著者
紙屋 牧子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.110, pp.59-82, 2023-08-25 (Released:2023-09-25)
参考文献数
65

本論は1915年の映画『五郎正宗孝子伝』をめぐるテクストとコンテクストを起点として、明治末期から大正期初期の大衆文化におけるサディズム/マゾヒズムの表象について考察するものである。まず1節では、現存フィルムと関連資料を手がかりにして『五郎正宗孝子伝』の封切当時と再上映時の上映空間の実態を歴史化することを試みた。そのうえで2節・3節では、『五郎正宗孝子伝』における「継子いじめ」の場面を考察し、それが日清・日露戦争前後の大衆文化におけるサディズム/マゾヒズムの表象の流行を反映したものであることを間テクスト的に明らかにした。また、サディズム/マゾヒズムの表象にある植民地主義的な発想やミソジニーを指摘し、そのうえで『五郎正宗孝子伝』における五郎正宗の姿を国民国家形成期の帝国日本のイメージとして読み解いた。更に、サディズム/マゾヒズムの表象において行使される暴力の矛先となる女性が、その暴力を観賞する側になった場合の問題を、近年のジェンダー・ポリティクスの観点から検討し直し、女性観客にとってそれらの暴力的な表象が(男性観客同様に)娯楽としても享受し得ることを指摘した。結論ではサディズム/マゾヒズムの表象を「メロドラマ」の概念を導入して再検討することを今後の課題として提起した。
著者
紙屋 牧子
出版者
美学会
雑誌
美学 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.109-120, 2012-06-30 (Released:2017-05-22)

Hanakosan (1943, TOHO, MAKINO Masahiro) was made into a film from comic serials by SUGIURA Yukio published in a magazine, that is, Jugo no Hanakosan (Hanako-san at the Home Front, 1938-1939), Hanayome Hanakosan (Hanako-san, the Bride, 1939-1940), Hanakosan Ikka (Hanako-san and Her Family, 1940-1945). As for the past evaluations of Hanakosan, many critics and researchers have pointed out that it was a thoroughly light and joyful musical comedy, influenced by Busby Berkeley films, against the national policy under the wartime. I would like to send back Hanakosan into the historical context of the politics during the period, and clarify elements of a "superb" war propaganda that were forgotten in a process in which the film became a myth. And I would like to elucidate that this war propaganda is formed in a dimension even beyond a director himself and the state power.
著者
紙屋 牧子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.32-52, 2018-07-25 (Released:2019-03-05)
参考文献数
37

【要旨】 本稿は最初期の皇室映画(天皇・皇族を被写体とした映画)に焦点をあてる。昭和天皇(当時は皇太子)が1921年に渡欧した際、国内外の映画会社・新聞社によって複数の「皇太子渡欧映画」が撮影され、それが画期的だったということは、これまで皇室研究またはジャーナリズム研究のアプローチから言及されてきた。それに対して、映画史・映画学のアプローチから初めて「皇太子渡欧映画」について検討したのが、拙論「“ 皇太子渡欧映画” と尾上松之助―NFC 所蔵フィルムにみる大正から昭和にかけての皇室をめぐるメディア戦略」(『東京国立近代美術館 研究紀要』20号、2016年、35-53頁)であった。この研究をさらに発展させ、「皇太子渡欧映画」(1921年)以前に遡ってリサーチした結果、「皇太子渡欧映画」に先行する映画として、有栖川宮威仁(1862-1913)が1905年に渡欧した際に海外の映画会社によって撮影された映画が存在すること、それらには複数のバージョンがあり、そのうちの1 本がイギリスのアーカイヴに所蔵されていることが判明した。本稿では、これらの映画がつくられた背景について明らかにすると同時に、この映画が皇室のイメージの変遷の中で持つ歴史的意味について考察した。その結果、「有栖川宮渡欧映画」は、「皇太子渡欧映画」への影響関係もうかがえるものであり、戦前期の「開かれた」皇室イメージの形成への歴史的流れを考えるうえで、きわめて重要な参照項となり得る映画であるという結論に至った。
著者
鷲谷 花 土居 安子 紙屋 牧子 岡田 秀則 吉原 ゆかり アン ニ 鳥羽 耕史
出版者
一般財団法人大阪国際児童文学振興財団
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2018-04-01

本研究は、スクリーンへの映写メディアである映画及び幻灯(スライド)を、近現代日本における社会運動組織が、どのように宣伝・教育・記録といった目的に活用してきたかを解明すべく、主に社会運動の一環として自主製作・上映された映画及び幻灯のフィルム・スライド・説明台本といった一次資料の調査に取り組んできた。本研究プロジェクトの3年間にわたる調査研究活動により、第二次世界大戦後を中心とする日本の社会運動と、映画及び幻灯の自主製作・上映活動の連携の実態や、そうした活動に関わった組織及び人物の動向の一端が明らかになった。また、複数の貴重な一次資料を発掘し、修復及び保存、公開を進めることができた。