著者
竹村 民郎
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.37, pp.315-327, 2008-03-31

エベネザー・ハワードの田園都市運動の影響を受けた我国の「田園都市」形成と、公衆衛生との結合の問題についての考察は、アカデミズムで俎上にのせられて議論の対象となるようなことは、これまでなかった。従って日本型「田園都市」の独自の論理と、当時における結核対策の関係性は今日まで、検討されずに残されてきた。本稿では、主として都市計画が軌道にのりだした二十世紀初頭の大阪市における関市政の時代を対象として、従来「田園都市」の形成と呼ばれてきたものの構造に、結核予防の視点からアプローチすることによって、関西の「田園都市」形成を日本近代都市社会史の文脈の中に位置づけてみたい。本稿では右の問題意識に立ち、研究の便宜上、ひとまず分析の対象を次のように限定した。第一に大阪市における公衆衛生全般について論じず、主として阪神間の郊外住宅地形成と公衆衛生の関連に焦点をしぼった。第二に公衆衛生政策のうち、結核予防に重大な影響を与えたと思われる諸問題を論じた。
著者
劉 建輝 鈴木 貞美 稲賀 繁美 竹村 民郎 上垣外 憲一 劉 岸偉 孫 江
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

中国の東北部、つまり旧「満州」は日本の近代史においてきわめて重要な場所である。なぜならば、日清戦争はさることながら、その後の日露戦争、日中戦争、さらに日米戦争に至るまで、いわば日本の運命を決めた戦争という戦争は、究極のところ、全部この地域の権益をめぐって起こされたものであり、ある意味において、日本の近代はまさに「満州」を中心に展開されたとさえ認識できるからである。しかし、近代日本の進路を大きく左右したこの旧「満州」について、これまではけっして十分に研究したとは言い難い。むろん、旧「満州」、とりわけ「満鉄」に関する歴史学的なアプローチに長い蓄積があり、多くの課題においてかなりの成果を挙げている。だが、よく調べてみれば、そのほとんどがいずれも政治、経済、あるいは軍事史に偏っており、いわゆる当時の人々の精神活動、あるいは行動原理に深く影響を与えた社会や文化などについての考察が意外にも少数しか存在していない。本研究は、いわば従来あまり重視されなかった旧「満州」の社会や文化などの諸問題を取り上げ、関連史実等の追跡を行う一方、とりわけその成立と展開に大きく関わっていた「在満日本人」の活動を中心に、できるかぎりその全体像を整理、解明しようとした。そして三年間の研究を通して、主に以下のような成果を得ることができた。1.これまで重視されなかった旧「満州」の社会や文化などの問題について比較的総合かつ多角的に追及し、多く史実(都市空間、公娼制度、秘密結社、文芸活動など)を解明した。2.海外共同研究者の協力を得て、多くの史料、とりわけいわゆる在満日本人の発行した各分野の現地雑誌を発掘し、その一部(「満州浪曼」、「芸文」)を復刻、またはその関連作業に取り組み始めた。3.従来、難しかった現地研究者との交流を実現させ、三回の国際研究集会を通じて、多くの中国や韓国研究者とさまざまな問題について意見を交換した。以上のように、この三年間は、現地調査などを通して、多くの貴重な史料を入手したばかりでなく、現地研究者との間に比較的親密な協力関係も築いたため、今後もこれらの成果を生かすことにより、一層の研究上の進展が得られるだろうと思われる。