- 著者
-
久冨 善之
- 出版者
- 日本教育社会学会
- 雑誌
- 教育社会学研究 (ISSN:03873145)
- 巻号頁・発行日
- vol.90, pp.43-64, 2012-06-15 (Released:2013-06-17)
- 参考文献数
- 34
- 被引用文献数
-
3
1
小論は「教育と責任」の問題を,学校・教師と親とが教育をめぐってどのような応答・責任関係を構成するのかという課題として,3・11大震災・原発事故とそれに続く状況の中で考察したものである。
「落第のない義務教育学校」や「献身的教師像」は日本の学校文化・教員文化の特徴であると考えられる。そこには学校と教師が,子どもを学校で教育する責任を積極的に引き受ける〈前面性〉があり,それを回路に個々の学校と教師は,子ども・親から「信頼・権威」を調達して,元来難しい近代学校教育の仕事を,何とか乗り切って来た。それは不安定さをはらむ「学校・教師と親との関係構成」を安定化するのに寄与したものと分析した。
戦後日本の社会変化の中では,上のような伝統的関係構成にもいくつかの再編があったと考える。それを「学校・教師の黄金時代」から過渡期を経て,第Ⅲ期(90年代半ば〜今日)の「学校・教師の困難と教育改革」時代へという展開として記述した。Ⅲ期では伝統的な〈前面性〉が,信頼・権威調達回路から,逆に個々の学校・教師が,学校教育への不信・不満・非難の矢面に立つ関係構成へという転化が生じた。その〈前面性〉が衝立になって,責任ある教育官僚機構はその陰で非難を免れ「公正なる改革者」として登場して,親・国民からの学校・教師への非難を追い風に次々と学校・教員制度改革を進行させている。
それらが学校と教師をいっそう圧迫する現状が好ましくないとすれば,どんな関係構成の再編があり得るだろうか。一つは親と教師・学校の「相互非難関係」から「困難の相互共有関係」への可能性として,もう一つは「押しつければ改革成功」とする評価方式を「第三者による教育政策・改革のアセスメント」方式の必要性として,大震災と続く状況下でそれらが試されている点を考察した。