- 著者
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石戸 教嗣
- 出版者
- 一般社団法人日本教育学会
- 雑誌
- 教育學研究 (ISSN:03873161)
- 巻号頁・発行日
- vol.69, no.2, pp.185-194, 313, 1, 2002-06-25
今日の学校における公共性の錯綜した状況は、ポスト福祉国家のあり方をめぐって、保守主義対リベラリズム、ネオリベラリズム対ラジカル・デモクラシーという枠において論じられてきた。また、最近ではグローバル化した社会と文化多元主義という観点からのとらえ直しもなされている。本論では、まず学校の公共性をめぐる各種の具体的な問題を問題群I〜IIIの3つの群に整理し、それらの3つの問題群をこれまでの公共性論と関連づけて考察した。問題群皿として取り上げられるのは、コミュニケーション能力を十分に持たない、特殊なニーズを抱える子どもたちのそれである。アレントは先駆的にこの問題に光を当てていた。アレントは彼女自身の体験から「見捨てられた境遇」の人々について注意を払っていたが、そのような存在から脱却した英雄的市民から成る公共圏のイメージにとらわれ、両者を統一する理論を提起できなかった。この理論的課題に答える上で、本論ではルーマンのシステム論における「組み入れと排除」の概念、および「尊厳」概念に注目した。ルーマンはシステム化した機能主義社会においてはシステムにいながらにして排除される可能性があることを指摘する。排除された者は自己の尊厳を守るために、関わりをもつ社会的状況から退出し、ますます尊厳を失うことになる。このような悪循環から脱却するためにはその問題に「世論」が注目し、「人物」として関心をもつことがまず求められる。このようにして、本論では、「公共性」を自己表出の可能性およびその回復のプロセスとしてとらえた。