著者
野崎 武司
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
no.10, pp.26-35,133, 2002

本研究の目的は, 祝祭としての現代スポーツにおけるスポーツ観戦者たちの〈反-近代〉の局面の効果を明らかにすることである。〈反-近代〉とは, 間身体のパフォーマンスを通じて, 新たなる眼差しが産出される機制として定義された。現代における祝祭としてのスポーツは, 大きなサイズの諸身体を熱狂へ動員する装置として機能している。スポーツ観戦者たちの身体体験は, それ固有の政治性と関連しているに違いない。<br>国民国家で構成されている現在の社会は, グロバリゼーションの潮流に逆らいつつ, 想像の政治的共同体であり続けている。その産出を続けているのは, 祝祭における半ば呪術的な〈反-近代〉の体験である。いかなるアイデンティティ (例えば, 国民性) も, 彼にとっては先験的選択として与えられる。自らの主観性=主体性と世界地平を選び取ることのできるものはいない。主な結果は以下の通りである。<br>1) 祝祭における熱狂は, 間身体のパフォーマンスを通じて, 観戦者たちの身体に, 国民性にまつわる規範を配備する。その規範は, 時に, 異邦人に関する発話をその内奥から断ち切ってしまう。<br>2) '98年 W-cup サッカーフランス大会は, 移民選手の大活躍でフランス国民の国民性を再編成したように考えられる。ゲームでの熱狂は, 彼らの身体の国民性に関する規範を書き換えるのである。<br>3) われわれは,「私達」と「彼ら」を明確に区分する規範を, 深い身体的実感とともに, 身に宿している。そうした規範に編成された時空のなかに生きているのである。祝祭での熱狂は, 新たな世界地平を産出する反面, 別な形の差別を構成してしまう。
著者
野崎 武司 飯村 敦子 細越 淳二 米村 耕平
出版者
香川大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010-04-01

本研究の目的は、特別支援教育の知見を援用しながら、体育の学習集団論を再構築することにある。主な結果;①体育において「できる」「わかる」の系統性を教師が持つこと、習熟と認識の発展の節目で「わからせる」ための教材・教具を開発すること等、これまでの体育の学習集団論と授業のUD化との架橋による<授業のステップアップ化>が必要である。②子どもの認知特性等、子ども理解の診断的アプローチが必要である。③年間を通じて受容的・肯定的でかつ探究的な学級の風土を醸成することが必要である。若手教員には、多様な授業の考え方や、子どもを深く見取り、学級集団を組織していく教育技術とその習熟プログラムの開発が不可欠である。