著者
道家 達將
出版者
放送大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1996

津山藩主森家に仕えた久原宗清良政に発し、その後藩医となった初代久原甫雲良賢(亨保5[1720]年没)から、9代目久原宗甫(明治29[1896]年没)に及び久原家は、代々藩医を勤めた医家であった。その医術は、漢方だけでなく、南蛮流、まだ和蘭流(蘭方)にも及び、時代と共に、新らしい医学を学び続けた名門である。筆者はとくに、宗甫について調べるとともに、宗甫の長男久原躬弦および次男茂良(本籟)について、その手紙、日記、関係者の写真等について調査し、整理した。長男躬弦は、藩の貢進生として大学南校に学び東大理学部化学科を卒業(1877年第1回生卒)、東大教授、京大教授また総長となり、明治期のわが国の化学の開拓者として働いた。次男茂良は、町の医者として献身的に働いた。この二人の業績を明らかにするとともに、久原家の代々の系譜、また子孫についてもかなり明らかにすることができた。これは、ひとえに、茂良の娘涛子女史(彫刻家)の協力によるものである。久原躬弦の直系の孫久原輝夫(東京工業大学建築学科を昭和16年に卒業後、戦時中に死亡)についても明らかにし得た。
著者
道家 達將
出版者
公益社団法人 日本化学会
雑誌
化学と教育 (ISSN:03862151)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.54-58, 1991

天保5年(1834)名古屋生まれの, 実にユニークな, 奇人とまで言われた化学技術者がいる。その名は宇都宮三郎。尾張藩100石取りの武士の三男で, はじめ儒学・武術を学ぶが, 西洋砲術家上田帯刀の門に入ったことから舎密(化学)に興味をもつようになり, ついには23歳のとき尾張藩を脱藩して江戸で兵科舎密にうちこむ。柳河春三, 桂川甫周, 福沢諭吉らと親交を結び, 勝海舟の世話で幕府の蕃書調所精煉方(のち開成所化学)で働く。公的機関に化学の名をつけたのは彼が最初という。明治維新で解雇されるが, 開成学校教師, 工部省技師に再び雇われ, 明治15年(1882)工部大技長となる。我が国最初のセメント・耐火煉瓦・炭酸ソーダの製造, また竈(かまど)づくりや酒造法の科学的改良などに成功。明治35年に没し, 父祖の墓所のある愛知県豊田市の幸福寺に葬られた。今回は, この宇都宮三郎の人と仕事を紹介し, 彼のゆかりの地をたずねる。
著者
西村 康 和田 晴吾 斎藤 正徳 中条 利一郎 鈴木 努 道家 達將 稲田 孝司
出版者
奈良国立文化財研究所
雑誌
重点領域研究
巻号頁・発行日
1992

重点領域研究『遺跡探査』では、地下に埋没している遺跡・遺構のみならず、地上に遺存する文化財も含めて、それらが包含する歴史情報をもれなく収集するための、格段に進歩した遺跡探査専用の装置と方法を開発することを目的とした。目的を達成するためには、理工学の研究者と考古学を中心とする人文学研究者とが緊密な連携のもとに、共同研究をすることが必須である。そこで、総括班では装置の設計段階、遺跡の実際での実験的測定、応用測定において、両分野の研究者が検討あるいは共同作業をするための環境設定を優先事項として考え、研究会議などの機会を数多く設定してきた。研究では、1)地中レーダー探査、2)電気探査、3)磁気探査、4)超音波探査においてぞぞれ装置と方法を開発、5)化学・光学探査では熱履歴を特定する手法を考案した。一方、遺跡の実際における探査では、1)被熱の遺構を特定する手法として、磁気探査、帯磁率測定、磁化率測定を組み合わせる方法を開発、2)石造構造物を対象とする場合には、地中レーダー探査、電気探査、VLF探査の方法を用いれば、遺構が推定可能なことを実証、3)土層判別探査(含:金属有機物探査)では、パルス(チャープ)レーダー探査、FM-CWレーダー探査、電気探査と電磁誘導探査の方法を応用すれば、有効な成果が得られることを実証した。なお、総括班では研究の進行に伴う成果の公表を逐次発表するために、公開シンポジウムを開催、ニュースレターを刊行してきた。また、研究成果を世界にアピールすること、正当な評価を得ることを目的に、平成9年9月には伊勢市において『第2回国際遺跡探査学会』を開催したところである。
著者
道家 達將
出版者
公益社団法人 日本化学会
雑誌
化学と教育 (ISSN:03862151)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.54-58, 1991-02-20 (Released:2017-07-13)

天保5年(1834)名古屋生まれの, 実にユニークな, 奇人とまで言われた化学技術者がいる。その名は宇都宮三郎。尾張藩100石取りの武士の三男で, はじめ儒学・武術を学ぶが, 西洋砲術家上田帯刀の門に入ったことから舎密(化学)に興味をもつようになり, ついには23歳のとき尾張藩を脱藩して江戸で兵科舎密にうちこむ。柳河春三, 桂川甫周, 福沢諭吉らと親交を結び, 勝海舟の世話で幕府の蕃書調所精煉方(のち開成所化学)で働く。公的機関に化学の名をつけたのは彼が最初という。明治維新で解雇されるが, 開成学校教師, 工部省技師に再び雇われ, 明治15年(1882)工部大技長となる。我が国最初のセメント・耐火煉瓦・炭酸ソーダの製造, また竈(かまど)づくりや酒造法の科学的改良などに成功。明治35年に没し, 父祖の墓所のある愛知県豊田市の幸福寺に葬られた。今回は, この宇都宮三郎の人と仕事を紹介し, 彼のゆかりの地をたずねる。