著者
葛西 大和
出版者
東北地理学会
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.23, no.4, pp.204-212, 1971

筆者は, 市乳市場から遠隔の地にあって, 低い乳価を強いられる十勝平野の酪農について, その存立基盤, 競合作物との関連による立地, 酪農の発展を支えてきた基本的な要因について考察した。<BR>1 農業経営の分析の結果, 地域的にみれば, 酪農は畑作物に従属的な十勝平野中央部と, 専業的酪農家の成長している十勝平野周辺部に区別される。<BR>2 畑作物と牛乳生産の土地生産性の比較や豆類の投機性, 経営規模の大きさなどを考慮すると, 平年作の時には畑作物が相対的に有利といえるが, 労働生産性や寒冷地という条件を考慮すると牛乳生産の収益性は畑作物の収益性に劣るものではない。<BR>3 従って周辺部の山麓や沿岸部の方が自然条件の影響をより強く受けて, 畑作経営上は不利であり, 相対的に酪農に重点があるといえる。乳価の地域差が小さい十勝では, 周辺部の酪農の地位が重要になっていくと予想される。<BR>4 酪農経営の分析に, 牛乳生産費調査の結果を合わせて考えると, 十勝の酪農生産の発展を支えてきた基本的な要因は「乳価の上昇」と「経営農地の広さ」に帰せられる。
著者
葛西 大和
出版者
東北地理学会
雑誌
季刊地理学 = Quarterly journal of geography
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.75-93, 1997-01-01

一国の経済地域の構造は経済の構成と発展の地域的投影であるから,この経済地域の構造に現われた特質を分析することによって,その国の経済現象の地域的展開と連関にみられる特異性を把捉することができるはずである。本研究は,外国貿易の展開を日本の近代の経済地域構造にみられる「求心的構造」の形成を解明するための重要な要因であると考えて,1859年~1919年の開港場の設置経過と,各貿易港における貿易額のシェアを統計的に分析した。その結果,幕末から維新期に条約によって開港場に指定された貿易港が, 1859年~1899年の40年間,貿易を事実上独占していること,とくに横浜と神戸の占める割合が圧倒的であること,そして外国貿易の初期こそ開港指定の早い横浜が外国貿易をリードしたが,国内における資本制生産の発展過程で,明治20年代以降に神戸が,また30年代以降に大阪が貿易のシェアを大きく伸ばして,、関東沿岸と近畿沿岸の貿易港のシェアが括抗するような貿易港の地域的パターンが産業革命期に確立していることが,明らかとなった。キーワード:外国貿易,開港場,ヒンタ-ラント,工業立地,産業革命,経済地域
著者
葛西 大和
出版者
東北地理学会
雑誌
季刊地理学 = Quarterly journal of geography (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.75-93, 1997-04-30
参考文献数
44

一国の経済地域の構造は経済の構成と発展の地域的投影であるから, この経済地域の構造に現われた特質を分析することによって, その国の経済現象の地域的展開と連関にみられる特異性を把握することができるはずである。本研究は, 外国貿易の展開を日本の近代の経済地域構造にみられる「求心的構造」の形成を解明するための重要な要因であると考えて1859年~1919年の開港場の設置経過と, 各貿易港における貿易額のシェアを統計的に分析した。<br>その結果, 幕末から維新期に条約によって開港場に指定された貿易港が, 1859年~1899年の40年間, 貿易を事実上独占していること, とくに横浜と神戸の占める割合が圧倒的であること, そして外国貿易の初期こそ開港指定の早い横浜が外国貿易をリードしたが, 国内における資本制生産の発展過程で, 明治20年代以降に神戸が, また30年代以降に大阪が貿易のシェアを大きく伸ばして, 関東沿岸と近畿沿岸の貿易港のシェアが拮抗するような貿易港の地域的パターンが産業革命期に確立していることが, 明らかとなった。
著者
葛西 大和
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.75-93, 1997

一国の経済地域の構造は経済の構成と発展の地域的投影であるから, この経済地域の構造に現われた特質を分析することによって, その国の経済現象の地域的展開と連関にみられる特異性を把握することができるはずである。本研究は, 外国貿易の展開を日本の近代の経済地域構造にみられる「求心的構造」の形成を解明するための重要な要因であると考えて1859年~1919年の開港場の設置経過と, 各貿易港における貿易額のシェアを統計的に分析した。<br>その結果, 幕末から維新期に条約によって開港場に指定された貿易港が, 1859年~1899年の40年間, 貿易を事実上独占していること, とくに横浜と神戸の占める割合が圧倒的であること, そして外国貿易の初期こそ開港指定の早い横浜が外国貿易をリードしたが, 国内における資本制生産の発展過程で, 明治20年代以降に神戸が, また30年代以降に大阪が貿易のシェアを大きく伸ばして, 関東沿岸と近畿沿岸の貿易港のシェアが拮抗するような貿易港の地域的パターンが産業革命期に確立していることが, 明らかとなった。