,性別は成年女性である。頭骨の計測値に基づいた距離計算では,アイヌよりも東北日本人にやや近いという結果が得られたが,歯の計測値に基づく距離計算と頭骨の非計測的小変異に基づく分析の結果は,本人骨が明らかにアイヌに帰属することを示した。体幹•体肢骨の計測と観察の結果もこれを支持するものであった。頭骨の非計測的小変異では,関節面を有する典型的な第3後頭顆の発現が注目された。分析結果を総合的に解釈すると,下田ノ沢擦文時代人骨の形質は,近世北海道アイヌのそれと基本的に変わるところがないと結論される。
著者
百々 幸雄 土肥 直美 近藤 修
出版者
東北大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1993

1.奄美諸島住人の頭蓋140例、沖縄本島122例、先島諸島63例について、計測的、非計測的特徴を調査した。2.顔面平坦度計測の結果から、沖縄本島人が予想以上に顔面が平坦であることが明らかになった。3.沖縄本島人の顔面の平坦性は渡来系弥生人、古墳人とほぼ同様で、顔面の立体的なアイヌや縄文人とは著しく異なっていた。4.したがって、従来の伝統的計測法による結果のみをもって、琉球・アイヌ同系説を議論することがいかに危険であるかを指摘した。5.頭蓋の非計測的特徴の出現パターンも、沖縄、奄美諸島人はアイヌや縄文人と明らかに異なり、むしろ本土の日本人や中国人と近いことが明らかになった。6.我々の今回の結果だけから、琉球・アイヌ同系説を否定してしまうのもまだデータ不足と思われ、例数がまだ100例に満たない先島諸島を中心に、今後も調査を継続することで共同研究者と意見が一致した。
著者
澤田 純明 奈良 貴史 中嶋 友文 斉藤 慶吏 百々 幸雄 平田 和明
出版者
一般社団法人 日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.118, no.1, pp.23-36, 2010 (Released:2010-06-23)
参考文献数
52
被引用文献数
1 1

骨の組織形態学的検討は,動物種の同定に有効な方法である。青森県朝日山(2)遺跡から平安時代の焼骨片が出土したが,小片のため肉眼形態観察では種の同定が困難であった。そこでヒトかそれ以外の動物なのか鑑別することを目的として,出土四肢骨骨幹部片4点を薄切し,骨組織形態の観察と計測的検討を行なった。比較資料として,ヒト・クマ・ウマ・イノシシ・ニホンジカ・カモシカ・ウシの四肢長骨を用いた。比較資料の骨組織形態計測の結果,ヒトのハバース管の面積(H.Ar)とオステオンの面積に対するハバース管の面積の比(H-On示数)は他の動物より有意に大きい傾向があり,人獣鑑別の指標として優れていた。朝日山(2)遺跡出土焼骨について,焼成による収縮の影響を考慮しながら検討した結果,出土骨試料4点のうち3点は人骨とみなしてさしつかえないと考えられた。残る1点はヒトあるいはウマの可能性があるが,どちらかといえばヒトに近いと考えられた。出土焼骨は火葬された人骨と推察され,平安時代の青森地方に火葬習俗が存在した可能性が示唆された。
著者
石田 肇 百々 幸雄 天野 哲也 埴原 恒彦 松村 博文 増田 隆一 米田 穣
出版者
琉球大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

オホーツク文化人骨の形態解析とDNA分析の結果、北東アジア、とくにアムール川流域を起源としていること、mtDNAのハプログループYは、アムール川下流域集団の祖先からオホーツク文化人を経由してアイヌへともたらされたことが示唆された。また、食生活では栄養段階の高い大型魚類や海生ほ乳類を主要なタンパク質として多く利用していたことが示された。変形性関節症の頻度分布からも、生業との関連性が示唆された。アイヌ民族のイオマンテ型儀礼は続縄文文化・オホーツク文化にまでさかのぼる可能性が大きいことを示した。
著者
百々 幸雄 川久保 善智 澤田 純明 石田 肇
出版者
一般社団法人 日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.120, no.1, pp.1-13, 2012 (Released:2012-08-22)
参考文献数
67
被引用文献数
5 3

北海道アイヌの成立には,オホーツク人の遺伝的影響がかなり強く及んでいたという近年の研究成果に鑑みて,視野の中心を北海道に据えて,東アジアと北東アジアにおける北海道アイヌの人類学的位置を,頭蓋の形態小変異を指標にして,概観してみた。使用した形態小変異は観察者間誤差の少ない9項目で,日本列島の10集団とサハリンおよび大陸北東アジアの3集団を対象に分析を行った。集団間の親疎関係の推定にはスミスの距離(MMD)を用い,棒グラフとMMDマトリックスの主座標分析で集団間の相互関係を図示した。オホーツク人は北海道アイヌとサハリン・アムール・バイカルといった北東アジア集団のほぼ中間に位置したが,北海道アイヌとの形態距離はかなり近く,北海道や本州の縄文人と同程度であった。これに対して,大陸東アジアにその原郷が求められる弥生系集団は,北海道アイヌから遠く離れていた。9項目による分析結果が妥当なものであったかどうかを検証し,さらに,北海道の続縄文人の形態学的な位置づけを明らかにするために,著者のひとりが独自にデータを収集した12集団についても,20項目の形態小変異を用いて,同様の分析を行った。9項目による分析結果と20項目による分析結果はほとんど同じで,北海道アイヌの母体になった集団は,やはり従来の指摘どおり,北海道や本州の縄文人と北海道の続縄文人であると考えられたが,北海道アイヌの成立には,オホーツク人の遺伝的影響をも考慮しなければならないと思われる。
著者
大島 直行 木田 雅彦 石田 肇 百々 幸雄
出版者
札幌医科大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1991

続縄文時代恵山文化の形成と展開に際しての、本州弥生文化の影響の実態と把えるため,北海道豊浦町礼文華貝塚の発掘調査を実施した。調査の結果,次の点が明らかになった。1.貝塚の規模は,約500m^2であった。貝層の堆積は、最も厚いところで1mを計。形成時期については,縄文時代晩期終末に始まり,続縄文時代恵山期と比較的長期にわたることが明らかとなった。2.遺構は,残念ながら墓の発見はなかった。ただし、立地条件や過去の調査結果などから、本遺跡の墓地としての可能性は大きく,埋葬遺構の発見も,将来的に期待される。本調査においては,イルカの埋納土壙の発見があった。全国的にも、きわめて珍らしい検出例である。土壙は、直径約100cmの円形を呈する。埋土を10cm程掘り下げた段階で,頭骨を中心とする大量のイルカの骨があらわれた。その数は12個体分だが,調査は土壙の約半分にすぎないことから、全体ではさらにその数が増すものと思われる。おそらく、「送り場」的な性格を持つ遺構と考えられ、たいへん興味深い。3.出土遺物の中で,特に注目されたものに土製紡錘車の出土がある。恵山文化期の包含層中より出土したもので,北海道出土の紡錘車としては,最も古い例となった。おそらく、本州の弥生前期〜中期段階の資料と深く関係するものと思われ、有珠10遺跡より出土した南海産貝輪とともに,北海道への弥生文化の波及を示す、興味深い資料の追加となった。
著者
百々 幸雄 川久保 善智 澤田 純明 石田 肇
出版者
一般社団法人 日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.121, no.1, pp.1-17, 2013 (Released:2013-06-21)
参考文献数
75
被引用文献数
1 1

頭蓋形態小変異9項目を指標にして,北海道集団(縄文/続縄文人・アイヌ・オホーツク人)とサハリンアイヌ・アムール川下流域集団・バイカル新石器時代人といった北東アジア集団との親疎関係を求め,それにもとづいてアイヌの成立史を論じた。頭蓋形態小変異にもとづいた各集団の親疎関係の当否は,18項目の頭蓋計測値による分析からも確かめてみた。頭蓋形態小変異による分析でも,その結果を確認するために行った頭蓋計測値による分析でも,比較6集団のなかで,北海道縄文・続縄文人に最も近い距離にあるのは北海道アイヌで,北海道縄文・続縄文人が近世北海道アイヌの母体になった集団であるという従来の言説を追認した。頭蓋形態小変異にもとづく距離分析では,比較6集団のなかで,北海道アイヌに最も近いのはオホーツク人で,頭蓋計測値による判別分析でも,オホーツク人の約3割が北海道アイヌに判別された。これらの所見から,北海道アイヌの祖先集団とオホーツク人は,これまで想定されていた以上に,活発な文化的・遺伝的交流を行っていたのではないか,という問題提起をした。オホーツク人の頭蓋形態小変異のほとんどは,その出現頻度が,北海道縄文・続縄文人とバイカル新石器時代人のほぼ中間に位置するので,オホーツク人の原郷をサハリン北部やアムール川下流域集団に求めるにしても,その成立にあたっては,北海道続縄文人も何ほどかの遺伝的な貢献をしていた可能性を指摘した。頭蓋形態小変異を用いた分析では,サハリンアイヌとオホーツク人との距離はきわめて近く,さらに,北海道アイヌとの比較では,サハリンアイヌはアムール・ニブフ集団により近くなった。ほぼ同様の結果が頭蓋計測値の分析からも得られた。これらのことから,北海道からサハリンに渡った終末期の擦文人,あるいは最初期の北海道アイヌが,サハリンに生きながらえていたオホーツク人を同化・吸収し,13世紀にはサハリンアイヌの祖先集団となり,その後,ニブフをはじめ,アムール川下流域集団との混血を繰り返し,近世サハリンアイヌが形成されたと推測した。
著者
鈴木 敏彦 澤田 純明 百々 幸雄 小山 卓臣
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.112, no.1, pp.27-35, 2004 (Released:2004-07-14)
参考文献数
27
被引用文献数
1 3

青森県下北半島浜尻屋貝塚の2002年の発掘調査において,中世に属する1体の小児人骨が出土した。本研究では,歯冠の計測値および非計測的形質について日本列島の各時代の集団との比較分析を行うことで,浜尻屋人骨の帰属集団を探った。歯冠サイズに関しては,浜尻屋人骨はアイヌと中世本土日本人の双方にオーバーラップしており,そのどちらに近いかを明らかにすることは難しかった。一方,非計測的形質に関しては,上顎前歯部の弱いシャベル形質や,下顎第二乳臼歯に見られたmiddle trigonid crestは,より縄文人的すなわちアイヌ的な形質特性を意味するものと思われた。以上を踏まえると,浜尻屋人骨は少なくとも渡来的形質を持った本土日本人ではなく,アイヌ,もしくは縄文・アイヌ的形質を備えた本土日本人のどちらかに属する可能性が高いと考えられた。
著者
百々 幸雄 川久保 善智 澤田 純明 石田 肇
出版者
一般社団法人 日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
pp.120818, (Released:2012-10-06)
被引用文献数
3 2

北海道の南西部,中央部,および北東部のアイヌにサハリンアイヌを加えたアイヌ4地域集団を対象にして,日本本土と琉球諸島諸集団の地域差と比較しながら,アイヌの地域差とはいったいどの程度のものであったのかを,頭蓋形態小変異20項目を指標にして評価してみた。地域差の大小関係は,スミスの距離(MMD)を尺度として比較した。北海道アイヌ3集団の地域差の程度は,奄美・沖縄・先島の琉球諸島近世人3集団の地域差よりはやや大きく,東北・関東・九州の日本本土の現代人3集団の地域差とほぼ同程度であった。北海道アイヌのなかでは,道北東部アイヌが道南西部および道中央部のアイヌとやや距離を置く傾向が観察された。サハリンアイヌは北海道アイヌから相当程度遠く離れ,その距離(MMD)の平均値は,北海道アイヌ3地域集団相互の距離の平均値の約4倍にも達した。このような関係は,18項目の頭蓋計測値にもとづいたマハラノビスの距離(D2)でも確かめられた。
著者
鈴木 隆雄 百々 幸雄 西本 豊弘 三橋 公平
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.91, no.4, pp.455-463, 1983 (Released:2008-02-26)
参考文献数
21

北海道縄文時代後期末葉に属すると考えられる三ツ谷貝塚出土人骨において,成人および小児の上顎洞内に極めて特徴ある骨増殖像が認められた。この所見は,臨床耳鼻咽喉科学上,いわゆる"遊離骨片"と診断されるものであるが,本症例のように巨大な骨塊を呈するものは臨床的にも,また古病理学的にも比較的稀なものである。今論文はこの"遊離骨片"について,その形態,古病理学的診断等について述べるとともに本症の病因や遺伝的素因についても若干の考察をおこなった。
著者
百々 幸雄 松崎 水穂
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.90, no.1, pp.73-78, 1982 (Released:2008-02-26)
参考文献数
17

北海道上ノ国町洲崎館跡より15世紀中葉の珠洲焼系の擂鉢を被って発見された成年男性頭骨は,形質人類学上,和人頭骨とみなすことができる。顔面部には現代的な特徴も見受けられるが,脳頭腎の著しい長頭性や鼻根部の扁平性は,中世的な特徴を表わしていると思われる。
著者
百々 幸雄
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.95, no.1, pp.19-35, 1987
被引用文献数
24

最初に,眼窩上孔と舌下神経管二分の解剖学的および発育学的性質が再検討された.その結果,研究者間の誤差を少なくするために,眼窩上縁に存在し,しかも眼窩に開通するすべての孔(前頭孔と滑車上孔を含む)を眼窩上孔と記録することが適当であると考えられた.舌下神経管二分の判定に関しては,とくに問題になるような研究者間誤差が入り込む余地がないように思われた.この二形質とも,出現頻度が生後発育とともに増大するので,OSSENBERG(1969)の提唱する骨過形成的変異形質に分類してさしつかえないようであった.しかし,両形質の発現はほとんど独立に生じる,という結果が得られた.<br>次に,眼窩上孔と舌下神経管二分の出現頻度を,モンゴロイド38集団,コーカソイド37集団,ネグロイド4集団,オセアニアン13集団について比較した。その結果,眼窩上孔の出現頻度は明らかにモンゴロイド集団で高く,舌下神経管二分の出現頻度は,コーカソイドと北アメリカのモンゴロイド集団で高いことが明らかになった.二変異形質の出現率を組み合わせて集団の散布図を描くと,オーストラリア原住民,ネグロイド,コーカソイド,アジアのモンゴロイド,北アメリカのモンゴロイドの五つのクラスターが識別され,この二形質がヒト集団の大分類にきわめて有効であると考えられた.<br>最後に,近世アイヌと日本の先史&bull;原史時代集団における出現頻度を検討した.両形質の出現頻度をもとに集団の散布図を描くと,土井ケ浜および金隈弥生人,東日本および西日本の古墳人集団の分布は,現代日本人を含むアジアのモンゴロイド集団の分布範囲とほぼ完全に一致するが,北海道アイヌと東日本および西日本の縄文人集団はこれらから大きく離れて,一つのクラスターを形成する傾向にあった.このことから,土井ケ浜型の弥生人,古墳人および現代日本人は,遺伝的に密接に関連していることが推察された。<br>縄文人的な形態的特徴を有する西北九州型等の弥生人についてのデータがないので,性急な結論は差控えたいが,眼窩上孔と舌下神経管二分の出現型からみる限り,現代日本人の成立には,弥生時代から古墳時代にかけての大陸からの渡来集団の遺伝的影響が大いに関与しているように思われる.
著者
石田 肇 百々 幸雄
出版者
バイオメカニズム学会
雑誌
バイオメカニズム学会誌 (ISSN:02850885)
巻号頁・発行日
vol.14, no.4, pp.200-206, 1990-11-01 (Released:2016-10-31)
被引用文献数
1 1
著者
百々 幸雄 川久保 善智 澤田 純明 石田 肇
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological science. Japanese series : journal of the Anthropological Society of Nippon : 人類學雜誌 (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.120, no.2, pp.135-149, 2012-12-01
参考文献数
60
被引用文献数
1 2

北海道の南西部,中央部,および北東部のアイヌにサハリンアイヌを加えたアイヌ4地域集団を対象にして,日本本土と琉球諸島諸集団の地域差と比較しながら,アイヌの地域差とはいったいどの程度のものであったのかを,頭蓋形態小変異20項目を指標にして評価してみた。地域差の大小関係は,スミスの距離(MMD)を尺度として比較した。北海道アイヌ3集団の地域差の程度は,奄美・沖縄・先島の琉球諸島近世人3集団の地域差よりはやや大きく,東北・関東・九州の日本本土の現代人3集団の地域差とほぼ同程度であった。北海道アイヌのなかでは,道北東部アイヌが道南西部および道中央部のアイヌとやや距離を置く傾向が観察された。サハリンアイヌは北海道アイヌから相当程度遠く離れ,その距離(MMD)の平均値は,北海道アイヌ3地域集団相互の距離の平均値の約4倍にも達した。このような関係は,18項目の頭蓋計測値にもとづいたマハラノビスの距離(D<sup>2</sup>)でも確かめられた。<br>
著者
青野 友哉 西本 豊弘 伊達 元成 渋谷 綾子 上條 信彦 大島 直行 小杉 康 臼杵 勲 坂本 稔 新美 倫子 添田 雄二 百々 幸雄 藤原 秀樹 福田 裕二 角田 隆志 菅野 修広 中村 賢太郎 森 将志 吉田 力 松田 宏介 高橋 毅 大矢 茂之 三谷 智広 渡邉 つづり 宮地 鼓 茅野 嘉雄 永谷 幸人
出版者
伊達市噴火湾文化研究所
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

北海道南部の噴火湾沿岸は日本有数の貝塚密集地帯であり、1950年代から貝塚研究の中心地の一つであった。この60年以上にわたり蓄積された調査成果と、現代的な視点で行った近年の発掘調査による新たな分析は、当該地域の環境変遷と人類活動の実態の復元を可能にした。本研究では、噴火湾沿岸の遺跡データの集成と、伊達市若生貝塚及び室蘭市絵鞆貝塚の小発掘により得た貝層サンプルの分析の成果として、時期ごとの動物種の構成比を明示した。これは縄文海進・海退期を含む気候の変動期における当該地域の環境変遷の詳細なモデルである。