著者
貝沼 良風
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2019年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.288, 2019 (Released:2019-03-30)

<はじめに>本研究では,山形花笠まつりを事例に,近代以降に生まれた祭りの存立要因を,祭りの参加者のアイデンティティに着目して検討する.日本においては,近代以降,とりわけ高度経済成長期以降,地域活性化などのために新たに祭りが生み出されていった.そうした祭りの中には,地域を代表する祭りに成長したものもみられる.祭りの参加者に注目すると,このような新たな祭りでは地縁的共同体によらずに参加者を募ることが少なくなく,参加者はそれぞれのきっかけや理由によって祭りに参加している.既往の祭り研究においても,祭りの参加者に着目して検討したものは存在する.そこでは,参加者個人の意識に注目したものもあるが,参加者個人は所属する団体の構成者の一人として捉えられる傾向にある.しかし,現代の祭りの在り方を解明するためには,参加者を特定の所属団体の一人としてだけでなく,参加方法や役割を変えながらも祭りに参加し続ける主体として捉えて分析する必要があるだろう.<研究方法と研究対象の位置づけ>以上を踏まえ本研究では,山形花笠まつりを事例に,祭りの参加者の参加のきっかけや理由と,参加者が形成するアイデンティティを明らかにし,現代の祭りが存立する要因を考察した.分析に用いるデータは,運営組織である山形県花笠協議会と,祭りに踊り手として参加している46人への聞き取り調査から収集した.また,山形花笠まつりに関する書籍や,各団体の資料等も適宜使用した.山形花笠まつりは高度経済成長期に観光誘致のために生み出された,花笠踊りという踊りを中心市街地で踊るパレードが目玉の祭りである.当初は地縁団体やその地域で活動する企業を中心としてパレードが執り行われていた.近年では企業の参加が多い一方で,学校や病院による団体,祭りへの参加のために結成された自主的な団体の参加が増加している.そして花笠踊りは県内外の祭りやイベントで披露されるなど,山形花笠まつりは山形市や山形県といった地域を代表する祭りとなっている.<結果>山形花笠まつりの参加者は,所属組織の一員であることや,知人からの紹介,個人の交流や踊りへの関心といったものを参加のきっかけや祭りに参加し続ける理由としていた.また,子供の頃に踊りを覚えた,あるいは過去に祭りに参加した経験者が,ライフコースの変化に伴い他団体で祭りに参加するケースも目立った.調査対象者の語りからは,団体や祭り,踊り,地域に対するアイデンティティが形成されていることが明らかとなった.まず,多くの参加者が,祭りへの参加は団体のメンバーとの楽しみ,あるいは団体の一員の義務であると語っており,団体に対するアイデンティティを形成している様子が読み取れた.また,沿道の観客との一体感や,踊り・ダンスの経験について語る様子から,祭りや踊りに対するアイデンティティが形成されていることも読み取れた.さらに,参加者は,県外の知人との会話で山形花笠まつりが話題になることなどについて語っており,山形県に対するアイデンティティを形成していることもまた読み取れた.山形花笠まつりを地元の祭りと区別しながら,山形県民としては参加したいと語る様子からは,地元に対するものとともに,山形県に対するアイデンティティも形成されていることが読み取れた.他方で,継続的に参加する参加者は,一参加者という認識から団体のまとめ役や祭りの盛り上げ役という認識へと変化しており,こうした点から,それまで形成されていたアイデンティティが変質する様子が読み取れた.また,様々な団体から祭りに参加することにより,踊りや団体に対するものだけでなく,祭りや地域に対するものといった新たなアイデンティティが形成されていた.様々なアイデンティティは個別で成立しているわけではなく,複数のものが重なり合うものと捉えられる.<考察>山形花笠まつりへの参加を通し,参加者は複層的なアイデンティティをライフコースの変化に沿って形成していた.また,そのようなアイデンティティは,参加者が祭りに参加し続ける動機の一つとなっている.このことから参加者のアイデンティティと祭りへの参加との間には,決して一方向的ではなく,相互に影響しあう関係があると考えられる.参加者のアイデンティティに基づく行動には,団体の一員としての参加の継続や様々な団体への参加,新たな団体の結成などが挙げられる.このような行動によって祭りへの団体の参加が維持されていると考えられる.またそのような参加者の行動は団体を越えた祭りへの参加のネットワークを生みだしている.そのネットワークの中での新たな個人の参加や,経験者の継続した参加が,祭りの存立の要因の一つといえるだろう.そしてそのようなネットワークの軸となるのが,祭りへの参加の志向に繋がる参加者の複層的なアイデンティティであると考えられる.
著者
貝沼 良風
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100143, 2017 (Released:2017-10-26)

<はじめに>地域では様々な祭りが執り行われているが,そうした祭りの多くは,地域社会との強い結びつきのもとにあるといえよう.これまで祭りと地域社会との関係に関しては豊富な研究蓄積がみられる.中でも地理学の研究に目を向けると,たとえば,古田(1990)は,新住民の流入により,祭りの意味が伝統的な行事から子どものための行事へと変容したことを明らかにしている.また,平(1990)は,地域社会において祭りの担い手が不足する中,祭りを執り行うスケールを広域化することで,祭りが維持されることを示唆した.こうした祭りと地域社会との関係をめぐる研究では,主として存続している祭りに焦点があてられてきた.しかし,地域社会が変容する中,そうした変容に適応し,存続する祭りがある一方で,中断や消滅に至った祭りも多く存在する.そのため,今日における祭りと地域社会の関係をより詳細に理解するためには,そうした祭りにも目を向ける必要があるだろう.<BR> そこで本研究は,地域社会の変容により中断したものの,再生され,再度中断に至った祭りを事例とし,従来と再生後の祭りの比較を通じ,祭りと地域社会の関係を考察することを目的とする.具体的には,秩父市荒川白久地区の天狗祭りを対象とする.<BR> 本研究で使用するデータは,実行委員長をはじめとする天狗祭りの中心人物や,荒川白久地区の住民10名に対して実施したインタビュー調査により収集した.また,従来の天狗祭りの郷土資料やフィールド調査で得られた情報も分析に使用する.なお,本研究では,荒川白久地区の中でも,天狗祭りの再生において中心的な役割を担った後述の上白久町会に特に注目する.<BR><対象地域と地域住民組織の概要>本研究の対象地域である荒川白久地区は,2005年に秩父市に編入された旧荒川村の一部で,中山間地域として特徴付けられる.2015年の国勢調査によると,人口は846人で,高齢化率は41.1%と,高齢化の進んだ地域といえる.荒川白久地区では,40から70世帯ごとに集落区という地域住民組織が編成されている.同地区にはこの集落区が7つ存在する.他方で,上述の編入合併の際に,2から3の集落区をまとめた,町会という地域住民組織が新たに設けられた.<BR><天狗祭りの再生と中断>天狗祭りは,山の神をやぐらに迎え入れ,やぐらを燃やすことで山へと返すという儀礼的な意味を持つ民俗行事で,小・中学生の男子が中心となって,毎年11月に開催されていた.従来,同祭りは旧荒川村の集落区ごとに執り行われてきたが,中でも原区という集落区のものは,埼玉県の無形民俗文化財に登録されている. 1960年代頃になると,同祭りは夜遊びや火遊びとして捉えられるようになり行われなくなっていった.1970年代以降は上述の原区でのみ継続されていたが,同区でも2011年を最後に休止となった.<BR> そうした中,2015年に地域住民の呼びかけにより天狗祭りが再生された.その際,従来の集落区ではなく,より広域な地域住民組織である町会において祭りが執り行われた.しかし,住民の一部から祭りに対する異論が投げかけられ,翌年,天狗祭りは再度中断となった.<BR> 再生された天狗祭りは,祭りの意味や活動内容が従来のものとは異なる点が多くみられた.従来は,主に子どもたちを中心に集落区を単位に行われていた.また,祭りに必要な諸経費は住民からの灯明料によって賄われていた.しかし,再生された天狗祭りは,60から70歳代の住民を中心に,町会を単位に実施された.そして,諸経費は,灯明料ではなく,有志の住民からの協賛金というかたちの寄付で賄われた.また,従来の天狗祭りでは,祠への参拝をはじめ,神事に関わる活動が重視されたが,再生された天狗祭りでは宗教色が極力排除され,地域内外の人々の交流が重視された.その重視する点の違いから,開催場所も人家から離れた場所から,住宅地付近へと変更された.天狗祭りの再生において,祭りを執り行う単位が集落区からより広域な町会となったことは,結果として祭りの再生に賛同し活動に参加する地域住民を集めやすくなったといえる.地域住民からは,再生された天狗祭りに対して懐かしいという声がきかれた一方で,内容や開催場所が従来とは異なることや,火を炊くことに対して否定的な声もきかれた.<BR><まとめ>天狗祭りは,祭りを執り行う単位の広域化や子どもが不在でも実施可能なものへと内容が変更されたことで,一度中断したものの,再生まで至ることができた.しかし,神事であることや子どもが主体といった従来,住民が重視していた点が失われたことで,当時の様子を知る住民が少なくない中,地域社会が一枚岩となって祭りを支えることはできず,新しいかたちの天狗祭りは継続することはできなかったと考えられる.
著者
貝沼 良風
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<はじめに>本研究では,山形花笠まつりを事例に,近代以降に生まれた祭りの存立要因を,祭りの参加者のアイデンティティに着目して検討する.日本においては,近代以降,とりわけ高度経済成長期以降,地域活性化などのために新たに祭りが生み出されていった.そうした祭りの中には,地域を代表する祭りに成長したものもみられる.祭りの参加者に注目すると,このような新たな祭りでは地縁的共同体によらずに参加者を募ることが少なくなく,参加者はそれぞれのきっかけや理由によって祭りに参加している.既往の祭り研究においても,祭りの参加者に着目して検討したものは存在する.そこでは,参加者個人の意識に注目したものもあるが,参加者個人は所属する団体の構成者の一人として捉えられる傾向にある.しかし,現代の祭りの在り方を解明するためには,参加者を特定の所属団体の一人としてだけでなく,参加方法や役割を変えながらも祭りに参加し続ける主体として捉えて分析する必要があるだろう.<研究方法と研究対象の位置づけ>以上を踏まえ本研究では,山形花笠まつりを事例に,祭りの参加者の参加のきっかけや理由と,参加者が形成するアイデンティティを明らかにし,現代の祭りが存立する要因を考察した.分析に用いるデータは,運営組織である山形県花笠協議会と,祭りに踊り手として参加している46人への聞き取り調査から収集した.また,山形花笠まつりに関する書籍や,各団体の資料等も適宜使用した.山形花笠まつりは高度経済成長期に観光誘致のために生み出された,花笠踊りという踊りを中心市街地で踊るパレードが目玉の祭りである.当初は地縁団体やその地域で活動する企業を中心としてパレードが執り行われていた.近年では企業の参加が多い一方で,学校や病院による団体,祭りへの参加のために結成された自主的な団体の参加が増加している.そして花笠踊りは県内外の祭りやイベントで披露されるなど,山形花笠まつりは山形市や山形県といった地域を代表する祭りとなっている.<結果>山形花笠まつりの参加者は,所属組織の一員であることや,知人からの紹介,個人の交流や踊りへの関心といったものを参加のきっかけや祭りに参加し続ける理由としていた.また,子供の頃に踊りを覚えた,あるいは過去に祭りに参加した経験者が,ライフコースの変化に伴い他団体で祭りに参加するケースも目立った.調査対象者の語りからは,団体や祭り,踊り,地域に対するアイデンティティが形成されていることが明らかとなった.まず,多くの参加者が,祭りへの参加は団体のメンバーとの楽しみ,あるいは団体の一員の義務であると語っており,団体に対するアイデンティティを形成している様子が読み取れた.また,沿道の観客との一体感や,踊り・ダンスの経験について語る様子から,祭りや踊りに対するアイデンティティが形成されていることも読み取れた.さらに,参加者は,県外の知人との会話で山形花笠まつりが話題になることなどについて語っており,山形県に対するアイデンティティを形成していることもまた読み取れた.山形花笠まつりを地元の祭りと区別しながら,山形県民としては参加したいと語る様子からは,地元に対するものとともに,山形県に対するアイデンティティも形成されていることが読み取れた.他方で,継続的に参加する参加者は,一参加者という認識から団体のまとめ役や祭りの盛り上げ役という認識へと変化しており,こうした点から,それまで形成されていたアイデンティティが変質する様子が読み取れた.また,様々な団体から祭りに参加することにより,踊りや団体に対するものだけでなく,祭りや地域に対するものといった新たなアイデンティティが形成されていた.様々なアイデンティティは個別で成立しているわけではなく,複数のものが重なり合うものと捉えられる.<考察>山形花笠まつりへの参加を通し,参加者は複層的なアイデンティティをライフコースの変化に沿って形成していた.また,そのようなアイデンティティは,参加者が祭りに参加し続ける動機の一つとなっている.このことから参加者のアイデンティティと祭りへの参加との間には,決して一方向的ではなく,相互に影響しあう関係があると考えられる.参加者のアイデンティティに基づく行動には,団体の一員としての参加の継続や様々な団体への参加,新たな団体の結成などが挙げられる.このような行動によって祭りへの団体の参加が維持されていると考えられる.またそのような参加者の行動は団体を越えた祭りへの参加のネットワークを生みだしている.そのネットワークの中での新たな個人の参加や,経験者の継続した参加が,祭りの存立の要因の一つといえるだろう.そしてそのようなネットワークの軸となるのが,祭りへの参加の志向に繋がる参加者の複層的なアイデンティティであると考えられる.
著者
貝沼 良風
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<はじめに>地域では様々な祭りが執り行われているが,そうした祭りの多くは,地域社会との強い結びつきのもとにあるといえよう.これまで祭りと地域社会との関係に関しては豊富な研究蓄積がみられる.中でも地理学の研究に目を向けると,たとえば,古田(1990)は,新住民の流入により,祭りの意味が伝統的な行事から子どものための行事へと変容したことを明らかにしている.また,平(1990)は,地域社会において祭りの担い手が不足する中,祭りを執り行うスケールを広域化することで,祭りが維持されることを示唆した.こうした祭りと地域社会との関係をめぐる研究では,主として存続している祭りに焦点があてられてきた.しかし,地域社会が変容する中,そうした変容に適応し,存続する祭りがある一方で,中断や消滅に至った祭りも多く存在する.そのため,今日における祭りと地域社会の関係をより詳細に理解するためには,そうした祭りにも目を向ける必要があるだろう.<BR> そこで本研究は,地域社会の変容により中断したものの,再生され,再度中断に至った祭りを事例とし,従来と再生後の祭りの比較を通じ,祭りと地域社会の関係を考察することを目的とする.具体的には,秩父市荒川白久地区の天狗祭りを対象とする.<BR> 本研究で使用するデータは,実行委員長をはじめとする天狗祭りの中心人物や,荒川白久地区の住民10名に対して実施したインタビュー調査により収集した.また,従来の天狗祭りの郷土資料やフィールド調査で得られた情報も分析に使用する.なお,本研究では,荒川白久地区の中でも,天狗祭りの再生において中心的な役割を担った後述の上白久町会に特に注目する.<BR><対象地域と地域住民組織の概要>本研究の対象地域である荒川白久地区は,2005年に秩父市に編入された旧荒川村の一部で,中山間地域として特徴付けられる.2015年の国勢調査によると,人口は846人で,高齢化率は41.1%と,高齢化の進んだ地域といえる.荒川白久地区では,40から70世帯ごとに集落区という地域住民組織が編成されている.同地区にはこの集落区が7つ存在する.他方で,上述の編入合併の際に,2から3の集落区をまとめた,町会という地域住民組織が新たに設けられた.<BR><天狗祭りの再生と中断>天狗祭りは,山の神をやぐらに迎え入れ,やぐらを燃やすことで山へと返すという儀礼的な意味を持つ民俗行事で,小・中学生の男子が中心となって,毎年11月に開催されていた.従来,同祭りは旧荒川村の集落区ごとに執り行われてきたが,中でも原区という集落区のものは,埼玉県の無形民俗文化財に登録されている. 1960年代頃になると,同祭りは夜遊びや火遊びとして捉えられるようになり行われなくなっていった.1970年代以降は上述の原区でのみ継続されていたが,同区でも2011年を最後に休止となった.<BR> そうした中,2015年に地域住民の呼びかけにより天狗祭りが再生された.その際,従来の集落区ではなく,より広域な地域住民組織である町会において祭りが執り行われた.しかし,住民の一部から祭りに対する異論が投げかけられ,翌年,天狗祭りは再度中断となった.<BR> 再生された天狗祭りは,祭りの意味や活動内容が従来のものとは異なる点が多くみられた.従来は,主に子どもたちを中心に集落区を単位に行われていた.また,祭りに必要な諸経費は住民からの灯明料によって賄われていた.しかし,再生された天狗祭りは,60から70歳代の住民を中心に,町会を単位に実施された.そして,諸経費は,灯明料ではなく,有志の住民からの協賛金というかたちの寄付で賄われた.また,従来の天狗祭りでは,祠への参拝をはじめ,神事に関わる活動が重視されたが,再生された天狗祭りでは宗教色が極力排除され,地域内外の人々の交流が重視された.その重視する点の違いから,開催場所も人家から離れた場所から,住宅地付近へと変更された.天狗祭りの再生において,祭りを執り行う単位が集落区からより広域な町会となったことは,結果として祭りの再生に賛同し活動に参加する地域住民を集めやすくなったといえる.地域住民からは,再生された天狗祭りに対して懐かしいという声がきかれた一方で,内容や開催場所が従来とは異なることや,火を炊くことに対して否定的な声もきかれた.<BR><まとめ>天狗祭りは,祭りを執り行う単位の広域化や子どもが不在でも実施可能なものへと内容が変更されたことで,一度中断したものの,再生まで至ることができた.しかし,神事であることや子どもが主体といった従来,住民が重視していた点が失われたことで,当時の様子を知る住民が少なくない中,地域社会が一枚岩となって祭りを支えることはできず,新しいかたちの天狗祭りは継続することはできなかったと考えられる.