著者
野村 幸弘 佐藤 慎一 森 秀晴 遠藤 剛
出版者
合成樹脂工業協会
雑誌
ネットワークポリマー (ISSN:13420577)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.106-116, 2008-06-10 (Released:2012-08-20)
参考文献数
24

イソシアナート末端ポリウレタンと2級アミノ基を有するアルコキシシラン化合物 (シリル化剤) から, 新規なアルコキシシラン末端ポリウレタン (シリル化ポリウレタン) を合成した。シリル化剤は, 3-アミノプロピルトリアルコキシシランとアクリル酸エステルとの共役付加反応で合成した。得られたシリル化ポリウレタンの粘度は, アクリル酸エステルと反応させていない3-アミノプロピルトリアルコキシシランから誘導したシリル化ポリウレタンに対して低くなった。得られたシリル化ポリウレタンの硬化速度及び接着強さを比較したところ, シリル化剤のエステル部位のアルキル基が短いほど, 硬化が速いことが分かった。また, 引張せん断接着強さ及び接着性がシリル化率の影響を受け, シリル化率60%以上の条件では, シリル化率が低いほど接着性が高くなる傾向にあった。さらに, シリル化ポリウレタンの硬化触媒として, 三フッ化ホウ素-モノエチルアミン錯体 (BF3-MEA) とジブチルスズジメトキシド (DBTDM) の性能比較を行った。その結果, DBTDMに比較して, BF3-MEAは触媒活性が高いこと及びシリル化ポリウレタン硬化物の熱安定性を低下させないことが分かった。以上のことから, シリル化ポリウレタンは湿気硬化型接着剤のベースポリマーとして, またBF3-MEAはシリル化ポリウレタンの効果的な硬化触媒として利用できることが分かった。
著者
野村 幸弘
出版者
岐阜大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2016-04-01

平成29年度は、前年度に引き続き、東北・北海道に残る円空作品について、平成29年8月22日から8月30日までの9日間にわたり調査を行った。作品の所蔵者・所有者の許諾を得て、撮影ができた作品は以下の13点である。秋田(龍泉寺の十一面観音像)、青森(延寿院の観音菩薩像、福昌寺の観音菩薩像、正法院の観音菩薩像、普門院の十一面観音像)、北海道(上ノ国観音堂の十一面観音像、旧笹浪家の観音菩薩像、江差観音寺の観音菩薩像、福島町役場の観音菩薩像、広尾町禅林寺の観音菩薩像、根崎神社の聖観音立像、長万部平和祈念館の観音菩薩像、上磯神社の観音菩薩像)。昨年度、調査できなかった秋田、龍泉寺と北海道、上ノ国観音堂の十一面観音像、さらに根崎神社の聖観音立像の詳細な細部写真(眉・目・鼻・口・手・指・足・衣襞)を今回、撮影することが出来、その様式分析の結果、従来の説とはまったく逆に、秋田→津軽半島→北海道→下北半島というように、円空の東北・北海道で辿った足取りの新しい仮説を得ることができた。ただし、この仮説を確証するためには、下北半島むつ市恐山の菩提寺にある十一面観音像の調査を行う必要がある。また、今年度から、北関東に残る円空作品の調査を開始した。調査した場所は以下の通り。日光清滝寺(平成29年4月14-15日)、春日部市小淵観音院(5月3日)、芝山古墳はにわ博物館(9月17日)、埼玉県立歴史と民俗の博物館(10月15日)、中井出世不動尊(10月28日)、蓮田市文化財展示館(12月9日)、甘楽町歴史民俗資料(平成30年2月11日)、茨城県立歴史館(3月10日)。実物を調査することで、円空の北関東における新たな特徴をもった様式展開を確認することができた。
著者
野村 幸弘
出版者
岐阜大学
雑誌
萌芽研究
巻号頁・発行日
2006

ミケランジェロの「扮装像」の表現を受け継いだのが、カラヴァッジョである。カラヴァッジョは大きく分けて、十代と思われる少年、ひげを生やした成人男性として、その初期作品から登場する。《病めるバッカス》、《果物籠を持つ少年》、《聖フランチェスコの聖痕拝受》である。《聖痕拝受》は、ミケランジェロの《サウロの回心》を下敷きにし、《ダヴィデとゴリアテ》もミケランジェロの《最後の審判》における聖バルトロメオの表現を意識して描かれている。カラヴァッジョは、これらの作品で、ミケランジェロの扮装表現を、官能的に解釈し直したり、描かれた人物の視線を通して、交感、感情移入の表現を行い、絵画の心理的表現を実現している。そうした心理的、感情的、主観的な扮装表現を推し進めたのが、アルテミシア・ジェンティレスキである。《ユーディットとホロフェルネス》では、画家自らが、絵の中のいわば脇役に甘んじず、主役として積極的に物語に参加する。この作品で彼女はアブラに扮し、ホロフェルネスの殺害に関与する。それが彼女の実人生と深い関わりを持っているのである。ルネサンス以降、絵画表現が、広く宗教や社会、文化との関係というよりも、むしろ画家個人の性格や人間関係、セクシュアリティ、あるいは実生活上のプライベートな出来事と密接な関係を持ち始めることが、扮装論の視点から見えてくる。扮装は、芸術家の個性、あるいは自意識に関わる問題である。しかし、自作の中で扮装する画家が、作品の言わば「造物主」でありながら、かならずしもそこで神のように振る舞うわけではない点が興味深い。そこには複雑な心理過程や屈折、韜晦があって、ストレートな自己表現や全能感に満ち溢れた表現となっているわけではない。ルネサンスの画家は外界の目に見える世界を正確に認識するために、絵画を描き始め、それはやがて科学的な物の見方へと受け継がれていったわけだが、それと同時に、自己の内面という目に見えない世界を認識しようという欲求が芽生え始めていたのである。