著者
鷲谷 花
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.102, pp.31-53, 2019-07-25 (Released:2019-11-19)
参考文献数
47

1949 年の「ドッジ・ライン」実施に伴う失業危機への対策として開始された失業対策事業に就労する失対労働者たちは、「ニコヨン」の通称で呼ばれた。失業者でもあり、最低所得労働者でもある「ニコヨン」は、戦後日本の人権・貧困・労働問題の凝縮した表象として、1950 年代の映画・幻灯など「スクリーンのメディア」にたびたび取り上げられた。戦後独立プロダクション映画運動の嚆矢としての『どっこい生きてる』(1951 年)は、失対労働者の組織的協力を得て製作され、初期失対労働運動の原点としての「職安前広場」という空間の記録という機能も担った。失対労働者による文学運動の成果としての須田寅夫『ニコヨン物語』を原作とする同名の日活映画(1956 年)は、左翼組合運動からは距離を置いた視点から、失対労働者にとっての「職場」の形成と、そこでの労働組合の功罪相半する意味を映し出す。また、失対労働者たちが自作自演した幻灯『にこよん』(1955 年)は、屋外労働者・日雇労働者を男性限定でイメージする通念に抗して、失対事業における「女性の労働問題」を物語った。失対事業における「女性の労働問題」への問題意識は、望月優子監督の中編映画『ここに生きる』(1962 年)にも引き継がれる。「ニコヨン」と呼ばれた失対労働者は、労働運動・文化運動の一環として、「スクリーンのメディア」における自分たちの表象に主体的に関わり、敗戦以降の日本における失業・貧困・労働をめぐる意味の形成の一端を担ってきた。
著者
鷲谷 花
出版者
筑波大学比較・理論文学会
雑誌
文学研究論集 (ISSN:09158944)
巻号頁・発行日
no.17, pp.71-81, 2000-03

1 その頃、東京中の町といふ町、家といふ家では、二人以上の人が顔を合はせさへすれば、まるでお天気の挨拶でもするやうに、怪人『二十面相』の噂をしていました。江戸川乱歩のいわゆる『少年探偵団』シリーズの第一作である『怪人二十面相』 ...
著者
鷲谷 花
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.5-26, 2016-07-25 (Released:2016-08-19)
参考文献数
39

【要旨】日本炭鉱労働組合(炭労)は、1950 年代を中心とする労働組合による幻灯の自主製作・自主上映運動において、主導的な役割を担ってきた。炭労は傘下の組合による労働争議を記録・宣伝する一連の幻灯のほか、炭鉱労働者の文化サークル運動の中で創作された上野英信文・千田梅二画の「えばなし」2 作を幻灯化している。本稿は、炭労が製作した上野・千田の「えばなし」を原作とする幻灯のうち、1956 年の『せんぷりせんじが笑った!』に注目し、炭労の機関紙『炭労新聞』の調査及び、幻灯の撮影を担当した菊池利夫、美術を担当した勢満雄のそれぞれの遺族に対する聞き取り調査を通じて、従来ほとんど知られてこなかった本作の成立プロセスを解明する。菊池、勢は、いずれも満洲映画協会(満映)から東北電影公司・東北電影製片廠(東影)に至るキャリアを経て、1953 年に中国大陸から日本に引き揚げ、その後日本映画界に迎え入れられることのなかった元映画技術者だった。幻灯版『せんぷりせんじが笑った!』は、精巧に造型されたミニチュアセットと人形を撮影することで、原作の苛酷な坑内労働の情景をリアルに映像化しつつ、当時の炭労が求めた「大衆闘争」への能動的参加を観客に促すナラティヴを、原作とはまた異なる形で実現している。そうしたイメージとナラティヴは、作り手たちの中国大陸における創作及び生活体験を通じて形成されたものでもあり、本作は1950 年代の中国-日本の映像文化交流の知られざる重要な成果といえる。
著者
藤原 花 (鷲谷 花)
出版者
明治学院大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2008

今年度は主に関西方面のアーカイヴスでの資料調査を行い、京都文化資料館で、戦時期の南京親日政権の成立を題材とする「大東亜映画」の未映画化シナリオ(東宝、1943年頃)の所蔵を確認したほか、戦時期・占領期日本映画に関するいくつかの未公開資料を発掘した。資料調査の傍ら、青弓社より2012年に刊行予定の単著『戦争と《コスチュームプレイ》-《他者》を扮演する日本人-』(仮)の執筆準備を進めた。2011年2月12日にソウル・漢陽女子大学にて開催された韓国日本学会第82回学術大会にて口頭発表「日本戦争映画における「兵士の歌声」-『五人の斥候兵』から『ビルマの竪琴』まで-」。戦時期から戦後に至る日本の戦争映画における「合唱する日本兵」のイメージの反復について、戦時期から戦後にかけての国民歌運動との関連性を含めて論じた。また、2011年3月に米合衆国・ニューオーリンズで開催されたThe Society for Cinema and Media Studies 2011 Conferenceにて、パネル"Recycling the 'War Propaganda Apparatus' : Rethinking the (Dis-) Continuity of Wartime Film Genres in Japan"に参加、口頭発表"Soldiers in the Performing Arts' in Wartime and Postwar Japanese Cinema"。ここでは大戦期にルース・ベネディクトをはじめ米国戦時情報局調査等によって指摘された戦時期日本映画の「反戦的傾向」と、戦後日本の「反戦映画」との連続性を、日本の戦争映画に登場する兵士の「犠牲者としての英雄」像に注目しつつ論じた
著者
鷲谷 花
出版者
日本映像学会
雑誌
Iconics (ISSN:13454447)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.27-46,58, 2014

<p>  In Japanese, "<i>gentou</i>" (magic lantern, slide, filmstrip) means visual media projecting still images onto screen. In Japan, <i>gentou</i> had first thrived during the Meiji period and revived in the Showa period from war-time to post war 1950s. In both case, <i>gentou</i> had been introduced as "educational media" for school, social and home education, with the recommendation of the Ministry of Education and some authorities of education for the first time. However, since the entering into force of the Treaty of Peace with Japan in 1952, <i>gentou</i> also flourished as grass-roots media within several social movements like labor disputes, anti-basement movements, anti-nuclear movements, and <i>utagoe</i> movement.</p><p>  In this article, I try to explore the possibility of the independent history of <i>gentou</i>, without subordinating it to the history of other media like cinema, photography, or fine arts. Especially, I would like to focus on the 1950s independent <i>gentou</i> production and screening within social movements. During 1950s, social activists often produced original <i>gentou</i> films for the purpose of documenting and propagating their activities, and tried to establish the public sphere for "the exchange of experiences" through <i>gentou</i> screenings. Analyzing newly found materials like films and scripts of these 1950s grass-roots <i>gentou</i> movements I would like to clarify how these <i>gentou</i> films, with their peculiar characteristics, created sense of "the exchange of experiences" among their audience.</p>
著者
鷲谷 花
出版者
Japan Society of Image Arts and Sciences
雑誌
Iconics (ISSN:13454447)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.27-46,58, 2014-04-10 (Released:2019-08-08)
参考文献数
27

In Japanese, "gentou" (magic lantern, slide, filmstrip) means visual media projecting still images onto screen. In Japan, gentou had first thrived during the Meiji period and revived in the Showa period from war-time to post war 1950s. In both case, gentou had been introduced as "educational media" for school, social and home education, with the recommendation of the Ministry of Education and some authorities of education for the first time. However, since the entering into force of the Treaty of Peace with Japan in 1952, gentou also flourished as grass-roots media within several social movements like labor disputes, anti-basement movements, anti-nuclear movements, and utagoe movement.  In this article, I try to explore the possibility of the independent history of gentou, without subordinating it to the history of other media like cinema, photography, or fine arts. Especially, I would like to focus on the 1950s independent gentou production and screening within social movements. During 1950s, social activists often produced original gentou films for the purpose of documenting and propagating their activities, and tried to establish the public sphere for "the exchange of experiences" through gentou screenings. Analyzing newly found materials like films and scripts of these 1950s grass-roots gentou movements I would like to clarify how these gentou films, with their peculiar characteristics, created sense of "the exchange of experiences" among their audience.
著者
鷲谷 花 土居 安子 紙屋 牧子 岡田 秀則 吉原 ゆかり アン ニ 鳥羽 耕史
出版者
一般財団法人大阪国際児童文学振興財団
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2018-04-01

本研究は、スクリーンへの映写メディアである映画及び幻灯(スライド)を、近現代日本における社会運動組織が、どのように宣伝・教育・記録といった目的に活用してきたかを解明すべく、主に社会運動の一環として自主製作・上映された映画及び幻灯のフィルム・スライド・説明台本といった一次資料の調査に取り組んできた。本研究プロジェクトの3年間にわたる調査研究活動により、第二次世界大戦後を中心とする日本の社会運動と、映画及び幻灯の自主製作・上映活動の連携の実態や、そうした活動に関わった組織及び人物の動向の一端が明らかになった。また、複数の貴重な一次資料を発掘し、修復及び保存、公開を進めることができた。
著者
鷲谷 花
出版者
筑波大学
雑誌
文学研究論集 (ISSN:09158944)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.25-32, 2001

1. ゆがめる文化/育てる文化 児童文学評論家の管忠道は、戦後に発表された「児童文化の現代史」において、近代以降の日本における児童文化の発展史を、〈子どもをゆがめる文化〉と〈子どもを育てる文化〉の闘争の歴史として捉えている。 ...
著者
鷲谷 花
出版者
筑波大学比較・理論文学会
雑誌
文学研究論集 (ISSN:09158944)
巻号頁・発行日
no.17, pp.71-81, 2000-03

1 その頃、東京中の町といふ町、家といふ家では、二人以上の人が顔を合はせさへすれば、まるでお天気の挨拶でもするやうに、怪人『二十面相』の噂をしていました。江戸川乱歩のいわゆる『少年探偵団』シリーズの第一作である『怪人二十面相』 ...