著者
知念 良之 芝 正己
出版者
日本森林学会
雑誌
日本森林学会誌 (ISSN:13498509)
巻号頁・発行日
vol.97, no.3, pp.143-152, 2015-06-01 (Released:2015-08-01)
参考文献数
52
被引用文献数
1

琉球王国時代から近年までの森林・林業や住宅に関連する政策・周辺状況の変容を分析し, 構造材の変化に関する要因を考察した。琉球王国は薩摩藩侵攻以後, 中国と日本の二重支配体制下に置かれ, 財政逼迫や森林資源枯渇に直面した。18 世紀中頃に蔡温による大改革が行われ, その影響は集落景観や住宅構造にも及んだ。すなわち, 集落の形状が碁盤型に変化し, 身分ごとの住宅も現れたことである。琉球処分後は, 旧慣温存政策で近代化が阻まれ, 森林管理体制が崩壊した。用材自給は困難となり, 本土の移入材に依存するようになった。戦後は, 沖縄の軍事的価値の高まりにより, 米国の統治が続いた。B 円体制下の輸入促進政策でスギ材が安価で入手可能となり, 木造建築が活発化した。ドル体制下では, ドル流出抑制目的で輸入代替や輸出振興が図られ, 合板・セメント生産に支援が行われた。結果, コンクリート造が安価で供給可能となり, 融資条件優遇等の要因も重なり, 以後,主流となった。近年の木造率増加は, プレカット工法の普及, 国産材利用振興政策に伴う本土業者の新たな市場としての沖縄県への参入等がその背景にあった。
著者
知念 良之 芝 正己
出版者
日本森林学会
雑誌
日本森林学会誌 (ISSN:13498509)
巻号頁・発行日
vol.101, no.6, pp.266-271, 2019-12-01 (Released:2020-02-01)
参考文献数
18

沖縄県における一般的な住宅構造は,鉄筋コンクリート造であったが,近年は戸建を中心に木造率が増加傾向にあり,1990年代以降は県外産プレカット材を移入する動きが報告されてきた。2015~2016年に,二つのプレカット工場が経済特区へ進出すると,木造建築はさらに活発化した。本研究では,関連事業者に対して,進出の動機や活動実態,県外出荷に係る公的助成制度の利用についてインタビュー調査を行い,沖縄県における木造住宅の拡大とプレカット工場の関係を明らかにした。プレカット工場の進出は,県内の木造需要増加への対応と遠隔地特有の流通に不利な条件を緩和する目的があった。供給する住宅には,主に人工乾燥材または集成材が使用されており,台風対策や耐震性の向上が図られていた。工場には,公的助成制度を利用して県外にも出荷するものと県内専売のものがあり,使用する主な原材料や工場の立地選択に違いがみられた。一方,県内における木材産業に対する認知度の低さや木造関連技術者の少なさから,住宅生産が制限されていた。また,ボイラー燃料需要がなく,産業廃棄物として排出されるオガ粉や端材の処理費用の負担が大きい課題があった。
著者
知念 良之 芝 正己
出版者
日本森林学会
雑誌
日本森林学会誌 (ISSN:13498509)
巻号頁・発行日
vol.101, no.6, pp.266-271, 2019

<p>沖縄県における一般的な住宅構造は,鉄筋コンクリート造であったが,近年は戸建を中心に木造率が増加傾向にあり,1990年代以降は県外産プレカット材を移入する動きが報告されてきた。2015~2016年に,二つのプレカット工場が経済特区へ進出すると,木造建築はさらに活発化した。本研究では,関連事業者に対して,進出の動機や活動実態,県外出荷に係る公的助成制度の利用についてインタビュー調査を行い,沖縄県における木造住宅の拡大とプレカット工場の関係を明らかにした。プレカット工場の進出は,県内の木造需要増加への対応と遠隔地特有の流通に不利な条件を緩和する目的があった。供給する住宅には,主に人工乾燥材または集成材が使用されており,台風対策や耐震性の向上が図られていた。工場には,公的助成制度を利用して県外にも出荷するものと県内専売のものがあり,使用する主な原材料や工場の立地選択に違いがみられた。一方,県内における木材産業に対する認知度の低さや木造関連技術者の少なさから,住宅生産が制限されていた。また,ボイラー燃料需要がなく,産業廃棄物として排出されるオガ粉や端材の処理費用の負担が大きい課題があった。</p>
著者
知念 良之 芝 正己
出版者
日本森林学会
雑誌
日本森林学会大会発表データベース
巻号頁・発行日
vol.130, 2019

<p>沖縄県における住宅の一般的な構造は鉄筋コンクリート造であったが,県外産プレカット材による木造建築の動きが報告され,戸建の木造率は2001年の4%から2017年の29%へ増加した。2015~2016年には,沖縄県の「国際物流拠点産業集積地域」で2つのプレカット工場が開設されるなど新しい動きがみられる。本研究では,この展開に着目し,プレカット工場進出の動機や活動実態,公的補助の適用の有無などを関連事業者に対するインタビュー調査を通して明らかにすることを試みた。プレカット工場は,いずれも県内供給が前提で,公的補助の適用対象となる県外出荷に関しては工場が所属する企業グループの得意分野や経営戦略の差異から判断が分かれていた。また,住宅の強度を重視して人工乾燥材を積極的に多用し,生産や出荷の調整を通して県内市場へ安定供給する役目を担っていた。これは,県外産プレカット材を取り扱う県内業者も同様であった。一方,県内の木材産業に対する認知度の低さや木造関連技術者の少なさから人手不足となり,生産が制限されていることやボイラー燃料需要が無いため加工時に排出されるオガ粉や端材の処理費用が生じる課題を抱えていることが明らかとなった。</p>
著者
知念 良之 西野 吉彦 芝 正己
出版者
日本森林学会
雑誌
日本森林学会誌
巻号頁・発行日
vol.99, no.3, pp.129-135, 2017

<p>産業用および家庭用燃料資材の調達という観点から,沖縄県宮古地域の西端に位置する多良間島におけるバイオマス資源の利用形態および需給状況の変化を分析し,地域社会や行政の取組の特徴を明らかにすることを試みた。1898年に製糖が始まると砂糖樽や製糖用燃料の需要が高まった。砂糖樽用材料は移入し,製糖用燃料はバガスや落葉等で代用され,当初は家庭用燃料資材と競合しなかった。しかし,人口増加や製糖の拡大に伴って落葉等の消費量が増加し,肥料生産と競合して耕作地の生産性低下を招いた。このため,1917年に近代的な森林管理の手法と技術を導入し,入会林野の造林計画を編成してリュウキュウマツが植林された。しかし,入会林野の伐採は禁止されたことで私有林の価値が高まった。1938年に行政による造林の奨励とモクマオウの導入で,私有林を中心に森林面積が拡大して砂糖樽の島内生産も行われた。戦後は,人口減少や砂糖樽が紙箱に変化したことにより薪を近隣の島に移出する余力が生まれたが,1960年代以降は代替燃料の普及により造林は衰退した。多良間島では,住民と行政の取組によりバイオマス資源の持続的生産に一定の成果がもたらされた。</p>