著者
杣川 知香 福田 雄高 吉村 正太 佐藤 慧 日宇 健 小野 智憲 牛島 隆二郎 戸田 啓介 堤 圭介
出版者
医学書院
雑誌
Neurological Surgery 脳神経外科 (ISSN:03012603)
巻号頁・発行日
vol.45, no.7, pp.629-635, 2017-07-10

Ⅰ.はじめに 内頚動脈-後交通動脈分岐部動脈瘤(internal carotid-posterior communicating artery aneurysm:IC-PC AN)に合併する同側動眼神経麻痺(oculomotor nerve palsy:ONP)は,切迫破裂の警告症状やくも膜下出血(subarachnoid hemorrhage:SAH)に伴う局所神経症状として広く認知されているが,対側に生じることは極めて稀である19).今回われわれは,SAH発症約1日後に対側ONPを発症したIC-PC ANの稀な1例を経験した.文献的考察を加えて報告する.
著者
福田 雄
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.77-94,114, 2011

This paper focuses on rituals concerned with disaster which have yet to be noticed, but are worth exploring as a sociological problem. In previous studies of rituals, little attention has been paid to post-disaster rituals concerning the dead. Moreover, the changes in rituals over a long period of time have been mostly ignored. Changes in the social context and the sequences of socially constructed meaning are critical for the understanding of this phenomenon. The long-term observation of the Nagasaki Atomic Bomb Memorial Ceremony is a worthy case study to clarify the process of how people construct significance to disastrous experiences. Through a diachronic case study of the Nagasaki Atomic Bomb Memorial Ceremony, rituals performed in the ceremony show new characteristics of public ritual, which distinguish themselves from folk or political rituals. Looking closely at the pictures and historical materials, symbolic actions and speeches given at the ceremony show that symbolic actions in the ceremony gradually shift their direction from the dead to the living. This is in clear contrast to folk rituals whose central object is appeasing or comforting the dead and to political rituals that aim to commend the dead and the tragic past within the framework of an interpretation of political reality. In addition, along with the economic and political changes, televised broadcasting of the ceremony is also an important factor in the change of the direction of rites. It is also implicated from the diachronic observation of the case that creation of "we-feeling" is vital to apprehend the experience of violent death. For further discussions, the social phenomenon of post-disaster rituals can be presented as a particular subject of social research that shows the dynamics of how life and death are socially reorganized in symbolic system of meaning.
著者
福田 雄
出版者
SHAKAIGAKU KENKYUKAI
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.77-94,114, 2011

This paper focuses on rituals concerned with disaster which have yet to be noticed, but are worth exploring as a sociological problem. In previous studies of rituals, little attention has been paid to post-disaster rituals concerning the dead. Moreover, the changes in rituals over a long period of time have been mostly ignored. Changes in the social context and the sequences of socially constructed meaning are critical for the understanding of this phenomenon. The long-term observation of the Nagasaki Atomic Bomb Memorial Ceremony is a worthy case study to clarify the process of how people construct significance to disastrous experiences. Through a diachronic case study of the Nagasaki Atomic Bomb Memorial Ceremony, rituals performed in the ceremony show new characteristics of public ritual, which distinguish themselves from folk or political rituals. Looking closely at the pictures and historical materials, symbolic actions and speeches given at the ceremony show that symbolic actions in the ceremony gradually shift their direction from the dead to the living. This is in clear contrast to folk rituals whose central object is appeasing or comforting the dead and to political rituals that aim to commend the dead and the tragic past within the framework of an interpretation of political reality. In addition, along with the economic and political changes, televised broadcasting of the ceremony is also an important factor in the change of the direction of rites. It is also implicated from the diachronic observation of the case that creation of "we-feeling" is vital to apprehend the experience of violent death. For further discussions, the social phenomenon of post-disaster rituals can be presented as a particular subject of social research that shows the dynamics of how life and death are socially reorganized in symbolic system of meaning.
著者
山下 欣一 有満 孝二 有村 百代 伊地知 優 上久保 晃 澤山 信二 塩満 浩二 重村 誠一 曽山 浩幸 種子田 圭司 徳永 正博 福田 雄二 福留 たける 若松 隆二
出版者
鹿児島国際大学
雑誌
社会調査実習報告書
巻号頁・発行日
vol.60, pp.E1-168, 1986-03

昭和55年から谷山ふるさと祭は実施されていて、年々盛大に開催されてきている。昭和55年度の第一回谷山ふるさと祭を行なうようになった動機については、すでに記述してあるが、ここでさらに箇条的に要約すると次のようになる。(1)人口の急激な増加-10万人突破記念事業(2)谷山地区の主要な神祭であった伊佐智佐神社の浜下りの代りをする祭が必要となった。(3)鹿児島市のおはら祭が大型化し、鹿児島市街の中心地区で開催されるので、副都心としての谷山地区でも開催することにした。以上のように要約した谷山ふるさと祭の実施に至る背景について検討してみるとさらに次のようにもいえると思う。(1)都市化の進展とした谷山地区谷山地区の人口(男女比)職業別、産業構造などでみてきたように、谷山地区の進展は目ざましいものがある。さらに谷山地区の歴史的背景で概観したように、本地区は鹿児島市街地の近郊農村として、独特の地位を占めている。その第一に指摘できるのは平地が多く、水田地帯を中心に集落が形成されていた。そして、外城を中心に市街地があり、それに付属して野町があったことでもある。また、錦江湾にてって発展した浦と呼ぶ漁村としての集落があった。谷山地区の近世におけるこのような要素をまとめてみると次のようになろう。外城と麓(武士集落)-行政 農村-農業 野町(松崎)-商業 浦-漁業このように、都市化へと進展する要素を内部に保持し、明治期に村制を施行し、それから町制、市制、鹿児島市への合併を迎えることになるのである。ここで注意しておきたいのは鹿児島市との関係である。もともと鹿児島市は現在の上町地区を中心に発展し、甲突川が市の南限であった時代が長かった。現在の荒田は地名が示すように水田地帯であり、中郡という地名は中村、郡元村などという農村集落であり、これらの農村集落をへだてて、谷山地区があったのである。谷山地区は、小規模であったが都市的要素を持っており、主体は近郊農村であった。いわゆる、鹿児島市とは独立した地域集団を形成してきたのであった。谷山地区の人口増加は、産業、卸売団地、団地住宅などの増加によるものがその主因である。これらは、谷山地区の周辺地区に展開しており、やはり中心地区には谷山に長年生活している人々が中心となっている。鹿児島市と合併後もやはり谷山地区という地域が鹿児島市役所谷山市所(もと谷山市役所)を中心に一つのまとまりのある独立地域という意識が強いということが指摘できよう。この谷山支所周辺がもとの外城や麓地区であることからも、この意味は大きいものがあると考えることができる。しかしながら、谷山地区の都市化の進展は、昔のような谷山地区からその様相を変化させたといいえる。それは、従来のような谷山地区の人々の共同体的意識での連帯が破綻をきたしたことをも意味している。従って、新しい意味での谷山地区の人々の連帯を求めるという考え方が発生してきたのは当然のことであった。谷山ふるさと祭は新生谷山のシンボルとしての位置を占めているといえよう。(2)伊佐智佐神社の神祭との関係伊佐智佐神社の10月の浜下りは谷山地区における中心的祭礼であった。和田名という中世的余韻を残している地名の集落を組織している門という親族集団によって支えられており、久津輪崎までのみこしの巡幸は海と山という二分された世界が統一されていくことを示しているといえよう。戦後において、このみこしが松崎から谷山本通りを巡幸し、谷山支所前の谷山小学校校庭に至り、一泊して還行するということも見逃してはならない点である。松崎はもともと野町であった。前に指摘しておいたように、谷山支所、谷山小学校周辺は外城と麓であった。伊佐智佐神社のこの巡幸は、和田名という農村から出発し久津輪崎という海すなわち浦(漁村)に至り、さらに松崎(野町-商業地区)を通り、谷山支所前の谷山小学校(外城、維)に到着し、一泊するということを、すなわち、農村→漁村→商業地区→外城、麓(行政)へとの巡幸して、聖なる祝福を与えるということである。谷山地区のあらゆる地域を巡幸していくということでもある。谷山ふるさと祭が松崎から鹿児島市電停留所前までを実施する場所としているのには交通規制その他の条件もあるが、伊佐智佐神社のみこし巡行との関連において考えるとその意味は深いといえると思う。(3)鹿児島市のおはら祭との関係鹿児島市のおはら祭は、あまりにも市街地中心に偏している。従って、地域毎に小規模の「まつり」を実施している現状である。ここでいう「まつり」とは、都市における民俗的伝承による「まつり」を指示している。しかし谷山ふるさと祭は、その規模においては大規模と呼んでいい「まつり」であると思う。そして、この「まつり」は、その組織考みても理解できるように、谷山地区の行政機関、金融機関、農協から地区公民館、校区別町内会、通り会に及んでいる。組織からみると、地域総ぐるみであるといえる。そして、町内会は各戸10円、通り会は各通り会毎に30,000円の負担金を支出している。また鹿児島市は年々補助金を与えており、谷山商工会、観光協会が協賛している。従って、行政機関と地域住民の支出が中心になり谷山ふるさと祭は実施されることになっている。もちろん寄付金の占める部分は大きいが、これらはかなり流動的であることを考えると、谷山ふるさと祭の予算的基盤は確固たるものがあると考えられる。しかして、実際の実務は谷山商工会ならびに谷山商工会青年部が中心になって実施しているものである。そして、この谷山ふるさと祭には谷山商店街の活性化と振興という意味も大きいのである。鹿児島市街地中心の購売動向をいかに谷山商店街に定着させ、呼びもどすかという願いも含まれていることを忘れてはならない点であろう。谷山地区は交通の点からみても、その地位からみても、鹿児島市街地とは別にーつの中心地を形成するのに、歴史的な背景もあり、都市化の進展により、さらにその傾向は強まっていくものと考えられる。このような発展の契機としての谷山ふるさと祭は伝統にのっとり、また新しい谷山地区のシンボルとして、谷山商店街の振興にもつながるという三点の特色をあわせて保持していると思う。
著者
福田 雄
出版者
「宗教と社会貢献」研究会
雑誌
宗教と社会貢献 (ISSN:21856869)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.79-84, 2013-10

稲場圭信/黒崎浩行編著 『叢書 宗教とソーシャル・キャピタル4 震災復興と宗教』 明石書店、 2013年4月、 A5判、 301頁、 2500円+税
著者
酒井 俊典 福田 雄治 中村 和弘 竹家 宏治
出版者
公益社団法人地盤工学会
雑誌
土と基礎 (ISSN:00413798)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.39-41, 2007-04-01
被引用文献数
2

We developed a new maintenance jack used for a lift-up test of earth anchor. This machine jack is small and lightweight and it is easy to set it for the lift-up test. The liftup load obtained by lift-up tests using the new maintenance jack was the same value obtained by using a center hall jack. However the lift-up displacement obtained by the tests with the center-hall jack was larger than the displacement obtained with the new maintenance jack because of extension of tension-bar used for center hall jack. This new maintenance jack proposed in this paper can be convenience and can increase accuracy of lift-up tests.