著者
藤田 秀樹
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.68, pp.109-123, 2018

『ジョーズ』においては,三人の白人男性が,具体的には地元の警察署長,サメの捕獲に執着する漁師,そしてサメを専門に研究する海洋学者が,この役割を果たす。生業も年恰好もパーソナリティもそれぞれ異なるこれら三人の関係性は,当初は友好的とは言い難いものだが,次第に彼らの間に男同士の絆とでも言うべきものが醸成されていく。そして彼らは団結して,怪物のように巨大で狡猾なサメと対決する。かように『ジョーズ』は,大災害映画であると同時に,男同士の絆を描くバディ映画(buddy film)としての佇まいをも併せ持つ。レスター・D・フリードマンによれば,「スピルバーグ映画の多くは,初めのうちは張り合うが,最終的にはお互いを理解し敬意を払い,共通の敵を打ち破るために団結するようになる男たちを機軸に展開する」のであり,「『ジョーズ』は,スピルバーグ映画において男同士の絆を最も明確に表現したもののひとつであり続けている」。災厄が起こるまでは互いに接点も接触もなく,急遽寄せ集められたという観すらあり,サメに関する経験的知識や科学的知識という強みだけでなく,水恐怖症という弱みやサメとの過去の忌まわしい因縁をも抱えた男たちが,それぞれの個性をぶつけ合わせながらも結束しカタストロフィに立ち向かっていくさまに,この映画の大きな興趣があるのではなかろうか。以上のようなことを念頭に置きつつ,『ジョーズ』という映画テクストを読み解いていくことにする。
著者
藤田 秀樹
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.65, pp.149-164, 2016

ロナルド・レーガン政権下の1980 年代アメリカにおいては,「家族の価値」と呼ばれるものが一種の政治的,社会的,文化的,そして道徳的スローガンとなっていた。本論では,1989 年に発表されたダニー・デヴィートの監督作品『ローズ家の戦争』(The War of the Roses) を「家族の物語」として観ていくことにする。まず我々の目を引くのはこのタイトルであろう。歴史的な出来事としての「薔薇戦争」(Wars of the Roses, 1455-1485) に掛けたものであろうが,「戦争」というおだやかならざる語句が,不穏で不吉な物語の展開を予感させる。戦いはもっぱら夫と妻の間で交わされるので,タイトルは「ローズ夫妻の戦争」とも訳しうる。『ローズ家の戦争』の「戦争」は,様々な策謀やいやがらせで相手を挑発し苛立たせる神経戦を経て,最終的に家庭を戦場として,食器や家具調度品を武器として用いる文字通りの暴力的な白兵戦に発展する。そしてその「戦争」は,夫婦の「戦死」とともに幕を閉じる。不穏なタイトルといい,家族間の亀裂や憎悪や争闘によって駆動される物語展開といい,『ローズ家の戦争』は同時代の公的スローガンである「家族の価値」に冷水を浴びせるような物語であり,その点で,家族をめぐる1980 年代の多様な映画的語りの系譜に連なる作品であると言えよう。以下,これらのことを念頭に置きつつ,この映画を仔細に検討していくことにする。
著者
亀井 直哉 田中 敏克 三木 康暢 祖父江 俊樹 小川 禎治 佐藤 有美 富永 健太 藤田 秀樹 城戸 佐知子 大嶋 義博
雑誌
第51回日本小児循環器学会総会・学術集会
巻号頁・発行日
2015-04-21

【背景】純型肺動脈閉鎖(PA/IVS)において、2心室修復を目指して肺動脈弁に介入する方法として、カテーテル治療と外科治療がある。【目的】PA/IVSに対する初回介入として、経皮的肺動脈弁形成術(PTPV)とopen valvotomyでの治療経過の相違を検討する。【対象・方法】2006年から2014年にPA/IVSでの初回介入としてPTPVをtryした10例中、不成功に終わった4例(1例は右室穿孔でショック)を除く6例(P群)と、open valvotomy6例(S群)の経過を後方視的に検討した。【結果】両群間で介入時体重、右室拡張末期容積(%N)、三尖弁輪径(%N)、肺動脈弁輪径(%N)、術後追跡期間に有意差はなかった。P群の使用バルーン径/肺動脈弁輪径比は100-125%であった。S群の1例で、三尖弁形成と体肺動脈短絡術が同時に行われていた。術後ICU滞在日数、挿管日数、PGE1投与日数に有意差はなかったが、入院日数はP群で有意に短かった(P=0.032)。肺動脈弁に対する再介入は、P群で2例にPTPVを3回、S群で3例にPTPVを4回、1例にMVOPを用いた右室流出路形成と三尖弁形成が行われていた。肺動脈弁への再介入の発生率と回数には有意差はなかった。術後中等度以上の肺動脈弁逆流は両群とも認めなかった。根治術到達ないし右左短絡の消失例は、P群で4例、S群で3例であり、残りの症例でも右室の発育がみられた。【結論】PA/IVSに対する初回介入として、PTPVとopen valvotomyでは、その後の肺動脈弁への再介入や弁逆流の程度に差はなかった。RF wireの導入により今後PTPV try例が増加すると予想されるが、右室穿孔などによる急変リスクは依然としてあり、これに速やかに対応できる体制の整備は重要である。
著者
藤田 秀樹
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.61, pp.183-200, 2014

1970年代から現在に至るまでその旺盛な創作力でハリウッドを牽引し続けているフィルムメーカー,スティーヴン・スピルバーグのキャリアを概観すると,1980年代後半が彼の作風の大きな転換点として浮かび上がる。本論では,スピルバーグのキャリアにおける転換点を画するこれらの作品群のひとつであり,また彼の作品の中でも等閑視されてきた感のあるもののひとつでもある『太陽の帝国』を取り上げる。この『太陽の帝国』において,彼は少年と世界が痛々しい成熟へと至る軌跡を活写する。従来のハッピーエンディング的な大団円とは違って,どこか屈折や屈託を孕みつつ物語が終結していくのも,この作品がそれまでのスピルバーグ作品と一線を画するものであることを示唆するものと言えよう。物語を通して交錯するふたつの「通過儀礼」に焦点を当てながら,『太陽の帝国』という映画テクストを読み解くことを試みる。
著者
藤田 秀樹
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.64, pp.233-245, 2016

『シザーハンズ』は,同質的な共同体とそこに闖入した強い異質性,他者性を帯びた「異形の者」との対峙・相克の物語と言えそうだ。エドワードの手=鋏にはさまざまな意味が重層的に織り込まれているように思われるが,その中で最も明確なのは,彼の異質性,他者性を際立たせる烙スティグマ印というものであろう。彼はこの手=鋏で新しいものを次々と創出し,住民たちに非日常的,祝祭的な刺激と興奮をもたらすことで束の間,住宅地を活性化させるが,やがて災厄をもたらす危険でおぞましい存在として排除される。彼を取り巻く状況のこのような起伏は,共同体に対して異質なものが否応なく帯びてしまう両義性を,角度を変えて見るなら,共同体が異質なものに対して抱くアンビヴァレンスを,浮き彫りにするものではあるまいか。以上のようなことに焦点を当てつつ,『シザーハンズ』という映画テクストを読み解くことを試みる。
著者
山口 さち子 井澤 修平 前谷津 文雄 圡井 司 引地 健生 藤田 秀樹 今井 信也 赤羽 学 王 瑞生
出版者
日本磁気共鳴医学会
雑誌
日本磁気共鳴医学会雑誌 (ISSN:09149457)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.103-119, 2018 (Released:2018-12-10)
参考文献数
27

In this study, we surveyed policies on allocating MRI scan duties to pregnant employees, and investigated the respondents' level of awareness of non-ionizing radiation. We sent 5763 questionnaires to facilities equipped with MRI devices in Japan (the corresponding respondent was a member of the personnel responsible for MRI scan duties). The questionnaire comprised: 1) Basic information; 2) General questions about the employees' pregnancies (e.g., whether the hospital has a particular policy); 3) The policy on MRI scan duties while pregnant and alternative duties ; and 4) Level of awareness of non-ionizing radiation in general. The results revealed inconsistent handling within Japan. Answers stating that ``increase the opportunity of allocation to MRI scan duties compared with the current situation'' accounted for 7.6%, ``maintaining the current frequency of allocation to MRI scan duties'' for 32.3%, and ``reduce the opportunity of allocation to MRI scan duties compared with current situation'' for 52.6%. Around half of facilities prepared work options (e.g. access restriction into MRI scan room or assign extra staff to MRI scan duties) in MRI scan duties during pregnancy. In an attitude survey for non-ionizing radiation emitted by medical devices, respondents showed higher attention compared with that for the radiation emitted by home electronic devices. This report describes a summary of the survey. Further analysis is in progress and will be reported soon.
著者
藤田 秀樹
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.60, pp.109-123, 2014-02-17

「父子関係」は,クリント・イーストウッドの1990年代以降の監督作品を彩る重要な主題のひとつと言える。本論では,「父子関係」の物語の系譜に連なる作品のひとつである『グラン・トリノ』を取り上げる。この映画では,イーストウッド演ずる実の息子たちと疎遠な状態にある老人と,彼の隣家に住み父親が不在で自分以外は女性ばかりという家族の中に置かれているせいか,どこか男性性が希薄,脆弱で周囲から孤立気味の若者との関係性に焦点が当てられる。老人は若者に男としての立居振舞いを,さらには仕事という形で社会に居場所を見出せるようにもの作りや修理の技術を教え込み,その過程で二人の間に父子的な関係性が醸成されていく。この二人の「父子関係」はインターレイシャルなものなのである。そして物語の大団円において,老人はこのアジア系の若者の未来を守るために自らの身を犠牲にして凶弾に倒れ,さらに,彼が宝のように愛蔵し作品のタイトルにもなっているフォード社製造の自動車を若者に遺贈したことが明らかになるとともに物語は閉じる。父が自らの遺産や使命を息子に託するということは父子関係を特徴づけるモチーフのひとつだが,この作品ではそれが白人の「父」とアジア系の「息子」との間で成されるのである。イーストウッド自身がこの映画について,アメリカの「現状に結びついているともいえる」ことだが「ひとつの時代の終わり」が描かれている,と語っているように,「転換」もしくは「変わり目」といった気配が物語のそこかしこに立ち現れる。そしてそれは,この映画が制作された当時の時代状況を少なからず反映するものなのであろう。何かが廃退し終焉を迎えようとしており,別の何かがそのあとを継ごうとしている。そしてそのような事態は,「継承」という位相を通して父子関係の主題に接続する。とすれば,「息子」が「父」から継承し作品のタイトルにもなっている「グラン・トリノ」は,単なる一車種を超えた意味を帯びたものに他なるまい。以上のようなことを念頭に置きつつ,『グラン・トリノ』という映画テクストを読み解くことを試みる。
著者
永田 敏夫 森田 泰史 藤田 秀樹 福司 亜弥
出版者
日本物理教育学会
雑誌
物理教育学会年会物理教育研究大会予稿集
巻号頁・発行日
vol.16, 1999

We can observe the fringes, when we superpose two sheets drawn the stripes or concentric circles. Why can we get such a strange shadow finges? Why can we get the change of fringes pattern with moving sheets slightly? You can enjoy the net sheet superposing and observe the curveture of your own body and your feature by way of moire fringes.
著者
永田 敏夫 森田 泰史 藤田 秀樹 福司 亜弥
出版者
日本物理教育学会
雑誌
物理教育学会年会物理教育研究大会予稿集
巻号頁・発行日
vol.16, 1999

We can observe the fringes, when we superpose two sheets drawn the stripes or concentric circles. Why can we get such a strange shadow finges? Why can we get the change of fringes pattern with moving sheets slightly? You can enjoy the net sheet superposing and observe the curveture of your own body and your feature by way of moire fringes.
著者
藤田 秀樹
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.64, pp.233-245, 2016

『シザーハンズ』は,同質的な共同体とそこに闖入した強い異質性,他者性を帯びた「異形の者」との対峙・相克の物語と言えそうだ。エドワードの手=鋏にはさまざまな意味が重層的に織り込まれているように思われるが,その中で最も明確なのは,彼の異質性,他者性を際立たせる烙スティグマ印というものであろう。彼はこの手=鋏で新しいものを次々と創出し,住民たちに非日常的,祝祭的な刺激と興奮をもたらすことで束の間,住宅地を活性化させるが,やがて災厄をもたらす危険でおぞましい存在として排除される。彼を取り巻く状況のこのような起伏は,共同体に対して異質なものが否応なく帯びてしまう両義性を,角度を変えて見るなら,共同体が異質なものに対して抱くアンビヴァレンスを,浮き彫りにするものではあるまいか。以上のようなことに焦点を当てつつ,『シザーハンズ』という映画テクストを読み解くことを試みる。