著者
孫 江 ソン コウ Jiang SUN
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.11, pp.43-50, 2011-03-31

本稿では、近代知の生産と流通という角度からヨーロッパの中国文明西来説について考察する。 一八八〇年代から一八九〇年代にかけて、ラクーペリは一連の研究のなかで、黄帝は両河流域のバビロンから移住してきたのであり、ゆえに中国人(漢人)の祖先はバビロンのカルデア人であった、という仮説を提出した。ラクーペリは、ビクトリア時代のイギリス経験主義の学問的潮流のなかで注目されたアッシリア学研究から多くのヒントを得た。彼は中国語とカルデア語を比較し、文献と出土品をつき合わせて両者の共通点を見いだすという自らの方法を「言語科学」、「歴史科学」と見なしていた、その研究は当時のヨーロッパ一流の東洋学者から批判を受けた。 しかし、ラクーペリの「西来説」は明治期日本に伝わった後、日本の中国研究者たちの間で大きく注目された。反対派桑原隲藏と擁護派三宅米吉、白鳥庫吉の意見対立は、成立したばかりの日本の東洋学がヨーロッパの東洋学に出会った際に遭遇した一つの問題を照らし出している。白河次郎・国府種徳がラクーペリの「西来説」をその著『支那文明史』(一九〇〇年出版)のなかに取り入れたことは、後に「西来説」が中国で受容される直接的なきっかけとなった。 一九〇三年、『支那文明史』の四種の中国語訳は東京と上海でほぼ同時に刊行された。清朝打倒を目指す革命者や「国粋派」は、政治的目標の実現や漢族アイデンティティの確立という観点から「西来説」に関心を寄せた。しかし、その一方で、「西来説」が逆に漢族の外来性を際だたせてしまい、排満革命の政治目標に合致しないことに気づくと、彼らは躊躇なくそれを捨てた。 近代中国のナショナリズムに関するこれまでの研究は、ほとんどの場合、近代中国のナショナリズムを直線的な歴史叙述のなかに組み入れており、そのため、異なるテクスト同This paper provides background information on the TOEFL, TOEIC, and TOEIC Bridge tests and their roles in Japan.Explanations of the tests are followed by an example of TOEIC Bridge test implementation at Shizuoka Universityof Art and Culture (SUAC) for English course streaming. Test data was used to sort students into introductory andupper-level English reading and writing courses. After an analysis of the data, a description is given on the cooperativeeffort by full- and part-time instructors at SUAC to implement common TOEIC homework and extra credit assignmentsto improve TOEIC scores. Details of the online system used to support this program are also provided. Student datareported from the SUAC TOEIC Institutional Testing Program (ITP) reflects the program's progress. To conclude thisstudy on the implementation of the TOEIC Bridge test at SUAC, course streaming and the online TOEIC program andsystem, survey data from SUAC's introductory reading and writing courses is presented. Students enrolled in readingand writing courses in the Department of International Culture were surveyed; results were analyzed along with TOEICBridge scores to provide English instructors with insights into better ways to support the needs of language learners.
著者
孫 江
出版者
静岡文化芸術大学
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 (ISSN:13464744)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.43-50, 2010

本稿では、近代知の生産と流通という角度からヨーロッパの中国文明西来説について考察する。 一八八〇年代から一八九〇年代にかけて、ラクーペリは一連の研究のなかで、黄帝は両河流域のバビロンから移住してきたのであり、ゆえに中国人(漢人)の祖先はバビロンのカルデア人であった、という仮説を提出した。ラクーペリは、ビクトリア時代のイギリス経験主義の学問的潮流のなかで注目されたアッシリア学研究から多くのヒントを得た。彼は中国語とカルデア語を比較し、文献と出土品をつき合わせて両者の共通点を見いだすという自らの方法を「言語科学」、「歴史科学」と見なしていた、その研究は当時のヨーロッパ一流の東洋学者から批判を受けた。 しかし、ラクーペリの「西来説」は明治期日本に伝わった後、日本の中国研究者たちの間で大きく注目された。反対派桑原隲藏と擁護派三宅米吉、白鳥庫吉の意見対立は、成立したばかりの日本の東洋学がヨーロッパの東洋学に出会った際に遭遇した一つの問題を照らし出している。白河次郎・国府種徳がラクーペリの「西来説」をその著『支那文明史』(一九〇〇年出版)のなかに取り入れたことは、後に「西来説」が中国で受容される直接的なきっかけとなった。 一九〇三年、『支那文明史』の四種の中国語訳は東京と上海でほぼ同時に刊行された。清朝打倒を目指す革命者や「国粋派」は、政治的目標の実現や漢族アイデンティティの確立という観点から「西来説」に関心を寄せた。しかし、その一方で、「西来説」が逆に漢族の外来性を際だたせてしまい、排満革命の政治目標に合致しないことに気づくと、彼らは躊躇なくそれを捨てた。 近代中国のナショナリズムに関するこれまでの研究は、ほとんどの場合、近代中国のナショナリズムを直線的な歴史叙述のなかに組み入れており、そのため、異なるテクスト同
著者
孫 江
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
no.24, pp.163-199, 2002-02-28

一九三二年三月一日、関東軍によって作られた傀儡国家「満州国」が中華民国の東北地域に現れた。本稿で取り上げる満州の宗教結社在家裡(青幇)と紅卍字会は、いずれも満州社会に深く根を下ろし、「満州国」の政治統合のプロセスにおいて重要な位置を占めていた。今までの中国社会史および「満州国」の歴史に関する研究において、これらの宗教結社は見逃されており、それに関する数少ない記述も偏見に満ちたものである。在家裡と紅卍字会の実態を問わず、在家裡を「秘密結社」、紅卍字会を政治的もしくは「邪教的」存在とみなす見解は今でも依然主流的である。本稿において、このような見解に疑問を投げかけ、一時的資料に基づいて実証的考察を行った。それを通じて明らかになったように、二十世紀に入ってから満州移民社会の形成に伴って、在家裡・紅卍字会のような宗教結社や「秘密結社」が満州社会において発展し、一定の社会的影響力を持つようになった。在家裡と紅卍字会のほとんどの組織は自らの組織的優勢を獲得するために、関東軍および「満州国」に協力する道を選んだ。「満州国」側の一部の資料では、「類似宗教結社」とされる在家裡・紅卍字会などが「満州国」の政治統合の支障となったという記録が残されている。しかし、実際には、満州地域の数多くの宗教結社の活動を全体的に見ると、宗教結社の反満抗日に関与するケースは非常に少なく、しかも特定の時期(満州事変初期)、特定の地域(熱河・北満など)に限られていた。反満抗日運動に参加した在家裡と紅卍字会のメンバーは確かに存在していたが、それは在家裡と紅卍字会の組織的性質を反映するものではない。総じていえば、「満州国」支配における宗教結社の統合は、単なる「植民地」という支配空間に生じた問題ではなく、実は日本近代国家の形成と関連して、日本国内=「内地」が抱える「類似宗教」や「邪教」「迷信」といった諸問題の延長上にあるのである。
著者
孫 江
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.163-199, 2002-02-28

一九三二年三月一日、関東軍によって作られた傀儡国家「満州国」が中華民国の東北地域に現れた。本稿で取り上げる満州の宗教結社在家裡(青幇)と紅卍字会は、いずれも満州社会に深く根を下ろし、「満州国」の政治統合のプロセスにおいて重要な位置を占めていた。
著者
孫 江
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.24, pp.163-199, 2002-02-28

一九三二年三月一日、関東軍によって作られた傀儡国家「満州国」が中華民国の東北地域に現れた。本稿で取り上げる満州の宗教結社在家裡(青幇)と紅卍字会は、いずれも満州社会に深く根を下ろし、「満州国」の政治統合のプロセスにおいて重要な位置を占めていた。
著者
劉 建輝 鈴木 貞美 稲賀 繁美 竹村 民郎 上垣外 憲一 劉 岸偉 孫 江
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

中国の東北部、つまり旧「満州」は日本の近代史においてきわめて重要な場所である。なぜならば、日清戦争はさることながら、その後の日露戦争、日中戦争、さらに日米戦争に至るまで、いわば日本の運命を決めた戦争という戦争は、究極のところ、全部この地域の権益をめぐって起こされたものであり、ある意味において、日本の近代はまさに「満州」を中心に展開されたとさえ認識できるからである。しかし、近代日本の進路を大きく左右したこの旧「満州」について、これまではけっして十分に研究したとは言い難い。むろん、旧「満州」、とりわけ「満鉄」に関する歴史学的なアプローチに長い蓄積があり、多くの課題においてかなりの成果を挙げている。だが、よく調べてみれば、そのほとんどがいずれも政治、経済、あるいは軍事史に偏っており、いわゆる当時の人々の精神活動、あるいは行動原理に深く影響を与えた社会や文化などについての考察が意外にも少数しか存在していない。本研究は、いわば従来あまり重視されなかった旧「満州」の社会や文化などの諸問題を取り上げ、関連史実等の追跡を行う一方、とりわけその成立と展開に大きく関わっていた「在満日本人」の活動を中心に、できるかぎりその全体像を整理、解明しようとした。そして三年間の研究を通して、主に以下のような成果を得ることができた。1.これまで重視されなかった旧「満州」の社会や文化などの問題について比較的総合かつ多角的に追及し、多く史実(都市空間、公娼制度、秘密結社、文芸活動など)を解明した。2.海外共同研究者の協力を得て、多くの史料、とりわけいわゆる在満日本人の発行した各分野の現地雑誌を発掘し、その一部(「満州浪曼」、「芸文」)を復刻、またはその関連作業に取り組み始めた。3.従来、難しかった現地研究者との交流を実現させ、三回の国際研究集会を通じて、多くの中国や韓国研究者とさまざまな問題について意見を交換した。以上のように、この三年間は、現地調査などを通して、多くの貴重な史料を入手したばかりでなく、現地研究者との間に比較的親密な協力関係も築いたため、今後もこれらの成果を生かすことにより、一層の研究上の進展が得られるだろうと思われる。