著者
西原 志保
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.57, no.12, pp.11-23, 2008-12

女三宮は、研究史の中でその存在が六条院世界や物語のありようを変容させたものの、内面を語らないといわれる。しかし、女三宮の心内語や心情に添った描写、会話文など、女三宮のことばは少なくない。それゆえ、源氏や紫の上の述懐がどのような点で「内面」と見られ、女三宮のことばが見られなかったのかを、近代的な内面観や研究史との関わりから押さえた上で、女三宮のことばのありようについて論じる。特に女三宮のことばが短く断片的であること、時間感覚に着目する。
著者
西原 志保
出版者
特定非営利活動法人 頸城野郷土資料室
雑誌
頸城野郷土資料室学術研究部研究紀要 (ISSN:24321087)
巻号頁・発行日
vol.2, no.5, pp.1-20, 2017 (Released:2019-04-20)
参考文献数
12

光源氏亡き後の世界を描く『源氏物語』宇治十帖では、臨終間際の大君(おおいきみ)の様子が「身もなきひひな」に喩えられる。「ひひな」(雛)は紙などでできた人形(にんぎょう)であり、紫の上の幼い頃など、子どもが遊ぶ場面で描かれる。また、大君に関しては、彼女の死後薫が大君の「人形(ひとがた)」を作りたいと言い、その「人形(ひとがた)」として最後の女主人公浮舟が登場する。「人形(ひとがた)」は穢れを払うために流されるなでもののことである。『源氏物語』研究において雛は物語構築の手法として、人形(ひとがた)も重要なモチーフとして注目されるが、雛と人形(ひとがた)を総合的に考察したものは多くない。そこで、雛と「人形(ひとがた)」を併せて考察することで『源氏物語』の人形(にんぎょう)論を試みるのが、本稿の目論見である。人形(にんぎょう)は現代のアートシーンにおいて、男性によるオブジェ嗜好とも関わりながら、女性の内面表現の媒体として特異な発展を遂げている。芸術論においては絵画や彫刻と対比され、その衣装性が指摘される。子どもが遊ぶ人形を指す雛が、なぜ大君の喩に用いられるのだろうか。この疑問を切り口に、女性の内面形成とフィクション構築とを重ね合わせる手法としての「人形(にんぎょう)」に着目する。子どものままごと遊びとして始発しながら、男性(薫)のオブジェ嗜好を経て、女君自身(浮舟)の人形(にんぎょう)化願望へと辿り着く様相を明らかにする。
著者
西原 志保
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.57, no.12, pp.11-23, 2008-12-10 (Released:2017-08-01)

女三宮は、研究史の中でその存在が六条院世界や物語のありようを変容させたものの、内面を語らないといわれる。しかし、女三宮の心内語や心情に添った描写、会話文など、女三宮のことばは少なくない。それゆえ、源氏や紫の上の述懐がどのような点で「内面」と見られ、女三宮のことばが見られなかったのかを、近代的な内面観や研究史との関わりから押さえた上で、女三宮のことばのありようについて論じる。特に女三宮のことばが短く断片的であること、時間感覚に着目する。
著者
西原 志保
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.58, no.9, pp.22-33, 2009-09-10 (Released:2017-08-01)

女三宮は、研究史においてその存在が六条院世界や物語のありようを変容させたものの内面を語らないと言われるが、『源氏物語』中に心内語や心情に添った描写、会話文、和歌は少なくない。それゆえそれらを女三宮のことばとして総合的に捉え、結婚当初、柏木事件後、出家後の変容を考察する。「身」、「我」など自己をあらわす語と、対置される語である「心」「世」「人」に着目し、柏木事件後にあらわれる「身」「我」という意識が、出家後「心」は描かれるものの消えることを述べる。
著者
西原 志保
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.58, no.9, pp.22-33, 2009

女三宮は、研究史においてその存在が六条院世界や物語のありようを変容させたものの内面を語らないと言われるが、『源氏物語』中に心内語や心情に添った描写、会話文、和歌は少なくない。それゆえそれらを女三宮のことばとして総合的に捉え、結婚当初、柏木事件後、出家後の変容を考察する。「身」、「我」など自己をあらわす語と、対置される語である「心」「世」「人」に着目し、柏木事件後にあらわれる「身」「我」という意識が、出家後「心」は描かれるものの消えることを述べる。