- 著者
-
秋本 光陽
- 出版者
- 日本社会学会
- 雑誌
- 社会学評論 (ISSN:00215414)
- 巻号頁・発行日
- vol.69, no.3, pp.373-389, 2018 (Released:2019-12-31)
- 参考文献数
- 34
本稿は, 日本における戦後少年司法制度の黎明期, とくに1950年代前半の少年司法制度を対象に, 「科学主義」と呼ばれる理念が家庭裁判所の実務関係者によるいかなる実践を通して可能になっていたのかを明らかにするものである. 戦後日本では1949年に現行少年法と家庭裁判所が誕生した. 現行少年法は家庭裁判所調査官職および少年鑑別所技官職を設けており, 少年の非行原因の解明や, 非行ないし非行克服の可能性を予測するために人間関係諸科学の活用を要請している. しかし, 少年司法の科学主義理念はその内実が不明瞭であるとの指摘もなされてきた. 本稿では, 家庭裁判所調査官によるディスコースを素材に, 調査官が社会学的知見を用いて少年の非行ないし非行克服の可能性をどのように予測していたのかを分析する. 分析からは以下のことが示された. 第1に, 家庭裁判所調査官は法と習俗・慣行の齟齬に注目し, 非行少年を農村の「若衆」などとカテゴリー化する実践を通して, 少年の行為がもつ合理性を描き出すことを試みた. 第2に, 調査官によるカテゴリー化の実践は, 少年に社会的な適応能力を見出すことを通して非行克服の可能性の予測を可能にさせるものであると同時に, 非行可能性の予測をも導くものであった.