著者
佐々木 達夫 VOGT Burkard 金子 浩昌 二宮 修治 BURKAHRD Vogt ブハード ホクト ジェイ ラクスマン ブィード ホクト 蔀 勇造
出版者
金沢大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1993

アラブ首長国連邦ラッセルカイマ首長国にある、中世港湾都市ジュルファル遺跡を発掘調査し、住居跡とモスク跡を発見し、出土した陶磁器片の整理を現地で行った。調査の目的は、中世のインド洋貿易で運ばれた陶磁器を使って、当時の貿易状態の一面を探り、それを使用した人々の生活と歴史を復元することであった。イスラーム世界と東アジアは、9世紀以来、海上交通路を活発に利用した貿易により交流したことが知られる。これは陸上の道から大量輸送の可能な海の道への転換であり、こうした事実は文献からだけでなく各地から出土する大量の陶磁器片などによって推定できる。しかし、その産地、数量、組み合わせ、歴史的な変遷、さらに使用した人々などについての詳細な実態は不明瞭な部分がまだ多い。そこで、ペルシア湾岸に位置する交易都市ジュルファル遺跡を発掘することにより、その実態、すなわち、どのような建物に住む人が、生活用具になにを用い、そしてなにを食べ、他の世界のどこから物を運んだかを知る資料を得る。とくに、東西世界の貿易と技術的な影響関係を、出土する陶磁器を主に用いて探ることが現在の課題である。すなわち、本研究は他地域との交流という視点を中心にすえた現地調査研究である。一つの住居単位(中庭と建物を含む最小単位の敷地)が推定できる範囲を目的に発掘を行った。ジュルファル遺跡では7層に分類できた14世紀から16世紀にかけての都市遺跡の一部を発掘し、層位的な建物プランの変化をとらえることができた。層位的に出土する陶磁器の組み合わせやその他の生活品から、ここに住んだ人々の従事した貿易と生活の状態、その変遷を推定することができた。出土品は現地およびラッセルハイマ国立博物館でできるだけ分類整理し、器形復元や統計的な処理を行った。その過程で選別され登録された出土品の一部を日本に運び、詳細な実測図作成、写真撮影を行っているところである。さらに陶磁器の釉と素地の科学的分析を日本で実施中である。一部の分析結果はすでに論文として公表している。出土した陶磁器は、イラク、イラン、アラビア半島各地、東南アジア、中国などから運ばれたものであることが判明し、当時の貿易の様相を知る手掛かりを得ることができた。東・東南アジアの製品では中国の染付、青磁、赤絵、黒褐色釉陶器、ベトナムの染付、青磁、タイの青磁、鉄絵陶器、黒褐釉陶器などが目立つ。イランやイラクの青緑釉陶器、白釉陶器、さまざまな文様の描かれた施釉陶器も出土している。土器はアラビア半島産が多く、次いでイランの土器が続いている。現在、重量を計測して層位的に統計処理を実施中であるが、産地不明の製品もまだあり、基礎的研究の継続がさらに必要である。もっとも多いのは現地産土器、次いでイラン産土器、さらにイラン産の施釉陶器である。遠隔地から運ばれた陶磁器は海上貿易を復元するうえで大きな意味をもっており、さらに研究を続ける予定である。ジュルファル遺跡の周辺に所在する遺跡の調査も実施した。ジュルファル遺跡の北10kmに位置するハレイラ島は、初期のジュルファル遺跡と推定できる遺跡である。ハレイラからジュルファルに都市が移動し、ジュルファルという都市名もハレイラから現在の地に移動したと推定でき、二つの地域を併せて広義のジュルファル遺跡と呼ぶべきであることが推定できた。島の南端で初期イスラームの住居跡を発見した。ジュルファル遺跡の歴史的位置づけを行ううえで重要な発見であり、本格的な調査がさらに必要である。ペルシャ湾地域における日本人によるイスラーム時代の遺跡調査は、我々の調査が唯一であり、本研究の果たす学問的な役割は大きい。
著者
蔀 勇造
出版者
東洋史研究會
雑誌
東洋史研究 (ISSN:03869059)
巻号頁・発行日
vol.51, no.4, pp.631-656, 1993-03-31