著者
西山 孝樹 藤田 龍之 知野 泰明
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.123-131, 2012 (Released:2012-11-20)
参考文献数
64

わが国では,10世紀をピークとして9世紀から11世紀にかけて,「土木事業の空白期」が存在していたことを本研究で指摘した.その背景には,10世紀における律令国家の崩壊が最も影響したと考えられる.そして更なる要因として,平安貴族を中心に,土の掘削を忌み嫌う「犯土」思想が,10世紀後期から11世紀に存在しており,その思想が「土木事業の空白期」に影響を及ぼしていたとみられることを示した. しかし,空白期における土木事業は,全く実施されなかったわけではなかった.わずかではあるが,僧によって行われており,文献史料を中心に彼らの事績をまとめた.そして,「犯土」思想が僧による土木事業に影響を与えたかについても迫り,平安時代における「土木事業の空白期」の実態を明らかにした.
著者
西山 孝樹 藤田 龍之 天野 光一
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集 (ISSN:24366021)
巻号頁・発行日
vol.79, no.6, pp.22-00280, 2023 (Released:2023-06-20)
参考文献数
30

本研究では,江戸幕府の公式記録である『徳川実紀』をすべて読み,「山川掟」の初出とされる1666(寛文6)年以前の治水をするために治山も同時に行わなければならないと言及した法制度に関する事項を抜き出した.その結果,既往研究で「山川掟」の初出とされてきた20年ほど前の1645(正保元)年には,同様の内容に言及した法制度が存在していることを明らかにした.さらに,1666(寛文6)年から1742(寛保2)年の「山川掟」に関する事項も抜き出した.それらを整理したところ,「山川掟」に関するものは6事項が掲載され,約20〜30年ごとに発布されていた.現在においても,「山川掟」のように,治山と治水を同時に考えていくべきであり,江戸時代の政策は現在を生きる我々も,参考にすべき点は大いにあることを示した.
著者
渡辺 万紀子 天野 光一 西山 孝樹
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D1(景観・デザイン) (ISSN:21856524)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.17-32, 2021 (Released:2021-03-20)
参考文献数
17

街路空間を沿道建築物からの観点で見ると,内部空間と外部空間が存在する.この境界である建築壁面線は,曖昧な境界を構成し中間領域を形成している.この中間領域は,内部空間が外部空間に貫入した「浸み出し」と,外部空間が内部空間に貫入した「入り込み」から構成される.本研究では,「浸み出し」の中間領域を構成する要因を検討し,中間領域の類型化を行った.その結果得られた7類型は直観情報の活動支援装置,活動,商品と,内部情報によりその性格を説明することができた.また,その類型は商品展開型,活動展開型,商品活動展開型,内部情報型,情報不特定型,活動支援装置商品展開型,活動支援装置展開型となることがわかった.
著者
西山 孝樹 藤田 龍之 天野 光一
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.75, no.1, pp.13-31, 2019 (Released:2019-02-20)
参考文献数
39
被引用文献数
1 2

わが国の近世以降に実施された社会基盤整備は,現代へ繋がる萌芽であったとされる.しかし,江戸幕府下に実施された先の整備は,一次史料から網羅的に明らかになっていないのが現状である. そこで本研究では,幕府が編纂した公式記録『徳川実紀』を用いて,江戸時代前中期に実施された道路行政政策に着目した.その結果,「道路」に関する記述は,維持管理等を定めた「規則の制定」に関する記述が最も多かった.一方,「道路」の新規造成や補修等,「道路施工」に関するものは非常に少ない状況であった.研究対象とした時代は,「道路」の維持管理は行われたものの,幕府直轄による道路造成は積極的に行われていなかった.幕藩体制を維持するために江戸へ攻め込まれることを防ぐ必要もあり,土木工事を抑えていたと推察される状況にあったことを示した.
著者
西山 孝樹 藤田 龍之
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.9-19, 2014 (Released:2014-07-18)
参考文献数
71
被引用文献数
1

わが国では,10世紀をピークとして9世紀から11世紀に「土木事業の空白期」が存在していた.その背景には,平安貴族を中心に土の掘削を忌み嫌う「犯土」思想が影響していたとみられる.そこで本研究では,空白期の存在をより明確にするため,当該の時代に設置された官職に着目した.土木と関わる官職が設置されていなければ,社会基盤整備を実施できなかったと考えられるからである. わが国の律令制度が倣った中国の唐および空白期と同時期に成立していた宋には,土木と関係する官職が設置されていた.一方,わが国の中央政府には土木事業を行う官職は設けられておらず,地方では災害発生時など臨時に設置されていたに過ぎなかった.9世紀から11世紀には,社会基盤整備に通じる事業を専門に掌っていた官職は存在していなかったことを本研究で示した.
著者
西山 孝樹 知野 泰明
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.11-21, 2012
被引用文献数
2 1

江戸幕府の河川技術流派である"紀州流"の出所である和歌山県,その北部を西流する紀の川両岸は河岸段丘が拡がり,近世初頭まで溜池と紀の川に注ぎ込む中小河川に堰を設けて灌漑が行われて来た.本研究では,"紀州流"の原点を見出すことを最終目的とし,紀の川上・中流域において荘園が形成された11世紀末以降から近世中期までの灌漑水利の変遷について研究を行った.本研究の結論として16世紀頃から荘園制度が消滅していき,近世初頭の応其上人による溜池の築堤や改修,紀州藩の事業として紀の川の堤防築堤や用水路開削が行われ,紀の川に対して横断方向の開発から本格的に大規模な縦断方向の新田開発へ転化していったことが明らかとなった.