- 著者
-
藤田 和史
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2013, 2013
I はじめに<br> 国内における家庭用品産地は,主として東京城東地域など大都市圏に展開してきた.国内における地方産地の一つに,海南産地がある.海南産地は,シュロ産業から発展したたわし生産を基礎に,非金属系家庭用品を中心に産地を形成してきた.しかしながら,家庭用品は途上国での生産が台頭し,国内の産地においては縮小傾向が続いている.海南産地も例外ではなく縮小傾向が続いているが,反面国内外の展示会への参加や企業同士の組合活動での協調など多様な活動を展開している.この中で,新製品開発や多角化など,個別企業の変化もみられるようになってきている.これらは他者とのネットワークによる活動であり,産地の革新を支えるネットワークでもある.これらの活動・ネットワークがいかなる特性を持つのかを検討することは,今後の地場産業産地を考察する上で重要と考えられる.<br> 本報告は,海南産地に展開する家庭用品産業を事例に,近年活発になりつつある製品開発や販路拡大などの活動における企業間ネットワークの役割とその空間性について検討することを目的とした.<br><br>II 海南産地の形成過程<br> 海南産地の起源は,市域北東部の旧野上村を中心とする野上谷で発達したシュロ産業である.野上谷を中心として,和歌山県内の旧海草郡から有田郡の山中は,第二次世界大戦後まで全国一のシュロ皮の産地であった.シュロは,弘法大師が唐から持ち帰ったともいわれているが,この地域では文永年間に阿氐河庄(現在の紀美野町清水)に山中に帰化自生していたものを観賞用として植栽したものが起源といわれている.シュロが明確な作物として栽培されるようになったのは弘和年間といわれているが,記録よって確認できるのは江戸時代以降である.『毛吹草』,『紀伊続風土記』,『紀伊国名所図会』などにシュロの栽培・樹皮の生産の様子が記録されており,江戸後期に不足した竹皮の代替材料として樹皮を江戸や大阪に出荷したとの記録が残っている.<br> 海南産地が,シュロ産業から家庭用品へと展開していったのは,主として戦後のことである.明治期以降,海南産地ではシュロ繊維を利用して箒,漁網や縄類が生産されていた.その後,戦中にタワシ材料として利用されていたパーム繊維の輸入が途絶えために,代替材料として東京のメーカーがシュロに着目したことで利用価値が高まった.戦後にパームの輸入が復活してからは,主として地元の業者がシュロタワシの生産を始め,ブラシや化繊タワシの生産,その他の製品へと拡大していった.<br><br>III 家庭用品生産の生産構造と産地の変容<br> 海南産地の生産業者は,素材やコンセプトを変えながら家庭用品の生産を行ってきた.現在,産地全体としての主な製品群は①タワシ・クリーナー類,②浴用関連小物・バス用品,③キッチン小物,④ランドリー用品,⑤トイレタリー用品である.かつては,シュロ敷物などから派生した布巾・ドアノブカバーなど繊維小物も多くを占めたが,現在では縮小している.これらの製品は差別化が図りにくいものが多く,かつ陳腐化しやすいという商品特性を持っている.そのため,各企業とも開発競争は過酷である.また,煩雑な製品も多い一方で,価格は低くなるという製品特性も有している.ゆえに,ランドリー用品等を中心として,プラスチックを利用した多工程製品は30年ほど前から海外での生産が増加し続けている.その一方で,国内ではスポンジタワシなど一部の製品の生産が継続されている.しかし,企業によってその比率や海外生産の形態は多様である.報告では,地域内の大手製造卸への聞き取り調査等をもとに,産地の変容と企業の対応を紹介していきたい.