著者
遠山 敏之
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.243, pp.166-169, 2004-12

大阪の天王寺から南東に延びる地下鉄谷町線で約20分の終点、八尾南駅。目指す雑居ビルは、駅前ロータリーに面して20年前の登記簿と同じ場所にあった。戸建て住宅分譲で急成長しながら、突如破綻した滴水(大阪市天王寺区)の高島信弘社長が、経営者人生の第一歩を踏み出した地である。当時33歳。横道に入ったビル側面に小さな店舗を構え、住宅などの仲介を始めた。
著者
佐藤 裕久 遠山 敏之
出版者
日経BP社
雑誌
日経レストラン (ISSN:09147845)
巻号頁・発行日
no.399, pp.50-52, 2008-06

1961年京都府で、おかき屋の長男として生まれる。1985年神戸市外国語大学中退、アパレル会社を立ち上げるが、失敗。1991年バルニバービ総合研究所設立。1998年現在の会社に組織変更。98年に大阪・南船場に「カフェガーブ」を出店、全国に広がったカフェブームの先駆者の1人となった。
著者
遠山 敏之
出版者
日経BP社
雑誌
日経レストラン (ISSN:09147845)
巻号頁・発行日
no.310, pp.64-66, 2002-02

大阪の北西部から神戸にかけての幹線道路沿いに、派手な外観とウエイティングの多さで話題のラーメンチェーンがある。「博多ラーメンげんこつ」。創業8年で、現在14店を展開する。 商品構成は、至ってシンプルだ。スープは豚骨に鶏ガラを加えた1種類のみ。ラーメンも「博多ラーメン」(550円)など、8種類あるだけで、定食はなし。メニュー数はわずか19だ。
著者
氏家 秀太 遠山 敏之
出版者
日経BP社
雑誌
日経レストラン (ISSN:09147845)
巻号頁・発行日
no.334, pp.64-68, 2003-10

千葉県との境に近い西葛西駅の高架下で居酒屋を始めて15年。出身地が新潟であることから、新潟特産のへぎそばと地酒を売り物にしてきました。 2001年に改装した際は大幅に業績が改善したのですが、改装3年目の今年、月商が前年を下回り続けています。特に夜の早い時間がさっぱりで、8時過ぎに来るお客も「一杯飲んで、そばを食べる」だけ。
著者
遠山 敏之
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.237, pp.132-135, 2004-06

「民事再生を申請と聞いた時は、えっ、まさか! という感じでしたよ」と、同業他社の従業員は言う。キャリアテープ製造大手、ヤヨイの破綻は、それほど業界では驚きをもって受けとめられた。 キャリアテープとは、小さな電子部品を挟み、組み立て装置へ供給する際に使う梱包材。ヤヨイは一時トップシェアを持ち、技術力にも定評があった。
著者
山崎 範夫 遠山 敏之
出版者
日経BP社
雑誌
日経レストラン (ISSN:09147845)
巻号頁・発行日
no.400, pp.82-85, 2008-07

1950年高知市生まれ。73年慶應義塾大学法学部卒業。入社前の学生時代からアルバイトとしてビヤホールで働き、75年にサッポロライオンに入社。営業部課長、北海道事業本部長など、サラリーマン生活のほとんどを現場で過ごす。2003年7月、サッポロライオンとして初の生え抜き社長に就任。在任5年になるが、就任当初から現場主義を貫き、今でも毎晩のように店舗に顔を出している。
著者
米山 久 遠山 敏之
出版者
日経BP社
雑誌
日経レストラン (ISSN:09147845)
巻号頁・発行日
no.406, pp.94-96, 2008-12

1970年東京・八王子生まれ。帝京八王子高校卒業後、俳優を志すも断念。営業職で頭角を現し、起業。不動産業、海外挙式のプロデュースなど様々な事業を立ち上げたのち、01年にダーツバーを開店し、飲食業に参入する。04年8月、「わが家」1号店を開店する際に「みやざき地頭鶏」と出合ったことをきっかけに、飲食業に本腰を入れ、06年2月には、自社養鶏場を宮崎県日南市に開設する。
著者
遠山 敏之
出版者
日経BP社
雑誌
日経レストラン (ISSN:09147845)
巻号頁・発行日
no.323, pp.96-100, 2003-01

人口63万人の岡山市に年商4億円を稼ぎ出す、すごい店がある。「韓国家庭料理 ト傳(ぼくでん)」だ。 市内一の繁華街、表町(おもてちょう)から少し外れた場所にある店は、1、2階の2フロアで160席。規模は大きいが、その大箱が毎日お客でいっぱいだ。夕方6時を過ぎると、流行の服を着込んだOLやカップルが三々五々やってくる。