著者
矢板 晋
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.531-551, 2013-12-20

近年グローバル化する日本社会において,移民の子どもをめぐる教育問題 が顕在化している。そこでは,彼/彼女らが周辺化―不就学・不登校・学業 不達成―される実態がある。では,移民子弟はどのように周辺化されている のか。また,それはなぜか。さらに「日本の教育」は,どのような教育的公 正を実現すべきか。 筆者は2010年に栃木県真岡市で,2012年に同市と群馬県伊勢崎市で調査 を行った。調査対象は,真岡市の公立小中学校,国際交流協会,教育委員会, NPO法人「SAKU・ら」,伊勢崎市のNPO多言語教育研究所ICS(InternationalCommunitySchool) である。調査方法は主に半構造化面接調査と参与 観察である。 まず,周辺化の実態には大きく二つ考えられる。即ち,「親の周辺化」と「子 の周辺化」である。さらに,前者は「地域」「学校」において,後者は「学校」 「教育機会」「家庭」という空間で周辺化されている。 次に,周辺化の原因は大きく3つ考えられる。第一に,積極的ラベリング と消極的ラベリングというラベリング論からのアプローチである。第二に, 移民子弟や教員の使用言語をめぐる,言語コード論的アプローチだ。第三に, 就学段階における必須要素の欠如である。移民子弟の就学には,学校に「接 触」し,学校生活に「適応」,最後に「継続」して学校に通い続けるという3 段階が存在し,各段階で言語資本や社会関係資本などの不足がキーとなる。 最後に,移民子弟を考慮した教育的公正が必要である。「公正」とは,「平 等」の十分条件と解釈され,日本における多文化共生や多文化教育の重要な 概念である。移民子弟の教育的公正に関しては,各就学段階における公正を 実現すべきである。即ち「接触」段階では言語や文化的背景に着目した「象 徴的公正」,「適応」段階においては学習資源や人間関係を中心とする「資源 的公正」,「継続(移行)」段階では進級や進学制度における「制度的公正」の 達成が望まれる。
著者
矢板 晋
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.433-455, 2012-12-26

外国人子弟が日本の教育に関する場面において不利益を被る,すなわち周 辺化(marginalize)するのはなぜか。この点について,栃木県真岡市に着目 し,ラベリング論,言語コード論,文化的再生産論,社会関係資本論による アプローチを試みた。 データは,筆者が2010年8~9月に栃木県真岡市で行った調査に基づく。 調査対象は真岡市内の市立小学校2校,市立中学校1校,教育委員会,真岡 市国際交流協会(MIA),NPO団体2つである。調査方法は学校の日本語教 室やNPO主催の地域日本語教室での参与観察,各担当教員やNPO団体の代 表者,教育委員会,国際交流協会に対する構造化面接調査と半構造化面接調 査である。 同調査によると,外国人子弟の周辺化には以下の4つの要因が考えられる。 第一に,積極的ラベリングと消極的ラベリング,つまり,外国人に対する偏 見と「日本人と同様」に扱うラベリングである。第二に,児童生徒の限定コー ドとしての日本語の不習得と教師の使用言語の無差別性である。外国人子弟 が日本において普段の生活に必要な限定コードを習得できていない点や,教 師が授業で用いる言語に限定コードや精密コードを区別していない点が確認 された。第三に,「接触」「適応」「継続」の各段階における必須要素の欠如で ある。外国人子弟が日本の教育現場に定着するには,まず学校と「接触」し, 次に学校生活に「適応」,最後に「継続」して学校に通い続けるという3段階 が存在する。その各段階でアイデンティティや言語資本,社会関係資本が不 足する現状がある。第四に,外国人子弟の教育をめぐる社会関係資本の「限 定」「陥没」「拒絶」である。すなわち,社会関係資本が日本人同士あるいは 外国人コミュニティ内に「限定」して存在する場合,またはうまく外国人が 日本人と接触できたとして,その日本人どうしの関係が「陥没」している場 合,さらに外国人側がホスト社会との関係を「拒絶」する場合が確認された。 2012年8月下旬に再度真岡市を訪問した際には,「接触」段階における社会 関係資本の「陥没」の改善が見られた。今後もこうした社会・文化的側面か らの解決が重要となるだろう。